記録抹殺執行機関

零井あだむ

記録抹殺執行機関

 誰かの記憶に残りたい。そう思いながら生きる事は、生物である限り不思議な事ではない。多くの子孫を残すことが生物としての誉れならば、多くの情報を後世に残す事は、とりわけヒトという種に赦された最上の誉れである。


 人々の脳から脳へと伝達される情報の繰り返しの果てに、ヒトという種は社会を形成し、文明を創り上げてきた。サルから進化し、頭蓋骨に浮かぶたった1200グラム程度の灰白質が生みだしたホモ・サピエンスの生存戦略――研究者はそれらを遺伝子に例えて、模倣子ミームと呼んだ。


 だけれど、例えば自分が生きた世界の中で、何も生きた軌跡を遺せなかったとすれば? 母親の胎内から生まれ出て、老いて死ぬまでの時間までを全て否定され、挙句に抹消されたとすれば?


 ――それは生命体としての絶望で、存在価値の絶対的な否定だ。


 古代ローマでは、元老院の支配体制に反逆した人間には、死後にその人物の存在した痕跡、名誉などの一切の情報を抹消する措置を実行したという。


 残念ながら、これは過去の話ではない。古代ローマでの話でも、同時多発テロ事件後に愛国者法が施行されたアメリカの話でもない。


 これは未来の物語だ。少しだけ歴史の軸に歪みが生じてしまって、記憶が創りだす迷宮の末に辿り着く結果に大きな違いが産まれてしまった世界。人々から忘れ去られることが、即ち社会的致死性を帯びてしまった場所。記憶と記憶の伝達で生まれる新たな情報の継承が、危険視されている社会。


 記録抹殺執行機関――通称、ダムナティオ・メモリアエ。


 僕の仕事は、きみの記憶を奪う事。

 

 だから教えて欲しい。僕がきみの記憶に残る最後の一人として。


 ――きみは僕の事を、いつまで覚えていてくれるのだろうか?



                   *


「『大きなお友達ビッグ・ブラザー』より『河童ドーバーデーモン』へ。追跡対象は旧新宿エリアを逃走中。抹殺執行官オペレーターは速やかに現場に急行、確保の後対象を確実に抹殺せよ」


「こちら『河童ドーバーデーモン』了解した」


 骨伝導型無線機から響く通信に返事をすると、僕は補助電脳ヘルメットのバイザーに電子投影された立体市街地マップに眼を向けた。ヘルメットに搭載された多目的分析装置が『大きなお友達ビック・ブラザー』と呼ばれるスーパーコンピューターによる並列分散処理結果を受信、ヘッド・アップ・ディスプレイHUDを通じて常に最適な結果を僕に知らせてくれる。まさに頼れるお友達。僕は提示されたルートに沿って対象を追跡し、ポインターで示された位置にて任務を実行すればいい。


  考える必要も、悩む必要も無い。


 僕が多目的浮遊偵察機タクティカル・ホバー・バイクに跨ると、内蔵型CPUと補助電脳との同期が開始。最短ルートの設定が完了するとすぐさま目的地への加速が開始され、ツインローターが微かな旋回音を立てながら、地面の少し上を滑るように浮上する。


 バイザー越しの僕の視界を通り過ぎるのは、何処までも立ち並ぶ廃墟の群れだった。高層ビルのガラスは全て割れ、ひび割れた道路の隙間からは細い木々が顔を出し、この場所から文明が失われて久しい事を示していた。


 かつては最先端の文明が集う街として繁栄の華が開いた首都、東京。常に文明の火が消えない場所として、宇宙の彼方からでも人間の存在が認知出来たという栄華の結晶は、二十年前程に失われてしまった。今や新宿や池袋などと言った呼称は既にエリアを識別する為の記号でしかない。だから、今ここに存在している人間は本当に僅かだ。


 ――僕と、そしてまだ出会うことの無いきみ。きっとその二人だけだ。


 きみはきっと僕と会いたくないだろうけど、僕はきみに会わなければならない。都市がそうさせる運命として、そして、過去現在未来の場所から、きみの存在を葬り去る為に。

 

 追跡対象は僅かに速度を上げたのみで、僕の追跡に気付いているような素振りは一切見せなかった。旧東京都庁から旧新宿駅付近に掛けて移動中の対象を、ホバーバイクで執拗に追跡していく。バイクな空を切る音以外は、エンジンの振動音が腰を微かに揺らす程度。さしずめ森に潜むふくろうのように、都会の森に隠れた鼠を狩りだす仕事にかけては、お手の物だった。


 ビーコンの反応は近いはず。なのにその姿は見えない。だとすると考えられるのは、沈下した地盤の隙間から地下道に潜伏したと言う可能性だ。


 見ると、道路の中心にまるで巨人の手に抉り取られたような穴が存在し、そこから奥に繋がっているように見える。データベースに情報は記載されていないものの、調査してみる価値は十二分にある。


 僕はバイクから飛び降りると、ボディスーツの腰に据え付けられたポーチから、円筒状の形をした物体を取りだした。その上部に取り付けられたスイッチを押し込むと、僕はゴミでも捨てるように、地下に向けて放り投げた。


 スレット・ディティクション・グレネード。手榴弾と言えども放つのは爆風では無い。肉眼では視認できない音波を波紋状に発信することで、HUDに外敵や地形の位置情報が表示されるという優れものだ。投擲してしばらくすると赤色の波紋が一面に広がり、障害物や地下に至る道筋が一瞬で着色され、それが『大きなお友達ビッグ・ブラザー』にフィードバックされる。


 するとディスプレイに表示されたマップの中に蠢く人影が数名あった。スレット感知にて着色されたのはおよそ六名で、その全てが自動小銃で武装し、標的を囲むような形で護衛している。


 ――状況開始。


 左手に装着されたウェアラブル・コンピュータのタッチパネルを数度叩く。すると、僕の身体を覆い尽くすスーツが色彩を変え、周囲の背景に溶け込んでいく。環境追従型迷彩装置。スーツが周囲の環境を自動的に解析し、偽装アルゴリズムが生成したカモフラージュパターンをスーツ表面に自動投影。僕を科学的なカメレオンにしてくれる魔法のドレスだ。


 勿論、このスーツの秘密はそれだけじゃない。


 武装した民兵の背後に忍び寄り、口を押さえて頸部を捩じり切った。スーツに内蔵された人工筋肉と、外部接続された強化外骨格の補助により、僕の両手は通常の数倍の膂力を出す事が出来る。驚愕と困惑が合わさった呻き声が、僕の掌から漏れ出る。しかし断末魔は誰に聞こえる事も無い。


 光学迷彩技術と人工筋肉を内蔵し、身体に密着させる事で身体機能の促進を図る複合型強化外骨格マルチプル・パワードスーツ。骨格が露出したような痩躯に加え、鋭い眼光を思わせる補助電脳ヘルメットと合わさった外見からよく『河童カッパ』と呼称されることがある。直立二足歩行の両生類に似ていなくもないこのスーツはまだ試作段階。僕が被験者として試験運用している形なので、従って僕のコールサインも『河童ドーバーデーモン』。呼び名が気に入っているかと言えば微妙な所だけど、スーツの性能にはは太鼓判を押しても良い。。


 仲間がいなくなった不穏を感じ取ったのか、また一人振り返った民兵の額を、ホルスターから抜いた減音機サプレッサ付きハンドガンで撃ち抜いた。減音機により押し殺された銃声は、這い寄る死神の鎌となって、静寂なる死を与えた。眉間に空いた孔以外には生前と何も変わらない死体がまた一つ出来上がるが、残念ながら隠密任務ステルスミッションはここまでのようだ。


「DMの奴らだ!」


 僕の職場の名前が高らかに叫ばれる。全くもって大正解だ。ダムナティオ・メモリアエDamnatio Memoriae。通称DM機関。襲撃者の姿が見えないなりに、彼らの察しは良いらしい。


 ――僕はきみたちから、記憶を奪いに来た。


 標的を護衛する民兵たちが、手にした自動小銃カラシニコフを何も無い暗闇に乱射し始める。確かに、光学迷彩持ちの相手に弾幕を張ることは悪い手では無い。ただ残念ながら、一度僕が射撃をした場所に居たままかというと、そうではないのだ。

 僕は姿勢を低くしたまま、民兵達の集団の真ん中に飛び込んだ。風が流れる僅かな違和感に、民兵達は一瞬眉を動かしたが、もう既に遅い。


 一人目の胸に数発銃弾を叩きこむと、左を向いて照準、また新たな鉛玉で洗礼を与えてやる。残りの四人も同じように、機械のような精密さで始末していく。


 僕の射撃方法は、一見通常のものとは変わって見える。右腕と左腕を直角に組み合わせることで、銃を顔の近くに引きつける。近接戦闘における射撃の正確さを向上させる実戦的なシューティング・スタイルとして、執行官養成所オペレーター・スクールの戦術学習装置がはじき出した最適解だった。


 排出された薬莢が地面に幾重の金属音を響かせると、同時に、全ての民兵が崩れ落ちる。その証拠が、透明人間の姿を看破することなく事切れた、五人の死体だ。


 そして、生存者はあと一人。


 ビーコンの発光と、生存者の居場所が重なる。目の前に居る人間が、僕に出会うべくして出会った標的だ。背の丈は僕より少し小さいくらい。フードを被っていて顔は見えない。僕は環境追従迷彩のスイッチを切り、敢えて標的の前に姿を晒した。

 僕の姿が現れると同時に、標的もフードを外した。


「こんにちは――『河童カッパ』さん。あなたに会うのは、初めてよね」


  病的なまでに透き通った肌に、淡い金髪が映える少女だった。しかし彼女が羽織っていた黒いフードは、死を悼む喪服のように彼女の個性を殺していた。


 蒼色の宝石が嵌ったように綺麗な瞳が、僕を見上げていた。バイザー越しに彼女を見ると、煩い位に『大きなお友達ビッグ・ブラザー』が、警告音を発し始めている。


『警告』『CAUTION』『執行対象』『大規模模倣子災害の危険あり』『模倣子汚染の危険あり』『模倣子汚染の危険あり』『模倣子汚染の危険あり』『模倣子汚染の危険あり』『模倣子汚染の危険あり』――所狭しと警告が飛び出し、彼女の美しい顔立ちを台無しにしている。


「結局、此処まで追って来られた訳ね。感知しているのは私の知り得た■■■■■的な情報な訳で、それをどう取り除こうとしても■■■■■が関与している限り無駄という事ね。全く■■■■■って感じだわ。私の仲間がとんだ■■■■……という訳」


 少女の声に内包される危険性を嗅ぎ取った『大きなお友達ビッグ・ブラザー』が、検知した音声情報を即座に分析し検閲を掛ける。彼女の話す言葉の殆どにノイズがかかって話し言葉が聞き取れないという事は、それほどに彼女の孕む危険性は大きいのだろう。


「多分聞こえていないと思うけど、敢えて話すとしたら、私のもたらす■■■■■が、世界の■■■■■を揺るがす可能性があるって事よね。私には良く分からないけど、それって要するに、私は生きているだけで■■■■■って事?」


 しかし、危険なのは始めから承知の上だ。


 僕は躊躇無く警報装置のスイッチを切ると、バイザーを上げ素顔を晒した。『大きなお友達』の警告を無視して骨伝導式イヤホンを投げ捨てると、僕は裸眼で彼女を見つめた。


 ――ただし、銃口は彼女に向けたまま、だ。


「……驚いた、あなた、執行官オペレータでしょ。自分が何をしているか分かってるの」


 僕にも正直、自分がどうしてこんな事をしているのか分かっていない。


「こんにちは。はじめまして、だ」


 ただ一つ分かっているのは、僕は以前から、彼女と話してみたかった。

 それだけの事だ。


「ヒトの仲間を殺しておいて、よく平然と口を聞けるわね」


「綺麗な声だ。やっぱり検閲ノイズがかかっていない方がいい」


「意思の疎通が出来ないひと?」


「まぁ、そうとも言えるけど」


 僕は続けて言う。


「僕はきみと話してみたかった」


「だったらそのピストルを下ろしたらどう? 紳士としての礼儀がなってないわよ」


 ――それもそうだ。と僕は右腕を下ろした。しかしホルスターに仕舞う事はしない。安全装置を掛けることもしない。彼女から記憶を奪うのが、僕の任務だから。


「ずっときみが、気になっていたんだ」


 僕は言った。


致死的模倣子保有者デッドミーム・ホルダーに指定されてから、きみは何度も何度も逃げ続けてきた。執行官の追跡を全て振り切って、此処に至るまでの全てを徹底的に回避して尚、逃げ続けた」


「そう、厄介なお話。致死的模倣子デッドミームなんて、持ちたくもなかったのに、私は知らない内に、世界の滅亡に片足を突っ込んでいただなんて」


 模倣子ミーム――という言葉がある。簡単に言えば言語や伝説、音楽やファッションなど、文化が発展していく内に伝播し伝承されていくうちに形が変容していく情報の形を、遺伝子になぞらえて形容したものを言う。


「シンプルに言えば、きみは世界のバランスが崩れる位の情報を知ってしまった」


 しかし、2000年代に入り、頻発するテロリズムが世界的な問題になった。加えて世界経済の不安定化を皮切りに、世界各国にて内戦や民族紛争が多発していった。その中で勃発したのが第三次世界大戦だ。


「前の戦争の原因って、私みたいな人間が沢山いたからでしょう。危険な思想や情報を持ったまま多くの人と触れ合って、自らの情報を際限無く伝播させていくうちに、次第にそれが喧嘩や諍い、最終的には虐殺や戦争の火種となっていく。誰もが気付かないうちに感染した思想のウイルスが繁殖した結果、世界は滅亡寸前になった」


 誰かに伝播、伝承される事により、世界を揺るがす力を持った情報体。ヒトの言葉や思想を媒介にして文明を崩壊に導く、姿かたちなき文化の病原体。


 それが、致死的模倣子デッドミーム


 僕と彼女が立っているのは、旧新宿の地下空洞。高高度核爆発EMP攻撃により基幹インフラが完全に死に絶え、廃墟化した東京。つまり死にかけの世界の内側だ。滅亡しかけた世界は、どうにかして崖っぷちの場所で留まっている。


「世界規模の模倣子災害ミームハザードだったというわけなんだろ、あの戦争は」


「今度は私が、その爆心地グラウンド・ゼロとなりそうってわけ」


「だから僕は君を撃たなければならない」


「その鉄砲でね。今も私のことを殺したいと思ってる?」


「殺したいとは思ってない。だけれど殺さなければいけないとは思ってる」


 それが僕の仕事だから。


 僕が右手にぶら下げている拳銃――ネオベレッタ製90Xスマートピストル。旧世代の拳銃を原型に開発された多機能型自動拳銃マルチプルオートマチックで、装備している補助電脳を介して連携し、最適な射撃精度を実現してくれる。だが、この拳銃が特別な部分は別にある。


 少女の目線が、辺りに散らばった薬莢に注がれている。


「今この瞬間も、私の仲間は世界の記憶から忘れ去られているのね」


 僕の拳銃に装填されている弾丸には、対象に着弾した瞬間、ナノマシンが即座に侵食する特殊弾頭メモリージャッカーが付与されている。血中から脳内の記憶を司る部分全てにナノマシンが伝播し、瞬間的に『大きなお友達ビッグブラザー』に同期を開始する。


「残念ながらこの世界に生まれた以上、私とて体調管理ヘルスケアや社会福祉はナノマシンや『大きなお友達ビッグブラザー』に頼りっきりだもん。悲しいわね。長い間私を守ってくれた、彼らの名前や存在ですらも、もう思いだせない。きっとそのうち、気にすることすら無くなってしまう」


 致死的模倣子を抽出した『大きなお友達ビッグブラザー』は、その存在記録を現在過去未来に消し去る為『大きなお友達』と接続している全ての人間の記憶から、致死的模倣子デッドミームに関連するだろう全ての部分が抹消されてしまう。つまり、致死的模倣子デッドミームを保有していた人間に関わるほぼ全ての記憶が、大多数の人間から永遠に剥奪されてしまう。


 死んでも誰かの心の中で生き続ける――という贅沢は、この世界では許されないのだ。


「つい最近までは、テレビの中で致死的模倣子保有者デッドミームホルダーが処分されても、そう言うものでしかないんだとしか考えられなかった。テロや戦争を引き起こす危険思想の持ち主が処分されて、一層世界が平和的になるのかと考えていたけれど、まさか自分が当事者になって見ると、やっぱり怖いものよね。自分の存在が永遠に消滅してしまうだなんて」


 死を目前にした諧謔なのだろうか。彼女はいやに饒舌に語り続けた。その中で、ふと彼女の表情に笑みが混じる。


「あなた、どうして私を殺さないの?」


 少女の口角が僅かに上がる。


「私は致死的模倣子保有者デッドミームホルダーで、あなたは記憶抹殺執行官DMオペレーター。殺し、殺される関係なはずでしょ?」


 彼女の蒼い目が、僕の深層に問い掛けてくる。模倣子汚染の可能性が僕の頭をよぎるが、今更そんな事を考えても仕方が無い。


「確かに僕は、今まで多くの致死的模倣子保有者デッドミーム・ホルダーを殺してきた」


 僕は自分の内側を、いとも自然に語り始めてしまう。


「僕は戦災孤児だったから、施設でずっと暮らしていたんだ。両親の顔は知らない。十八歳になって受けた職業適性検査で、執行官の適性があるって結果が出た。だからこうして、機関DMに入って、訓練を受けて、人を殺す仕事で食べてきた」


 戦争だとか、世界情勢だとかに関心を持った事は今まで無かった。施設では両親や親族が居ない子供は当たり前だったから、一人でいることに孤独を感じたことはなかった。言うことを聞いていれば、何ひとつ不自由無く暮らせてきた。


 逆に言えば、だから他人の命に無関心になっていたのかもしれない。


「人殺しに病んで仕事を辞める同僚も多かったけど、僕自身、この仕事に苦を感じる事はなかった。初めて他人の命を奪った夜でも、平然と眠ることが出来た。仕事を続けていくうちに、感謝をされるようになったしね。そう思うと、僕みたいな人間が社会に貢献しているという実感を持てるようになった。だけど幾ら評価された所で、充実感を得ることはなかった。そこで僕は気付いたんだ」


 生まれてこのかた、自分の生きる意味も知らず、ただ敷かれたレールの上を走ったまま人殺しを続けて来た中で、誰を殺しても動揺もしない機械のような人間。


「――僕は生まれてずっと、凍りついたままだったんだって」


 それは生ける屍リビングデッドのような生き方だ。


 自分の価値や存在理由を求めるのが人生だとしたら、僕はいままで『生きる』という事をしていなかった。『大きなお友達ビッグ・ブラザー』は何も教えてはくれない。毎日人殺しを繰り返していても、何も答えは見えてこない。


「――だけど、今朝は何となく違ったんだ」


 少女は黙って聞いていた。綺麗な瞳で僕の眼を真っ直ぐに見上げながら。あるいはそれは、冷笑や嘲りに近い表情だったのかもしれない。


執行対象ターゲットとしてきみの顔を観た時、僕の凍りついた心臓が、なんとなく動き出したんだ。ふとした瞬間に、何かが変わる予感がしたんだ。それが何か分からないけど、きみと出会うことが、僕の運命に変化をもたらす気がしていた」


「――私との出会いが、運命じみてたってこと?」


 少女は僕をからかうように、年相応の笑いを見せた。


「お姫様扱いされるのは、嫌いじゃないけど」


「理由は分からないけど、きみの存在自体が、僕の何かを動かしているんだ。ついさっき、きみと話すまでは、僕は君を殺すつもりだったのだけど」


 正直、今も反対側の脳味噌が、彼女を殺せと囁いている。理性の天秤が少し逆側に傾いてしまえば、僕はすぐにでも、彼女に引導を渡してしまえるだろう。


「ねえ、単純にそれって、一目惚れってやつじゃないの?」


 小悪魔のような眼つき。いや、形容するなら少女の皮を被った悪魔だ。彼女の動向あるいは言動が、複数の人間の生死を左右するのだ。けれどそんな彼女が僕に言う。


「私の事、好きなんでしょ」


「好きとか嫌いとか、そういう簡単なもので括れるものかどうかは分からないけれど、きみがそう言うなら、そうなのかもしれない」


 恋愛を経験した事は無い。社会に出てから女性とデートしたことはあったけれど、特定の異性と深い関係になったことは一度も無かった。大抵の女性が僕の職業と、僕の無味乾燥な人間性に愛想を尽かして離れていってしまった。それに対して何も感じなかった僕の方こそ、色々と問題があるのだけれど。


「単純に、好意を向けられる事は嫌なことじゃないけど、私があなたの好意に応えられるかどうかはまた別の話」


 はにかむ少女の顔は、素直に可愛く思えた。


「想像してみて。朝起きたら、両親が刃物を持ってお互いに殺し合っている光景を。端的に言って地獄なのよね。寝る前に私が呟いた言葉ひとつで両親が死ぬだなんて。私が吹き込んだ言葉のせいで、クラスメイトの半分が自殺した事もあった。私を診てくれた専門家の話によると、私の外見や言葉のリズム、声のトーンや選ぶ話題が、人間が元来持つ残虐性をちょうど喚起させるように出来ているんだって」


「後天的ではなく、先天的な致死的模倣子保有者デッドミーム・ホルダーってことか」


 お医者さんは『虐殺の文法』とでも言っていたかしら、と彼女は回想する。


「私に利用価値を見い出したのか、それとも私が無意識に操っていたのかは分からないけど、私を国外に連れ出そうとしていた人達が、さっきあなたが殺した人達」


 無様に血糊を垂れ流し、既に物言わぬ骸と化している人たち。


「……まぁ、彼らもまともじゃなかった。反体制派が集まって『大きなお友達ビッグブラザー』が支配する主要都市に片っ端から自爆テロを仕掛けていた根っからの過激派だったから、多分私を利用して、新たな混乱を生み出そうとしていたのは間違いない。だから彼らも、あなたに殺されても仕方がない人だったのかもしれない」


 ――僕に殺されても仕方が無い人。


 テロリストだったとしても、自分が誇られる主義主張がある分に、僕よりかは数段マシな存在だと思う。僕に殺される人間こそが、最大に不幸な存在だ。


「私が何を言いたいのか分かる?」


 彼女は再び、僕に挑みかけるように問い掛けた。


「つまり――」


 僕は一呼吸置いて、言う。


「僕はきみに操られているかもしれないってこと」


 模倣子汚染は、何も言葉だけで拡大する訳では無い。致死的模倣子デッド・ミームとカテゴライズされるほど強烈なモノとなれば、対象とかけ離れた場所でその写真を目にしたり、噂を耳にしただけでも簡単に汚染されてしまう危険性がある。この任務に僕が選ばれた理由の一つとして、僕が模倣子汚染に対する耐性が通常のそれより高いという傾向が見られたからだ。


 ――何にも興味を抱かず、誰も愛することがない。


 そんな人間が、執行官にはうってつけなのだ。


大きなお友達ビッグ・ブラザー』は、そういう人間を求めている。


「そういう事。あなたはそれでいいの? 操られる相手が『大きなお友達ビッグブラザー』から私に変わるだけ。あなたは被支配者として、これからも生き続けるのよ」


「でも、そんなこともうどうだっていいんだ」


 僕の語気が、次第に強まっていく。


「僕がきみに操られているとか、汚染されているとかはもう些細な問題なんだ」


「一途なのね、あなたは」


「迷うことを知らないだけさ」


 それは多分、選び取る選択肢が極端に少ない人生を送ってきたからだ。

 だから今度こそは、自分の手で選び取る人生を歩いていこう。


「でも、私と歩むことは、破滅の道を往くことよ。私が持つ致死的模倣子デッドミームは、存在しているだけで多くの人間を破滅へと追い込む黙示録の獣よ。それでも、あなたが私と歩むというのなら、私もあなたと共に往く」


 彼女は僕に、透き通った細腕を伸ばした。


 白い手首に、幾つもの傷が浮かんでいる。躊躇い傷や、あるいは本気で自分の命を断とうとした証の傷。今の僕にはそれが、聖痕のように美しいとさえ思えている。


「きみの存在が許されない世界ならば、それはきっと、世界そのものが間違いなんだ」


 僕は彼女の意思に応えた。銃を持たない腕で、彼女の手首を優しく包む。


「例えば、私が世界から消え去っても、あなたは私を覚えていてくれる?」


「――ああ。きみの存在を、世界から忘れさせやしない。僕らの存在を、僕らの生きた証を世界に刻みこんでやろう」


 にわかに、地下空洞の外側が騒がしくなる。僕が通信を切り、警告を無視した瞬間から異変を察知していた『大きなお友達ビッグブラザー』が、新たな執行官を寄こしたのだろう。僕も以前、致死的模倣子保有者デッドミームホルダーと接触した挙句に汚染された執行官を処分した事がある。まさかその時は、僕が狩りたてられる獲物となるとは思わなかった。


 敵の数は五人。その全てが銃器で武装している。


 僕は右手に持ったスマートピストルの弾倉を引き抜き、ポーチから新しいものへと交換する。遊底スライドを半分ほど引き、薬室に9ミリ口径の弾丸が収まっていることを目視で確認すると、安全装置セイフティを解除し、即座に戦闘態勢に移行する。


 ――僕の仕事は、きみの記憶を奪う事。


「ねえ、名前。あなたの名前が知りたい」


 私の名前はフラタニティ、と彼女は言った。フラタニティ友愛。単純に、綺麗な名前だと僕は思った。世界に調和をもたらすきみの存在に相応しい、聖母のように素敵な名前だ。


「僕は、僕の名前は――」


 フラッシュライトの鮮烈な光が暗黒を切り裂く。地下空洞に、僕とフラタニティきみの時間を侵す邪魔者が侵入してくる。特殊小銃スマートライフルを構えた執行官が、二人の周りを一瞬にして取り囲んだ。僕はもう一度バイザーを下ろして、きみとの時間を侵す奴らに敵意を向ける。


 澱み切った液体だった人生が、明確な勢いを帯びた潮流に変わっていく。ここから先は僕ときみの物語だ。誰にも邪魔をさせやしない。此処から先の未来は、僕たちがこの手で掴みとっていくのだから。


 僕は自分の名前を呟いた。「良い名前ね」と、彼女は微笑んでくれた。

 だから教えて欲しい。僕がきみの記憶に残る最後の一人として。


 ――きみは僕の事を、いつまで覚えていてくれるのだろうか?


End.

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