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 頬を伝う汗が落ちる。

 暑さからくるものではない。エリオの魔術は利いている。しかし目の前の男の言いようのない圧と、金髪の男の怒りが発汗を促す。


 と言うか、こいつ今アメリカって言ったか?

 そもそも勇者ってなんだ。勇者は一人じゃねえのか。


 キン、とオイルライターの乾いた音がなる。

 金髪は煙草の箱から取り出した一本に火をつけ、かじる様にしてフィルターを口で咥える。


 静寂の中、誰もがその一服をただ見ていた。


「あー……やっぱうめえな。天気のいい日の一服は格別だぜ。そう思わねえか? 勇者様よォ」


 俺は煙草吸わねえっての。目の前でスパスパやんな公害物。


 試すように、金髪はこちらを見ている。


「なんだ、お前」

「自己紹介はしたじゃねえか。次はお前の番だぜチビ。名乗れよ、んでもってツラ見せろ」

「昭和のヤンキーかよ。名前と顔を覚えさせるメリットがねえだろうが。訳わかんねえな」

「分かんねえ、分かんねえか……本当に分かんねえのかてめェ」


 まただ。

 こいつの目からは抑えきれない怒りが漏れ出している。それもエリオやユスティヒさんには一切目もくれず、僕にだけの純粋な害意。


 恨みを買われるようなことはしていない。

 そもそも、こちとら異世界生活歴1週間足らず。それもあの洋館に閉じ籠りきりで外にロクに出ていない。前世でもこんな男とは一度としてかかわった覚えはない。断言できる。


 じゃあ、こいつは何をそんなにイラついているんだ?


 煙をくゆらせながら、金髪は顎で背後の男を指す。


「そこのおっさんさ、奴隷商なんだわ。結構やり手で、まぁゲスだけど俺の恩人」

「……おい」

「下手なことは言わねえっすよ。

 ……んでまぁ、俺は頭が上がらねえわけなんだが――俺にはもう一人、この世界に恩人がいてな」


 先ほどからかかる静止の声。だが信頼しているのか、大男は金髪が話すのを遮ろうとはしない。

 あっちは話ができそうな気配だ。つかこいつ、喋り過ぎだろ。なんでんなことまで僕に説明する必要があるのか理解に苦しむ。


 だが、話は読めてしまった。


「お前、殺したろ」

「あぁ……」


 確かにそんなこともあった。

 数日前に犯した初めての禁忌。今でも記憶に鮮やかに残っている。それこそ元いた世界の記憶よりも、二重の意味で新しい新鮮な過去。


「仇討ちか」

「その通りだ」


 男はタバコを吐き捨てて、足で踏みにじる。黒く濁った煙がかすれていく。


「つうわけで、死ねや」


 唐突だった。

 男が手を振るとそこからナイフが2本、頭を狙って飛んでくる。


 流石にここに至るとバカでも分かる。魔術だ。理屈は分からないが、何もない空間から何かを生み出すのがこいつの用いる戦法なのだと理解する。


 彼我の差は5m。流石にこれは避けられる――――


「あばよ」

「は――――」


 彼我の差はもうない。接近により詰められた距離。目の前には金髪の顔。迫るは銀の短剣。

 避けた体勢の脳天より、日光を映す銀刃が思考を埋める。


 これは避けられない――


「――ダメだよイツキ、ぼーっとしてたら」


 音もなく、金髪の剣が目の前で止まる。

 剣は透明な何かに阻まれている。多分、これも魔術だ。エリオが魔術を使って僕を守っている。

 それだけを理解し、崩れた体勢で転がって逃げる。


「……助かった」

「お礼は後で体で払ってほしいな」


 得意げな顔でエリオは笑う。家に帰ったらマッサージでもしてやろう。今のはマジで危なかった。


「それより前見て。あの前のめりな奴より、後ろの人のがヤバいよ」

「とんでもねえ。治安どうなってんだこの世界は。警察とかいねえのか」

「ケイサツとかいうのが何か分かんないけど、大丈夫だよ。彼がいるから」


 見れば、入れ替わるように前に出たユスティヒが金髪と戦い始めていた。

 互いに獲物は剣。ユスティヒさんは直剣で、金髪のは短剣――というより、サバイバルナイフか何かだあれ。形状がどこか見覚えあると思ったら、量産型の大型ナイフによく似ている。


 しかし壮絶だ。

 ユスティヒの手元が見えない。金属のぶつかり合う音が一合二合と聞こえてくるのに、その軌跡がどれだけ注視しても見えてこない。


 ユスティヒが圧倒的に優勢。

 金髪は防戦一方というよりは、もはや急所に剣をかざしてガードすることしか出来ていない。外套や顔に次々に切り傷が刻まれていき、それを打開する術を失っている。


「ッ――なんだよお前。あのガキの仲間か!? 邪魔すんじゃねえよ!」

「――――」

「クソがッ!」


 騎士は無言で剣を振る。それ以外に敵と語る術など持ち合わせていない。


 起死回生にと距離を取る金髪。

 そう、あの男には魔術がある。宙より有を取り出す手品。あれさえできれば、剣しか持たない男など幾らでもやりようはあるだろう。


 だがそれは許されない。

 バックステップはダッシュで相殺。鋭い突きが金髪の顔を貫く。背を反らしてそれを避けれど、続く剣閃は止むことがない。

 剣の間合いから逃げられない。男が何かを取り出すのならば、その瞬間に首が飛ぶ。剣戟の嵐に晒されれば、他に割く余裕がなくなるのは必定。


 当たり前のことを当たり前に、簡単なことを実行しているかのようにユスティヒは剣を振る。

 ただそれだけで、男は追い詰められていく。


「ッ――――!」


 抜けた声。直剣の強撃がガードの下から、サバイバルナイフをかち上げる。

 詰みの姿勢。男が獲物を手から離さなかったのは重畳、しかし、跳ねた右腕とがら空きの胴は致命的な隙。つまりは命の終わりを意味していた。


 だがそれは元の世界での話。

 この自分が魔術で助けられたのであれば、やはり敵を助けるのも魔術だろう。


「退け。分が悪い」


 緑色の布のようなものが金髪を守っていた。

 ユスティヒの直剣はその前で止まっている。布は空中でゆらゆらと揺れながら、しかし切り裂かれはしなかった。これも魔術なのだろう。奥にいる奴隷を率いた男が、外套の下より魔術を行使している。


 ……なんだあの色。見ているだけで心が混ぜられるような、汚濁した気分になってくる。見てはいけないものを、見ているようだ――――。


「見ちゃダメだよ。イツキにはまだ早い」


 小さな手が視界を覆う。小声で囁く悪魔の声は、あの緑色の布の危険性を伝えてくる。


 肩で息をしながら、金髪が安全圏へと下がる。


「は――助かったぜ、ありがとなおっさん」

「元騎士団長に、四代庭園家の異端児だ。勇者の方はゴミみたいなもんだが、俺でもこれは手に余る」

「あー、クソッ!」


 悪態をつきながら、僕の方へと向く目線。死にそうな目に遭ったというのに、衰えることのない敵意がこちらへと叩きつけられる。


「覚えてろ。そして恐怖しろ。俺はお前を殺すまで諦めねえ。ダーラッシュの仇は俺が討つ。絶対、絶対にだ!

 てめえ、魔術が使えねえだろ。磨け。死ぬ気で努力しろ。俺が殺しにいく時までにな。

 万全のお前を殺してやる。首洗って待ってろやチビガキ

 あと、茶髪のおっさん。あんたもだ。この借りは絶対に返す」


 ――負け犬の遠吠えは、しかし耳にとてもよく刺さる。


 あちらはこれ以上戦う気を持っていないらしい。奴隷商の男がたしなめる。


「敵に塩を送るな阿呆あほうが。いいから退くぞ」

「逃がすとお思いか」

「――――ッ!」


 そう、ここはこちらの国の中テリトリー

 元とは言えど国の警備員が、逃げる敵を追わない理由などない。


 声は遠くから。緑の布を引き裂いて、ユスティヒが金髪へと迫っていた。

 ひらめく銀剣。どのような手管を用いたのか、緑の布は引き裂けるらしい。ならばもう、先ほどのような邪魔は入らず、金髪の首は断ち切れるだろう――。


「勿体ないが、仕方がない」


 言って、奴隷商の男が傍らにいた子供を一人、放り投げた。


 放物線上には死を運ぶ銀の直剣。なんてことはない、盾として使うものを変えただけ。魔術で防げないのであれば、肉の盾を使えばいいだろう。


 ――外套の下より表れる、白髪の幼い少女の顔。

 瞳は極大に見開かれている。状況についていけていけず、驚きが瞳孔を開いたのが半分。そしてもう半分は、状況を理解し流れ出そうとする涙のため。


 ユスティヒの剣は止まらない。

 肉ごと目の前の敵を切るつもりだ。失われる子供の命。なんてことはない。ソレと勇者を襲った敵を逃すこととを天秤にかけ、より大きな利を取るだけの――――


「待て!」

「――ッ」


 ドサリと、投げられた子供が落ちる音がする。

 剣は振りかぶられたまま止まっていた。その先に男はもういない。


 ダズン、と重い音がした。見れば少し離れたところで、子供の足を縛っていた鎖を、外套の男が重々しい剣を用いて断ち切っていた。

 奴隷商と金髪の周囲には、色とりどりの布が浮かんでいる。


「はァ……怖いな。無垢な子供を切り捨てようとは」

「……投げたのはそちらでしょう」

「追わなければこちらも手出しはしない。オマケにそいつらもくれてやる。結構高かったんだがな。仕方がない。迷惑料と思ってくれ」

「待ちなさい」

「待てと言われて待つ阿呆あほうがいるか。

 勇者のお守りもお互い大変だな、元騎士団長様」


 言って、2人の男は去っていく。

 後に残るは3人の子供と、おそらく追っ手を撒くための罠である布だけ。


 エリオがスッと手を伸ばし、敵の魔術から守るためか視界を防ぐ。


「うーん、イツキは優しいね。優しくてたまんないなぁ」

「……うるせえ」

「それでこそ勇者様だよ」


 厭味ったらしい口ぶりで、子供をあやすかのように悪魔が囁く。

 分かってるさ。僕が止めたせいで、危ない奴らが野放しになったってことは。


 剣を鞘に納め、ユスティヒが駆け寄ってくる。


「すみません勇者様。逃がしてしまいました」

「……それを言うのは俺の方です。邪魔してすみません」

「いえ、正しいのは勇者様です。奴隷とはいえ、罪なき子を手にかけていたのは事実。私も、斬りたくはありませんでしたから」


 助かりましたと、苦笑するユスティヒ。


 彼はずっと正しかった。敵と戦ったのは全部彼で、俺は何もしていない。優れた者の邪魔を劣った者がするのは、何よりもすべきことのはずなのに――。


 ――あぁ、イライラする。

 のんびり観光気分に浮かれて、全く何も手についていない。油断だ。完全に油断していただろうお前は。投げ物を避けるためになんで視線を切ったんだ。あいつは完全に僕を狙っていたじゃないか。ならずっとあいつを見てなきゃいけなかった。モノを取り出す魔術なんて使ってたんだから猶更だ。あぁ、もう、なんて情けない――――


「ふー、不肖リンベル、ただいま戻りました! いやー道が混んでいてですね、広場に戻るのに時間がかかったと言いますか。あ、決して摘まみ食いとかしてないですよ。豊穣の女神イシュタルと、貿易の神ヘルメスに誓ってそんなことしてないです!

 ってアレアレ!? なんですかこの雰囲気? てゆーか、ユスティヒさん抜剣ばっけんしてます!? え、剣の練習的な!? まさか年に一度の舞闘会でしか目にかかれない、ユスティヒさんの剣舞でも披露してたとかそういう感じですか!? ずるいずるい! 勇者様ばっかり! 私も見たい、見たいんです! あの舞闘会のチケット、めちゃくちゃレアなんですからね!

 ……え、あれ……? まさか、なんかもっと大変な感じです……?」

「……おせえよ」


 思えば、何かの魔術でも使って人払いでもしていたのだろう。広場には元のように、この街の市民様方が戻ってきていた。

 同じように弾きだされていたのか、それとも本当にちんたらしていたのかは分からないが、帰ってきたリンベルを見て少し安心する。


 つか、マジでうるせえなこいつ。妄想力の化身だろ。


 リンベルは片手に大きめの紙袋を抱え、そこから長いバケットが飛び出ている。どう見ても買いすぎだ。僕らさっき昼食ったばっかなんだが。ブタになる。


「リンベルさん、少し警戒を。先ほど勇者様を狙ってアーキガノンの者が襲いに来ました。逃げていきましたが、今も近くにいるかもしれません」

「え!? 襲われたってマジです!? てか、アーキガノンって最近友好結んだばかりですよ!?」

「そのはずなんですがね」


 アーキガノンってなんだ。戦国とか言ってたけど戦争国家か何かか? そういやエリオが最近きなくさいって言ってたけど、それ絡み?


 分からん。分からんことは考えても仕方がない。後でそこらは聞くととして――


 広場に残された置き土産、3人の奴隷の子供たちを見遣る。

 白髪の少女はともかく、奥の方に居る2人もその場から動いていなかった。


 白髪の少女は黙ったまま、じっとこちらを見ている。


「あー……この子たち、どうします?」

「騎士団の方に預けましょう。人を呼びますので待機で。あの首輪と足枷にかかっている魔術も気になりますし、近付かない方が――」

「ちょっと待って」


 近寄ろうとしたユスティヒを、エリオの声が止める。


「魔術の香りがする。危ないよ」

「……魔術? よく分からんが、罠か何かってこと?」

「まぁそうだね。首輪と足枷を媒介とした魔術が幾つか、それに加えて体に何か刻まれてる」


 んー……と小首を傾げながら考えるそぶりをし、エリオは笑顔で続けて言った。


「うちで預かっていい?」


 その言葉に、ユスティヒが驚いて目を見開く。


「……エリオ様の館にですか?」

「うん。3人全員、うちに連れて行こう」

「貴方がそうおっしゃるのであれば……」


 ? なんだかやけに驚いている。どうしたんだ一体。


「騎士団に預けちゃダメなのか? 罠解除専門の部署とかありそうだし」

「あるにはあるのですが……難しいものはエリオ様のような高位の魔術師様に委託する場合が多いです。なので、エリオ様に預けるのは理にかなっているのですが……その、エリオ様はあまりこういったものをお受けにならない方ですので」

「まぁあんまり屋敷に他人を入れるのは嫌だけど、この3人は別だね。さっきの横広の男が『高い』って言ってただけはあるよ、その子たち」

「――――」


 高い、高いか。値段が高いということは希少価値が高いということ。人の命が売買されているこの世界では、この少女のように白い髪は珍しいのだろうか。

 嫌になる話だ。


「取り合えず屋敷でしっかり確認したいし、はやく全員連れてもどろっか」

「えっと、よく分かんないんですけどこの子供たちを連れて帰るってことです?」

「うん。リンベル、お願いできる?」

「任せてください! 私、子供好きなんですよ。

 ほらおいでー。一緒に帰りましょう!」


 リンベルがその手を掴もうと走り寄った。


 瞬間、弾かれたように白髪の少女が身構える。警戒の表れ。顔には恐怖が張り付いており、体が一歩後ろに下がる。


「――え、あれ」

「お前、ちょっとどいてろ」


 リンベルの肩を押しのけて後ろに下がらせる。ついでに、持っていた紙袋からパンを1つ拝借。そのまま地面へと片膝をつき、屈んだ状態でそれを差し出す。


「食べるか?」

「え、あ……」

「食べるか?」


 低くした体勢より目線が合う。

 白い髪の合間から覗く、綺麗な薄い蒼の瞳。


 その目を見つめ、出来るだけ表情を柔らかくする。


「腹減ってないか? 向こうの2人にもだ」

「……」


 少女の目の前で小さくパンをむしり、一口頬張った。ハチミツか何かがドロリと溢れ、口内を甘い匂いが埋めつくす。


「ん……意外といけるぜ、これ。食ってみな」

「……」


 おそるおそる、遠間より手を伸ばす少女。その手はパンを掴み、小さな口へと運んでいく。

 ゆっくりと咀嚼しながら、それでも視線はこちらに向いたままだ。多分、怖いのだろう。当たり前だ。あんな目にあった直後、見ず知らずの人間に囲まれているのだから。


 ゆっくりと、少女の嚥下が終わるのを待ってから、こちらの口を開く。


「あー……もう大丈夫だ。お前らはちゃんと家に帰してやる。その首輪とかにかかってる魔術だかなんだかは、あの黒いチビがなんとかしてくれる。その足枷も、取ってやる。だから安心しろ」

「……」


 白い髪の少女はしばらくこちらを見つめた後、小さくコクリと頷いた。

 戸惑い8割。まぁ上々だろう。


「エリオ。お前、人背負えるか?」

「背負うと思う?」

「だよな。聞いてみただけだ」


 となると、僕が1人、ユスティヒさんに2人頼むのが安牌か。リンベルは除外。暴走列車に壊れモノを乗せるなんてあり得ない。つか、多分一番怖がられてるだろこいつ。大声でうるさいし、傍若無人に動き回るし。


「じゃあユスティヒさん、あっちの2人お願いできますか?」

「分かりました」


 俺みたいな奴よりも、大人びて優しそうなユスティヒは子供の警戒を解きやすいだろう。彼も同じように屈み、子供たちへと事情を説明していく。


 俺は目の前の白髪の少女に手を伸ばそうとして、やめた。接触は何かしらの琴線に触れる可能性がある。


「歩けるか?」

「……はい」

「そうか。なら、少し付いてきてくれ」


 初の観光はこれでお終い。

 土産というにはいささか大きなモノを抱え、俺たちは仮宿へと戻るのであった。

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