音楽隊

歌鳥

音楽隊(全編)

 脚はいまにもちぎれそうなほどに痛む。もはや立っているのも苦痛なほどだが、ロバは歩きつづけた。この旅を済ませないことには、休むことすらままならない。

 夜道は曲がりくねっていた。大きな岩を迂回したところで、犬に出会った。

「今晩は」犬が言った。

「……お仲間か」ロバはうなずいた。「道理で、やかましく吠えたてないと思ったぜ。なんだい、そのザマは。見られたもんじゃないな」

 岩陰に寝そべっていた犬は、悲しげに自分の身体を振り返った。ロバに目を転じると、痛々しげにかぶりをふった。

「あなたの方も、ひどい有様ですね」

「お互い様か」ロバは痛んだ脚を左右に揺すった。「せっかくの同類だ、しばらく居座って世間話でもしたいところなんだがな。先を急ぐんだ、悪いがこれで失礼するぜ」

「遠出ですか?」犬は目を細める。「その身体で?」

「行かにゃならんのさ、どうしてもな」

「どちらまで?」

「フレーメン」

 犬の表情ががらりと変わった。

「まさか、お目当てはデサンという名の少年ではないでしょうね?」

 ロバは驚きのあまり、疲れも忘れて嘶いた。「なんで知ってる」

 犬は無言でロバを見つめた。ロバは大声で笑った。

「こりゃ傑作だ、おまえ、まさしくお仲間だぜ。どうだ、一緒に来る気はないか?」

 ロバは誘いをかけた。犬はなおも無言だ。

「その身体だ、無理にとは言わんが――」

「おわかりでしょうか」ロバの言葉を犬は途中で遮った。低く、呟くような笑いを漏らす。

「もし可能ならば、私はちぎれんばかりに尻尾を振っているところですよ」

「決まりだ」ロバは喉を振わせ、天を仰いで嘶いた。犬も立ち上がると、その声に合わせるようにして遠吠えを放った。

「行こうぜ」ロバは言った。「おまえが先に歩きな。おまえは鼻が利くからな」


 その鼻が探り当てた。二頭が出会った場所から、しばらく進んだ場所だった。深く茂った藪のなかに、一匹の猫がうずくまっていた。

 犬は絶句している。「……何とも」

「すげえな」ロバは痛々しげに首を振った。

「放っといてちょうだい」猫は甲高い声をあげて抗議した。「あんたたちだって似たようなもんじゃない。何よ、オバケでも見るような眼しちゃってさ」

「これは失礼」犬は目を伏せる。

「これでもあたし、プライド高いんですからね」

 挑むように宣言したあと、猫は態度を変え、小さく溜息をついた。

「そうは言っても、この恰好じゃあね。あーあ、せっかくの美貌が台無しだわ」

「失礼ですが」犬が口をはさんだ。「もしや、デサンという名に聞き覚えがあるのでは?」

 猫の片方の瞳が、闇の中で光を放った。

「何よ、あんたらあいつの知り合い?」

「ある意味でな」ロバが答えた。「おまえも、俺たちのお仲間だ」

「我々はフレーメンの彼の家へ向かうところです。よろしければ――」

「行く行く!」猫はいきなり跳びはねた。「何よ、それならそうと早く言ってくれなきゃ! ああもう、時間を無駄にしちゃったわ。さあ行きましょ、なにしてるの、早く!」

 焦れる猫に対して、ロバは冷静だった。天を仰いで喉を振わせると、犬がそれに合わせて吠えた。落ちつきを取り戻した猫は、普段は発情期にしか使わない声で、夜空に向かって喚いた。

「行きましょう」犬が言った。「猫殿、お先に。あなたは夜目が利くでしょう」

「今じゃそれも怪しいけどね」嘆きながらも、猫はしゃなりと身をくねらせ、先に立って歩きはじめた。


 一行はフレーメンの住宅街にたどりついた。しばらく進んだところで、猫が不意に立ち止まった。

「おいしそうな匂いがするわね」

「よく食事なんかする気になるな」ロバは呆れたが、犬は小さく鼻を鳴らした。

「そういう意味ではないようですよ」

 そこは住宅街の一角、小さな林の側だった。木の根元、落ち葉に埋もれるようにして、一羽の鶏が丸くなっていた。

 鶏は怯えている。「君たち……誰? 僕になんの用?」

 ロバは勘が冴えていた。「なんてこった、またお仲間かよ」

「怖がらないで」犬が優しく声をかけた。「危害は加えません」

 鶏は不安を隠そうともしない。「暗いところじゃ、僕は目が見えないんだ。だけど……」淡い光を投げかける街灯にちらりと目をやり、次いで、傍らの猫に顔を向ける。

「君、僕を食べるつもりなの?」

「やめとくわ」と猫。「あんた、ちっともおいしそうには見えないもの」

「わからんかもしれんが、俺たちもおまえの同類だ」ロバは慎重に言葉を選んだ。「そこで確認しときたいんだがな。おまえ、デサンて名のガキを知ってるな?」

「……デサン」鶏は繰り返す。と、不意に甲高い声で「ああ、知ってる、知ってるよ!」

「やはり」犬はうなずく。

「デサン、あいつだ、あいつだよ!」鶏は興奮している。「あいつが、あいつが僕を、こ、こんなふうに……!」

「落ちつけ」ロバが言った。「俺たちは奴の家へ行く途中だ。どうだ、一緒に来るだろ?」

「もちろん、もちろん!」熱くうなずいた鶏は、しかし突然、自信をなくした。「でも、僕目が見えないし、ひょっとして足手まといじゃ……」

「心配するな。連れてってやるよ、俺の背に乗れ」

 犬が不安げな視線をロバに向ける。「大丈夫ですか? お疲れでしょう?」

「いや」ロバは不敵に笑ってみせた。

 不思議だった。仲間が増えるにつれ、目的地へ近づくにつれて、傷つき疲れたロバの体内に、新たな力が湧きあがってくるようだった。

 感情の高ぶりを押さえられなかった。夜空へ喉を向け、力まかせに嘶いた。すかさず犬が後に続く。それに猫の喚きが加わり、最後に、鶏が自信たっぷりに、数時間早い鬨の声を重ねた。

「聞いたか、いまの歌声!」ロバは叫んだ。「行こうぜ、俺たちゃ楽団だ。デサンの奴に、俺たちの演奏をたっぷりと聞かせてやろうぜ!」


 家は静まりかえっていた。ロバの背に乗り、窓から部屋の様子を覗いた犬は、仲間に向かってうなずいた。

「間違いありません、彼です。ぐっすり眠っています」

「早く入ろう! さあ、早く窓を破って!」待ち切れなくなった鶏が叫んだ。

「まあ落ちつけ」ロバが諭した。

「作戦をたてようぜ。こっそり忍びこんだほうが、お客も喜ぶ。猫よ、おまえ、屋根から煙突に潜れるか?」

「まかせといて」

「よし。鶏を連れて中に入れ。潜りこめたら、鶏は警報機を探してスイッチを切れ。猫は玄関の鍵を開けろ。俺は犬と家の周りを見まわってくる。うまくいったら玄関で会おう」

 鶏は怯えることもなく、おとなしく猫の顎に身をあずけた。猫は植木伝いに屋根へ登り、煙突の陰に消えた。

 ロバは犬を背に乗せたまま、家の周囲をぐるりと歩いた。途中の窓で立ち止まり、犬が様子を探る。

「両親です。……目覚める気配はありません」

 ロバはうなずき、玄関へ向かった。扉は既に開いていた。

「簡単だったよ。廊下は明かりがついてたしね」

「あいつの部屋の鍵も開けといたわ」

 ロバは再びうなずいた。全身の毛が逆立つ感触を覚えたが、それが錯覚だということはわかっていた。玄関をくぐり、廊下を抜ける。仲間が後に続く。

 目的の扉は、猫の手によってわずかに開いていた。鼻先で押し開ける――痛みは感じない。ベッドの脇に立つ。毛布をかぶった少年が、こちらに背を向けて寝息をたてている。

 ロバは歯をむき出して笑った。その背に犬が飛び乗る。犬の背に猫が、猫の背に鶏が飛び上がった。

「やるぜ」ロバが呟いた。「幕を開けよう。演奏開始だ」


 その異様な気配に、デサン少年は目を覚ました。

 朝までにはまだ間があるということは、瞼の重さが示していた。昼間の『遊び』で疲れているはずのデサンにとって、真夜中の目覚めは極めて稀な事態だった。

 背中に気配を感じた。何かの吐息を感じた。

 闇に目を開いた。壁に立てかけてある愛用のバット――本来の目的で使われたことは一度もない――の位置を確認し、できるだけ素早い動きで振りかえると、明かりのスイッチを押した。

 光に目が慣れるまで、若干の時間を要した。視力を回復したデサンは気配に目を凝らし、そして、凍りついた。

 気配の主は、ありえない者たちだった。本来ならばじっと動けず、気配を発することなどできないはずの者たちだった。

 デサンは天井から、ゆっくりと視線を下ろしていった。

 天井近く、デサンの遥か頭上には、一羽の鶏がいた。異形の鶏が。たとえ全ての羽毛を失い、鶏冠を毟り取られ、首をへし折られてはいても、それが雄鶏だということは一目でわかった。そう、他ならぬデサンには。

 鶏の足場には猫がいた。片方の瞳が、針のように細い瞳が、デサンを見つめている。もう片方の瞳は存在しない。そこにあるのは赤黒い空洞だ。乾いた血液が、頭部の毛を強ばらせている。ナイフでは切断しきれなかった首の骨が、頭と胴体をかろうじてつないでいた。

 デサンはさらに視線を落とした。犬の姿が目に入った。顎の肉が削り取られ、骨が剥き出しになっている。針金で縛られた顎を開こうと、無理に暴れた結果だった。長かった尾は見当たらない。同じく針金で縛った場所から、その存在を無くしていた。恐らくは道端の杭に、今も縛りつけられているのだろう。

 存在しない尻尾の先、犬の足元には、大きな黒い物体が四足で立っていた。それが動物だということは判別し難い――だがデサンは知っていた。それが牧場に繋がれていたロバであることを。逃れることもできぬまま、ガソリンをかけられ、火をつけられたことを。デサンはその場にいた。のたうちまわって苦しむロバが、次第に動きを止め、黒焦げになってゆくのを、デサンは見ていたのだった。そのロバがいま、デサンの部屋にいる。焦げた四本の脚で、この部屋の床を力強く踏みしめている。

 屍たちは一斉に口を開いた。ロバの嘶き、犬の遠吠え、猫の喚き、鶏の鬨の声――それに重ねるように、デサンの口から悲鳴があがった。

 歌声を合図に、屍たちは襲いかかった。抵抗する気力もないまま、デサンはロバの背に乗せられた。その上に犬が、猫が、鶏が飛び乗り、デサンを押さえつけた。

「さあ、これから最後のひとっ走りだ」頭の中で声が言った。

「送り届けてやるぜ、おまえを――地獄へな」


 翌朝、目を覚ました両親は、デサンの姿が見当たらないことに気づいた。捜査に訪れた警察は、屋内に残された複数の動物の痕跡に頭をひねった。

 捜査の経過で、デサンが動物たちに与えた虐待の数々が明るみに出た。が、それと誘拐事件の関連に気づいた捜査官はいなかった。恥じた両親はフレーメンを離れ、やがては事件も忘れ去られた。

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