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 暖かい。

 目覚めた瞬間、心地好い布に体を包まれていることを認識する。


「――――あ?」


 思考回路を血が巡りだす。

 錯誤する記憶を辿っていくに、どうも前と後とでかなり時間が経過しているのだと判断した。


 ここはミッドガンド王国、貴族区域。エリオの所有する屋敷の一部屋だ。

 ここ数日の間ずっと寝泊まりしていた寝床の上にいることを体が認識し、警戒の糸をほどきだす。


「おはようございます、イツキ様」


 横合いから女の声がかかる。


 顔を見なくとも声で分かる。この女こそ、このバカでかい屋敷にたった一人仕える従者だ。メイド、家政婦、執事、秘書など色々呼び方はあるが、エリオに首輪をつけられた犬であることは間違いない。


「……寝起きから最悪の気分だ。今日は厄日らしい」

「起きるなり随分な口のききようですね。少しは弱っているかと思っていましたのに」

「弱ってたらなんだよ。愛しのご主人様の愛しの勇者様だぜ。丁重に持て成せ」

「丁重ですよ。誰が貴方の後始末をしてあげたと思っているんですか」


 言われて見ると、何やら紋様の描かれた布がぐるぐると上半身を覆っている。

 イエローとオレンジで彩られたソレは、ひどく目に優しい色をしていた。


「……包帯でぐるぐる巻きって。俺、昨日そんなにケガした覚えないんだが」

「はぁ……バカは教えてもらったことをすぐ忘れるから大変ですね。

 昨日、帰ってから自分がどうなったのか覚えてないんですか?」

「あー……たしか」


 そう、たしか。

 たしかあの後、エリオの屋敷まですぐに帰った後、出迎えたヒスイとウルスラを見て、それから――――。


「帰ってきた後の記憶がねえ」

「記憶がないってことは、起きてなかったってことですよ。帰ってすぐに眠ってしまったでしょう。

 その布はただの包帯ではありません。対魔術用の医療具ですよ」


 エリオ様からレクチャーの続きですよ、とヒスイは前置きして、


「魔術の一種です。『見てはいけない』『敵意を持ってはならない』。その縛りを破ったから、脳がその罪悪感に耐えきれず疲弊したんです。

 『縛りを破ればその対価を払わなければならない』。貴方は何も対策せずその魔術を身に受け、代償として精神を蝕まれた。その包帯がなければ起きるのは1週間後でしたよ」

「げ、マジかよ」


 多分あの緑色の布だ。

 得体のしれないあの奇妙な布を、エリオは見るなと言っていた。つまり見れば何か被害を被るということで、順当に俺は攻撃を受けてしまっていたのか。


「ほんのちょっと目に入れただけで一週間も寝込むのかよ。インチキすぎだろ魔術って」

「原理は魔術の基礎ですが、話を聞くに相当高位の魔術師ですよ。

 基本は言語を用いて相手に縛りを科します。そしてその後の行動で、誰もが縛りから逃れられる余地を持つはずです。

 ですが貴方の受けた魔術は行程が少なく強制力が高い。即座に縛りの条件を満たし、その効能を発揮するとなると、布自体が高価なものか、その魔術を敵が修めている可能性が高いです」

「あーあー、専門用語は後にしてくれ。つまりどういうことだ?」

「……相手が強かったけど、包帯のおかげで助かったということです」

「おーけー理解した」


 ベッドから起き上がり、身体を見る。


 患部が眼だったからか、包帯は上半身にだけ巻かれていた。首と頭にもそれらは巻かれていて、顔にはかかっていないことを鏡を見て確認する。

 いや酷い。簡易ミイラだ。今の俺は髪が女のように長いので、お化け屋敷の一員みたいな面構えになってしまっている。


「バカは大変ですね。言葉の意味が理解できなくて」

「バカバカうるせえ。魔術のまの字しか知らねえ奴に専門用語バリバリで説明する奴がどこにいる。幼稚園児に超電磁理論を教えるようなもんだぞ」

「なるほど、幼稚園児だったんですね」

「モノの例えだバカ。まぁ後始末ご苦労。次も頼むぞ」

「次がないように努めてください」


 鏡に映るメイドはため息をつきながら、部屋を出ようとする。


 紫を帯び肩口まで切り揃えられた髪。

 衣服は俺のいた世界とは少し違う、けれどこの世界においても特異であろう、丈の長いエプロンドレス。


 出ていく前にヒスイはこちらを振り向いて、お決まりのセリフを口にする。


「1階の食堂で朝餉の支度が出来ております。身支度をし、その容貌が少しでもまともになるよう努力をしてからおいでください」

「言い方」


 切れ長の目と、感情の抑揚を感じさせない平静な声。

 冷たい顔でそれだけ告げると、ヒスイは部屋をさっさと出ていった。


 アレだな。人を人と思ってない感じの生き物だ。言動の隅々からまるで感情というものを感じない。

 丁寧な言葉と立派な従者の仕事ぶりから見るに出来る人間ではあるのだろうが、話していてまるで意に介されていない気がする。俺のことなんて眼中にないというか、会話をしていて人間味をあまり感じないのだ。

 こっちに来てから幾度か会っているものの、まるで相手にされていない。壁に向かって話しているようで、しかし会話は通じているのだから可笑しなものだ。


 ホントこの世界、まともな人間がいねえ。

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