エピローグ

彼と彼女達

 白い天井が目に映し出された瞬間、言語化された感情は絶望だった。


「びょう、いん……?」


 白い壁、白いベッド。いつの間にか着替えさせられていた服は白く、ドラマで入院している患者が着ているものと瓜二つだった。


 近くにあったサイドテーブルの上には、数種類の果物が入ったカゴと、電子時計があった。日付はあのゴミ捨て場にあった『書』を持ってしまった日から凡そ四日後。


 妙に視線を引きつけられる本だなと、間抜けにも触れてしまい、四日も自分は正気を失っていたのだと、再び絶望する。


 その四日の中で、行った自分の行動は全て覚えていた。


 何故、自分はまだ意識がある。呼吸することができる。生きていることが許されている。


 頭の中を駆け巡るのはあの時の光景。好きな相手の心臓を抉り取り、恍惚の表情を浮かべる紛れもない己の姿。瞬間、吐き気がする。反射的に手で押さえる。胃の中のものが喉から上がってきて、口の中をいっぱいにしたところで止める。外には出さない。飲み込み返すと、気持ち悪いすっぱさと、胃液で喉がひりついた。


 落ち着きを取り戻してから、考え出したのは自殺の方法だった。


 好きな人を一度殺して、一度殺しかけた。学校をめちゃくちゃにした。大切だったものを全部この手で壊してしまった。


 あの『書』に寄生されていたから、なんて慰めは心を癒さない。刻まれた咎の傷の疼きに導かれるように、幸助はベッドから抜け出す。


 自殺しなければ、償わなければならない。


 ドアには外からカギがかけられていた。こちらからでは、開けようにない。後ろを振り返り、窓があることを認識。近寄ってみるも、はめ込み式のガラスだった。分厚く、殴り壊すことはできないだろう。これでは外へと飛び出すことは不可能だ。暖かな日光が鬱陶しくて、カーテンを閉める。


 どうする。どうやって死ぬ。


 廊下から聞こえてくる足音に焦りが募る。仕組みはわからないが、自分が起きたら合図が起こるようになっていたのだろう。誰かがこの部屋に向かって来ているのがわかった。このままでは、自殺が防がれてしまう。一刻も早く、死ぬことが求められる。


「……くそ、くそっ、くそぉっ!!」


 何か、何か武器はないのか。凶器になりえるものはないのかと部屋中を探しても見つからない。ベッドの下にも、サイドテーブルの引き出しにも何もない。あるのは電子時計と、果物カゴだ。これでは命は奪えない!


 腹立たしさのあまり、手で薙ぎ払うようにテーブルの上の物を叩き飛ばす。がしょんとコンクリートの床に落ちる時計。砕ける林檎と、潰れるみかん。メロンは割れ、果肉を無残にも破裂させていた。時間はもうない。足音が大きく聞こえる。


 舌を噛み切るしかないと決めて、口を開けようとしたそのときだった。


 テーブルの上に、一枚の付箋があった。


 何かの拍子で飛ばないようにと、カゴの下に挟まれていたのだろう。


 予感がした。捲ってはいけないという、警告が頭の中に響いた。それでも伸ばした手は引き留められない。ゆっくりと近づけ、手に取って書かれている文字に、


『また、教室で』


「あぁ……ああああぁぁあぁあぁぁぁぁ……っっっ!!」


 子供の様に声を上げて、泣くのを我慢できなかった。感情の波を抑え込めなかった。読むべきじゃなかった。気づいてしまえばもう、死ねない。殺した相手に未だ求められている事実が、謝罪の死ではなく贖罪の生を強制する。


 入ってきた看護婦に宥められながらも、幸助はただ蹲って嗚咽を流し続けた。







『……そういうわけで、今回の一件は全てこちらで処理しておきました。橘さんとあの委員長の方を被害者、先輩は協力者という形で事を収めています。黎明機関は動きません』

「助かる。苦労をかけるな」

『その一言で報われました。では失礼しますね。……良い休日を』


 ぷつりと、通話の途切れる音を聞き届けてから携帯を耳から話す。


 冬にしては暖かな昼下がり。駅前の広場にあるベンチに座り、由紀は深く息を漏らしていた。ようやく昨日の決着がついた、という心境である。


 戦闘で破損した校舎も、黎明機関の人間が魔法で修繕したとのこと。幸助も先ほど眼が覚めたと病院から連絡があった。様子を見に行ったときは、起きてきそうな気配なんてなかったのだが、どうやらすれ違ってしまったようだ。明日、また日を改めて行くとしよう。


 脅威は去り、日常が来る。


 あとはこっちを何とかするだけかと、由紀は隣で眉間に深い皺を刻むシロを見た。唇は重く閉ざされおり、梃子でも開きそうにない様子だ。


 昨日からずっとこの調子なのである。


 耳と尻尾の認識を魔法で誤魔化しているので、行き交う人々が異常を察知する恐れはない。彼ら彼女らの眼には、普通の少女としか捉えられないだろう。


「……食べるか?」


 露店で買ったベビーカステラを試しに一つ差し出すも反応はない。口元まで近づけ、鼻腔に砂糖の甘い香りを届けてやるとぱくりと、由紀の指ごと頬張って食べるもそれだけだ。


 聞いても胸中を開いてはくれないだろうなと、由紀が解決を時間に任せようとしたときだった。ぽつりと、小さな声が漏れ始める。


「思えば、兆候はあった」


 由紀に語り掛けるのではなく、自身へとシロは言葉を投げかける。


「初対面のとき、風呂場で裸の我と対面して逃げるのではなく前に出た。軟派な性格でもないくせに、さらっと風呂に誘いもした。極めつけにあの小娘達の好意を理解しながらも受け流した。……当然か、同性なら裸を見ても問題ないし、風呂に一緒に入るのも自然だ。そして同性からの好意を真に捉えるわけもない」


 全てに納得がいき、全てに筋が通っている。そう頷くも、シロの表情はまだ晴れない。雲があちらこちらに立ちこめている表情はとても渋く、苦々しい。


「……まあ、オレもお前がなんか誤解してるなって思ってたけど、オレから実は女だって態々言うのも変かなって思って。その内、気づくだろうって考えてて」

「変かなって思って? 気づくだろうって考えてて?」


 尻上がりのイントネーションで行われたオウム返しに、まずいと感じた時には遅かった。ぎろりと睨みつけながら、シロが怒りに牙を剥く。


「貴様のその安易な頭のせいで、我がどんな目にあっているか想像できるか!? 異性に『一緒にいてくれ』『ずっと暮らしていきたい』と言われたのだと、ずっと思っていたのだぞ! それを貴様、女だと……!? 我は貴様ならそういう関係になっても、」

「そういう関係って、どんな関係だ?」


 吠えたてるシロの勢いが、ぴたりと止まって萎んでいく。ごにょごにょと口をもごつかせながら、頬が林檎の様に赤く熟れていくと共に、尻尾でぺちぺちと由紀を叩き始める。痛くはない。叩くというよりも、撫でるとか当てるとか、それくらいの力である。


「この鈍感め、鈍感女め。あの小僧もさぞかし苦労したであろうな。向けられる感情に対して貴様は酷く無知だ。意味を理解するという回路が欠落してる」


 そこまで言われてかちんと来ないほど、由紀は聖人君子ではない。尻尾を払いのけ、むっとした表情で反論する。


「当たり前だろ。こんな目つきが悪くて、男っぽい顔立ちで、女らしさなんて微塵もないオレが、幸助に好かれてるだなんて思えるわけないだろうが」


 気配は感じることはできても、好ましいと受け取られるポイントがない以上、確信を持てないのは必然だ。色恋沙汰の勘違いほど、恥ずかしいものはない。


 だというのに、シロは幽霊でも見たかのような眼つきを由紀に向ける。


「……世間ではそれは、切れ長い目で、中性的な、男性的な魅力も兼ね揃えた女性として、かなり好まれる趣向だぞ?」


 言葉使いこそ難があるものの、容姿そのものに問題はないとシロはお世辞を言う。いいのだ、慰めはいらない。この容姿が怖がられるタイプのものであることは、重々承知している。だからこそ、クラスメイトは自分に近づかず、遠巻きに奇異の視線を投げるのだ。


 いまもこうして、道行く人々が由紀のほうを見てはぎょっとしている。


 これが何よりも証拠だ。


「ああ、そうか……壊滅的な服飾センスがそこに関係して、事実を歪ませているわけか……得心がいった。、とは良く言ったものだな……」


 ぶつぶつと小声で呟くのだから、良く聞き取れなかったが、きっと大したことではないだろう。尋ねずに流すことにするが、この重苦しい空気はまだ鎮座したままだ。


 転化できる話題はないかと、視線を泳がせて最終的にシロへと行きつく。そう言えば、あのときに浮上した疑問をまだ解決していなかったなと、由紀は口を開く。


「ところでシロって、その今の姿は魔法での変化なんだろ? なんで子供の姿に化けることにしたんだ?」


 気になりはしていたのだ。シロの描く魔狼のイメージと、この姿はあまりにかけ離れている。今ならば教えてもらえるかもしれないと、軽い気持ちの質問だった。


「記憶というのは中々に頼りないものでな。存在は覚えていても、姿形は霞んでいく」


 予想以上の重い返しが来る予感が、由紀の頬を 強張らせる。


「あの時代の写真は貴重品で手に入れられなかったし、我には絵心もなかった。そんな中で、ずっと覚えつづけようとするならば、これしかなかったのだ」


 リズィ。


 そう呼ばれた初めての友人の姿で、シロは寂しげに微笑む。


「無論、我が友リズィにコレは生えていない。少しは我としての名残りがないと、自身を見失ってしまうからな。耳と尻尾は我の意向で残したのだ」


 長い時の中で、忘れまいと必死に握りしめてきた大切な思い出が目の前にある。孤独の中にあってもシロがシロであることを保てたのは、きっとこの姿が理由だ。


 お互いに会ったこともない。生きていた時代すら違う。

 しかし、最大級の感謝を送りたい。

 

 ありがとう、貴方のおかげでシロと出会えた。


「貴重な休みをぼうっと座って潰すのは勿体ないよな、シロ」

 

 立ち上がり、手を伸ばす。


「いつまでも客用の箸と茶碗なのも寂しいだろう。まずそれを買い揃えに行かないか?」

 

 その手を狼は確かに握り、由紀の肌に己の肌を重ねて、満面の笑みで言った。


「ああ、行こう。――ユキ!」

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Fenrir heart!! 竹林四季 @nanahanekoto1122

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