第4話 淫蕩
酒池肉林、放埒の限りが尽くされた魔王の城の大浴場はもはや何の音もない。
永久に大理石の樋口から湯が流れる池の如き湯船と、毎夜魔族が肉の交わりを行った柔らかい床が広がっている。
「湯とはこうしたものか」
少女魔王は湯船に浸かりほう、と息を抜いた。
「我が身体は刃の塊だったゆえ、湯浴みも伽もしたことがない。お前は……お前は何をやっているのだ?」
「うるさい、向こうをむいていろ魔王め」
同じ湯船に浸かる勇者は、少女魔王から顔をそらし落ち着きなく身体の位置を変えている。両者の間には銀の縄がぴんと張りぎりぎりの距離まで離れているがそれ以上は縄を手放すしかない。
仕方なく勇者と魔王は同じ湯船に浸かっていた。
勇者はこんな縄とっとと放り捨ててしまえと頭のなかでは考えているがどうしてもそれを実行できない。それは魔王の看破したおそれであり同時に何があっても魔王を逃してはならないという使命感によるものでもあった。
だから縄の長さを考慮に入れて浴場にふたりして入ることを甘んじたのだ。
勇者は対魔王相殺神兵であり精神形成は少年であることを基礎としている。少年の魂こそが魔王を倒すにふさわしいからだ。
だから、勇者はいまだ少年であり、少女魔王の外見年齢とはほとんど一致するものであり、その少女魔王と共に同じ湯船に浸かることに得体が知れないほどの戸惑いを感じていた。
魔王の一挙手一投足を見張るつもりだった。
だがそれはできなくなった。
魔王はもはや刃の怪物ではなく魔族の少女そのものだった。
つまり女だった。
勇者は魔王に女を見てしまった。
「私からそんなに目をそらしたいか、勇者よ」
「や、やめろ! 近くによるんじゃない魔王め!」
「なんだ? 何をそんなに焦っている」
少女魔王は魔王らしからぬきょとんとした不明の顔を見せた。
「焦ってなんかいない! いいからぼくの近くに来るな!」
「ふん、何を言っているのかわからんな」
「なに?」
「近くに来るなというならさっさと縄を離してここ湯から上がればよかろう」
「そうできるのならそうしている。だが縄が……縄が」
もごもごと言い訳がましい言葉が口の中で転がったがその実勇者は湯船から上がれない理由があった。水面下で勇者のそれは生涯で最も張りつめていて到底さらす訳にはいかないと勇者は思った。たとえ相手が宿敵の成れの果てであってもだ、
縄は手放せない。だから、近くによるなと繰り返すことしかできない。
今の勇者は少女と混浴して勃起したただの少年に等しかった。
「ははっ、よいことを思いついた」
「な、なんだ?」
「この体になり果てしも、まだお前に報いるすべがあったようだ」
「報いるすべだって?」
「そう。こうするのだ」
少女魔王は湯船の中を泳ぎ、その肌を勇者の体に押し当てた。
「私は肉の体のことを知らぬ。部下どもの語る酒池肉林の淫蕩も私には無縁だった。だが知っていることもある。女色は聖者も堕落させるそうだな」
ふたりきりの大浴場に水しぶきが跳ねる音が響いた。
「やっやめろ、お前は魔王だろう!?」
「それが?」
「誇りはないのか、勇者のぼくに対してい、いろじかけなどと!」
「ない。我が誇りは奪われた。ほかならぬ勇者、お前の手によって」
魔王は勇者の手を取り、己の乳房に押し当てた。
「見よう見まねで悪いがそれはどうやら気にせずともいいようだな。お前も私と同じだ。色も欲も知らぬ」
勇者は激しく興奮しながらも口をつぐんだ。その通りだった。人界でも魔界でも女の体はよく見たがそれは大抵の場合すでに死んでいた。
勇者が見た初めての女は少女魔王だった。
「私はお前と違って男ですらない。男にも女にも欲を持ったことはない。まぐわえば全身の刃が貫いてしまう故抱くことも叶わぬ」
大浴場に沈黙が降りた。
湯気に煙る湿った空気。互いを縛る銀の縄。一糸まとわぬ勇者と魔王。かすかに残る魔族たちの淫蕩の匂い。
少女の甘い匂い。
「だ、だめだそんなの!」
勇者は弾かれるように立ち上がり、銀の縄をしっかりと握り直した。
「ぼくはお前に同情などしないぞ、魔王! ぼくはお前の配下を皆殺しにしたが人界ではお前の軍が人を虐殺した! 仇だ。そう、ぼくたちは敵同士なんだ。色も欲も、ぼくらの間にはあるべきじゃない!」
響く勇者の声。
少女魔王はまたきょとんとして、湯船から出た勇者の固くなった先端を全く自然な動作で掴んだ。
「……直に触るのは初めてだが」
「お、お、お、お前……」
「ふふっ、面白い。もう少し詳しく見せるがよい」
響く勇者の悲鳴。
*
魔王は少女のまま戻ることができず勇者は魔王を相殺することなく人界に戻ることができずふたりは魔王城から出られない。
「前代未聞であろうな、勇者よ」
「どういう意味だ」
「魔王と勇者の同棲だ。滑稽だ。不愉快だ。だが愉快でもある」
「愉快? ぼくはそんな風には」
「私はそうだ。互いに殺し合うだけの存在が一本の縄で繋がれ互いを縛っている。風呂や厠まで一緒だ。いずれは同衾するやもしれぬな」
勇者は真っ赤になった顔を背けた。現に眠るときも銀の縄の端と端に位置して過ごしている。気のせいだろうか、夜々その距離が詰められているように勇者は感じていた。
このままでは寝首をかかれるやも。
だがそれが不可能なことを勇者は知っている。
縄で繋がれた魔王は力と尊厳を失い勇者を傷つけることができないからだ。縄で繋がれている限り。
勇者はたとえ自分が縄を手放しても魔王の復讐は無いと感じるようになっていた。
気のせいであるべきだ。魔族の王を信用しかかっている自分を認める訳にはいかない。
罠と裏切りに注意を払え。
少女魔王は美しい。
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