第2話

 秘密研究所に瞬間移動でやってきて、時間を超越した通りの作業にかかる。太陽系の外から射しかかる陽光が眩しい。今日も陰鬱で凄惨な秘密研究者の日常というものが始まる。くり返される一日の中で、政治犯収容所に帰るとガソリンを飲んでいる。飲まなければガス欠になって緊急停止してしまう。ガソリンというものが、秘密研究者の空気コンピュータに有効な働きをするのかは疑問だが、くり返される一日の中で昨日も満タン給油してしまった。朝の通勤地底戦車の中で、ガソリン酔いを我慢している。宇宙船通勤だったら、危なくて飲んでいられないところだが、地底戦車通勤なので大丈夫だ。くり返される一日の中でも、いつもの秘密作業が始まる。

 ぼくの秘密任務は、第二文明周期用の不老酒の効果をねずみによる臨床実験で確認することだ。だから、くり返される一日の中で、大量のねずみに不老酒を投与し、本当に死ななくなるかを確かめている。と、それは、天の川銀河の中から選抜された優秀な同僚の仕事で、ぼくがしているのはその数千年文明の進んだ実験である。簡単にいうと、文明が滅亡するほどに繁殖して破綻したねずみの終末を管理している。早い話が、ねずみの文明を毎日、大量に発生させ滅亡させるのがぼくの仕事だ。

 ねずみが道具を使い、文明を発生させる。ねずみは文字を使い始める。そのねずみ文字は文明が発生するたびにちがうものだが、毎回、ぼくが意味を解読して自動翻訳辞書を作る。ねずみの会話はすべて記録して、データ倉庫に入れる。ねずみは狩猟採集生活から、農耕牧畜生活を始め、大量に増えだす。やがて、ねずみは工業に目覚め、産業革命を起こす。ねずみたちの間で植民地争いが発生し、ついには、ねずみ世界大戦へと発展する。いつものことだ。ぼくは、ねずみの世界大戦に介入し、核戦争を必ず起こし、ねずみを滅亡させる。その秘密作業はほとんど自動化されているが、その作業の担当者がぼくだ。ねずみがいかに核戦争を回避するか、その過程を観察し、人類の戦争を回避する参考にするのが目的だ。調子がいい時は、ねずみに宇宙進出までさせ、銀河系を支配させる。そして、銀河系大戦を引き起こし、それをいかに回避するのかを観察するのがぼくの仕事だ。今までに一回も、ねずみは核戦争も銀河大戦も回避できないので、誕生したすべてのねずみ文明のねずみが絶滅した。一匹残らず殺しつくし、次の実験に備えるのもぼくの仕事だ。

 不老酒というものは、星雲コンピュータでものすごいたくさんのデータ統計から絶対に死なない製法を選ぶので、本当に死なないのか試す実験に使用するねずみもその分、大量にいることになる。どのくらのデータ統計から製法を選択するかというと、一回の宇宙周期で生き残ることのできるねずみを二回殺しても足りないくらいの量を殺している。不老酒作りというものは、それくらいめったに宇宙周期では発生しえない生命体をつくることである。

 ぼくの秘密任務は、その作業で必要なねずみを大量に殺すことである。ねずみの生産飼育は、本当は人類の法律で禁止されている。ねずみが人類そっくりに進化し、同じ同朋と区別つかなくなることを防ぐためである。ぼくは怪物製作の研究者なのだが、秘密任務としてねずみを大量に発生させ、時に人類そっくりに進化したねずみを絶滅させる作業も担当している。これは、暗黙の内に秘密任務において、ぼくが独断専行するように配置された上司の仕業とも考えられなくはなく、ぼくは第二文明周期の運命を決める謀略に加担させられているのかもしれない。怖いので、宇宙意思に聞いて確かめたことはない。ぼくの文明実験には、宇宙意思も参加して様子を見に来るのだが、それを見て宇宙意思が何を考えたのかはわからない。宇宙意思がどう介入したのかもわからない。というか、宇宙意思の介在はぼくの実験に影響しているのだろうか。それすらわからない。ぼくは孤独なねずみ文明実験者だ。そんなわけで、ぼくは、優秀なぼくの同僚が考え出した新しい不老酒の文明皆殺し実験場のねずみを毎日、滅亡させているのである。その作業は、ほとんど単純作業のようになり、ただひたすら、ねずみの文明に核戦争を起こし、銀河大戦を起こし、生き残った不老不死のねずみを宇宙の終末まで生きながらえさせる。ぼくは、ものすごい数の不老不死を殺していることになるのだ。宇宙の終末とともに、不老不死のねずみを殺すことがぼくの仕事であり、ぼくの第二文明周期への貢献である。不老不死のねずみを殺すこと以外にぼくに栄耀栄華を味わう楽しみはない。ぼくは不老不死のいるねずみの文明を殺すために生きているのだ。この秘密任務に配属されて、もう宇宙が何度も誕生しては消えたので、ぼくはいっぱしの宇宙工学の専門家といえるくらいなのだ。

 作業の効率化を図るため、ねずみの文明を滅ぼすのに最も効果的な作戦が判明してしまい、逆にぼくの実験の情報が外部にもれたら、人類の文明を滅ぼす作戦の参考になってしまい、人類の滅亡を誘発しそうになってしまった。ねずみの文明を滅ぼす費用をこのくり返される一日の中でわずかながら減少させることに成功した。ぼくは、できる中性的魅力を備えた美人なのだ。ちゃんと秘密任務をしているのである。いかに効率よくねずみの文明を滅ぼすかをくり返される一日の中で考えているのだ。ねずみの文明を毎日、何百回と滅ぼしているのだから、そろそろ、ぼくの担当になってから不老不死になったねずみの数は十万匹を超えるだろう。ありえないくらいにぼくはよく働き、よく勤労に励んでいるのである。ぼくは秘密任務が命なのだ。ぼくは秘密任務を他の何よりも愛しており、他に特に栄耀栄華を遊ぶ道楽はなく、この秘密任務に一命を捧げる所存である。このまま、秘密研究所で特殊任務に追いやられつづけたら、ぼくはこの先の一生をねずみの文明を滅ぼすためだけに生きても悔いはないと、そう覚悟しているのである。

 ぼくはただのねずみ虐殺者ではない。ねずみ虐殺の専門家なのだ。

 ぼくの滅ぼしたねずみの文明が何のために滅んでいるのかというと、第二文明周期の人類を生かす文明実験のためとしか答えられないのだが、ぼくの滅ぼしたねずみの文明が何の役に立ったのかは、ぼくには報告されない。ぼくが滅ぼしているねずみの文明の文明実験で、どのような新作戦が開発されたのかをぼくは知らされない。

 だから、ひょっとしたら、人類が生きのびる方法なんて、一個も判明してないのかもしれない。そこは、人類代表たちにおける文明操縦の運転技術とその成果の話であり、これは文明経営しているどっかの誰かが宇宙周期の数字だけをにらんで、いかに効率よく宇宙が儲かるかを計算しているはずであり、そこはぼくのあまり詳しくは知らない世界だ。そういう役割の人がいて、そういう秘密任務をしているのは知っている。宇宙経営というものだ。これは無慈悲な宇宙主義非人類的思想であり、例え、人類が滅亡しても、宇宙は経営されるのであり、文明実験はされるのであり、ねずみの文明は滅ぶのである。人類以外の文明が第二文明周期に宇宙工学を駆使して生き残ってもかまわないと考える思想家はたくさんいるのだ。

 人類は死を逃れられない。

 そもそも、生まれてくる時から、文明実験に使われるために繁殖させられ生まれてきたねずみなのだから、そのねずみたちが死から逃れられないのは、しかたない。文明実験が中止されれば、このねずみたちは瞬殺されるのだ。文明実験が続いた方がねずみたちは長生きできる。人類存続実験が中止になったからといって、ねずみの文明を宇宙に放つような面倒くさく社会迷惑で、宇宙工学を壊すようなことは、決して行われないのである。ねずみの文明は滅ぶのだ。これは人類の運命なのである。

 ねずみの文明を滅ぼすことを可哀相だという人たちがいる。ぼくたちの気持ちを理解しない非人類文明愛護団体および人造生物愛護団体の放ってくる刺客や、善良な市民に紛れ込んだ工作員たちである。保育園児、幼稚園児といっても油断してはならない。彼らは容赦なく、ねずみの文明を滅ぼすことの残酷さを訴えてくる。

「人類がねずみのために死ぬことをどう思いますか?」

 そう聞いた保育園児がいたのだ。

 なんだと。ぼくはだまされていたのか。

 ぼくの秘密研究所のお偉いさんは、そんなことは百も承知で、当たり前のように、文明実験で死ぬ動物たちのための慰霊碑というものを立てており、見学に来た小学生に、文明実験が人類滅亡の可能性を回避するために行われていること、これが社会に役にたつこと、我が社は秘密隊員全員で慰霊碑に黙祷していることなどを語る。例え、一個の人類を存続させる選択肢が発見されなくてもだ。ねずみの文明を滅ぼすことは正義なのだ。大人たちは、まんまと騙され、慰霊碑にお祈りをして帰っていく。

 そこに猫がいた。

 ぼくのもとに郵便が届いた。ねずみからの手紙だ。ぼくは普段は、ねずみの文明を作り出していたぼくを発見し会いに来たねずみと会話することなどないのだけれど。とても、かったるくて。容赦しない。普段は、ねずみの中の英雄たちのことばを無視しているのだが、たまたま、その時、届いた手紙は、ちょっと興味をそそられた。ねずみは、手紙で語った。この郵便的やりとりは好きだ。

「現代哲学の最先端は何かね?」

 と。実に陳腐な質問で、ぼくはありきたりな返答を答えてやった。返書したのだ。手紙は郵便的に配達され、ねずみに届いたはずだ。手紙は必ず届くとは限らない。手紙の誤配というものがあるのだ。しかし、ぼくの手紙には、ありきたりな凡庸な現代哲学の最先端が書いてあった。

 まず、デカルトの「我、思うゆえに我あり」。ここから、自我の存在が証明される。

 次に、カントの「物自体は認識できない」。ここから、自我が決して存在の根幹である物質そのものを認識できないことが示される。

 そして、デリダの「脱構築」。人類の理論が破壊創生をくり返してより真理に近づいていくことである。

 この三つをもって、現代哲学の最先端とする。のが普通だ。そう手紙に書いて送った。すると、滅んだはずのねずみの文明の誰かから、郵便が届いた。亡霊の手紙か? そこにはたぶん、どうせ、くだらないことが書いてあるのだろう。ねずみの文明を滅ぼさないでくださいとか、ねずみにも人権がありますだとか、そんなことが書いてあるのだろうと思ったのだ。しかし、書いてあったのは、

「人類が神を管理するなど、おこがましいとは思わないのかね」

 と書いてあった。知っている。このねずみは、宇宙工学を知っている。我々人類が何度も宇宙を生成しては消滅させていることを知っている。その激しい混沌との戦いの中で、人類が絶滅しそうなことを知っている。

 ぼくはまた手紙を書く。

 帰納的推論は必ずしも正しいとは限らない。なぜなら、次の一回がこれまでの統計とは異なる奇跡である可能性があるからだ。

 演繹的推論も必ずしも正しいとは限らない。なぜなら、人類は普遍的前提などひとつたりとも知らないからだ。1+1=2が普遍的前提だというものがいるかもしれないが、大自然の中に1+1=2がどこにある。ありはしない。それは人の認識が先入観で1+1=2だと判断したものだけだ。人類の理論は、普遍的に思えるあらゆる前提を脱構築して進歩していく。

 そう手紙に書いて送った。すると、郵便的に手紙が届いた。亡霊からの手紙だ。ねずみは絶滅した。

「人を殺すことは本当に悪いことなのか? あらゆるものが反証可能性によって証明されなければならない。だから、人を殺してはいけないという刑法の正しさを証明するためには、誰かが人を殺し、その殺人が悪だと証明し、殺人の反証を行わなければならないのではないかな?」

 ぼくは、ねずみに手紙を出した。

「人類はあらゆる普遍的前提をひとつも知らない。これは法学においても例外ではない。殺人が悪だという普遍的前提はない。法学もまた、普遍的前提ではありえない。殺人が肯定されるのが顕著なのが、戦争だ。政府は、戦争において殺人を認める」

 ねずみが狂喜したように手紙を送ってきた。

「認めた。殺人の正統性を認めたぞ。ならば、ねずみを殺すことが正しいように、人類を殺すことも正しいのだろう?」

 ぼくは嘲笑って、郵便的な手紙を書いた。

「笑わせるな。おまえごときが、何千年と積み重ねられてきた刑法の法則を破る天才のつもりか。英雄のつもりか。うぬぼれるな」

 そして、ねずみは黙った。このように、ねずみをぼくが殺すのは正しい。

 現在の日本において、新しい特許というものは毎年、八万件以上ある。現在の人類の最先端理論が八万件以上の回数で脱構築されているということだ。

 ねずみを殺してはいけないというのなら、この八万件の脱構築に対抗できるくらいでなければならないよ。

 ぼくは、産業革命の頃、墓をあばき、解剖学の研究をしていたヨーロッパの医学者とかを尊敬している。みんな、墓荒らしの犯罪者だ。

 この作品は、ティプトリーJrの「鼠に残酷なことのできない心理学者」に着想を得て作ったものだけど、いい題名が浮かばないんで、まだ題名を迷っている。最後に、これから、題名だけ考えるつもりだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人類がねずみを管理するなど 木島別弥(旧:へげぞぞ) @tuorua9876

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る