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 この世界にも季節は存在する。


 いや、まあ、存在しないとおかしい。だって地球と同じく大気があって、雨や雲もあるのだから、四季の変化や寒暖の差だってなければならないのだ。科学的にも合理的にも。

 いくらファンタスティックな世界とはいえ、そこには正確無慈悲な原理という奴が存在している。宇宙の摂理は全ての基盤だということ。


 ここは地球とそんなに変わらない世界だ。

 魔力という物質と、それがもたらすたくさんの変化さえ許容してしまえば、元いた世界との差異などない。水中みたいに動きが遅くなったり、月面みたくジャンプで飛行するような世界でもない。ちゃんと物理法則の存在した、人間の暮らす世界である。


 けれど確かに、違う部分は存在する。


 ■


 外に出た途端、焦がすほどの日射に襲われる。


「――――」


 見上げれば目も眩むほどの太陽。

 肌が溶けるような猛暑。

 カラリと乾いた空気が全身を覆い、容赦なしに熱さを押し付けてくる。


 季節は夏。が、それでも随分とマシな夏だ。なにせ文明の代償として汚された都心部の夏は地獄だった。熱を逃がさないコンクリートジャングルに比べれば、こちらのなんと過ごしやすいことか。


 構成材質、おおよそ煉瓦。

 木材や石材の方が目立つ、前時代的な町並み。

 荒々しくもどこか美しい、そんな光景へと身を投じる。


 ……進んでいる部分も多いが、劣っている部分の方がもっとずっと多い。それがこの世界の基本性質であり、むしろこの景色だけを見て取るならば時代が逆行していると称する他ないだろう。


 大通りを大量の人間が右へ左へ。ぶつかることも一切気にせず、縦横無尽に移動していく。

 人間だけではない。尻尾が生えてたり、背中に物騒な武器を背負ったでっかいクマみたいなのも歩いてるし、馬に乗ったままのやつもいる。道路はレンガで舗装されてはいるが、当然元の世界ほど平らではない。歩道と車道の住み分けもない。元の世界と比べればあまりにも無法地帯。法整備とかどうなってんだ。

 着ている衣服も合成繊維など使われていない。地球の歴史からするならば、おそらく使われているのは絹か麻か。


 ――――こうやって文明の分かる場所を見せられると、改めて異世界に来たのだという実感を叩き込まれる。


「まぶしいですねー! 今の酒場、結構アングラな空気漂ってて私好きなんですけど、日中出入りするとクラっときちゃうのが難点なんですよねー。慣れると結構これも悪くないって思うんですけど。

 しかしいつにも増して人多いですね。やっぱり勇者様が召喚されたとあって、大陸全土から集まってきてるみたいです。ね、ね、凄くないですか?」


 まるで我がことのように誇らしげなリンベル。


「……まあ壮観ではあるな。人が多いのは結構慣れてるけど、ここまで雑多な感じは新鮮だ」


 道には様々な人種があふれている。

 道沿いには商店の客引きが。中央には大小様々な屋台や露店が。そしてそれらを避けて、時には交わり、大量の人が行き交っていた。


 誰もかれもが好き勝手大声でしゃべって、みんな全然傾向の違う服を着て、種族とかもバラバラで。その膨大な熱気に、少しだけ気圧されてしまう。……外は充分暑いのだが、人の方がもっと熱い。エネルギーの塊がせわしなく循環している。なんていうか、非常に健康的な感じがした。


「みんなめちゃくちゃ元気だな。祭りでもやってんのかってくらいだ」

「それもこれも勇者効果ってヤツですよー。ほら、先日勇者様が来られた時に色々あったじゃないですか? あの後王様がおふれをだしたおかげで、みんな一目勇者様を見ようとこの街に来てるんですよ。だからここ連日はどこもお祭り騒ぎみたいなものです

 まあアリテナの町が賑やかなのはいつものことですケド。

 でもでも、やっぱりみなさん、イツキさんが来てくれたことを喜んでるんですよ」


 むむ、随分と嬉しいことを言ってくれる。ほんのちょっとだけ好感度にプラス補正。


 しかし勇者人気ってすさまじい。アイドルかなんかみたいだ。来訪しただけで大陸中が熱狂するとか俺やべえな。サインの練習でもしとくか。


「――――さて、それじゃあ当初の予定通り観光とのことでしたが、どうしましょう? イツキさん、何か興味ある建物とか知りたい話とかってありますかね? こう見えて結構私、有能ですので、何でも聞いちゃってくれていいですよ?」

「じゃあスリーサイズ」

「……上から一〇〇、一〇〇、一〇〇です」

「寸胴ぼたもちじゃねーかデブ、早速嘘つきやがったな無能ガイド」

「おっ、教える訳ないじゃないですか! 女の子にいきなりそんなこと聞くのはおかしいです!」

「男に聞く方がおかしいだろうが、何言ってんだ」

「あ、いま勇者イメージ完全崩壊の音がしました。もう修復無理っぽいです。お願いなのでこれ以上傷つけないでください。優しくしてほしいです。甘さが足りないのです。もっと甘ずっぱいのを想定してたのに……というか、いきなりセクハラとか本当に勇者様ですか……?」


 懐疑的な目でこちらを警戒する隣の珍獣。こらこら、事実を疑うようになっては将来ロクな大人になれませんよ。


 面白そうに後ろのエリオが笑う。


「イツキ、なんか生き生きしてるね」

「そりゃ今までずっと誰かさんに虐められてきたからな。自分より下が出来たんだ、喜ぶに決まってる」

「ゲスじゃないですか! 弱い者いじめじゃないですか! こんな人に世界任せて私たち大丈夫なんですか!?」


 涙目になりながら少女が喚く。こらこら、人聞きの悪いことを大声で言いなさんな。

 まぁ、人は加虐で快楽を得る生き物だ。俺だって元は常人なんだから、ちょっとぐらいは甘めに見てほしい。


「うぅ……もっとマシな質問でお願いします。具体的には私の夢をいたわる方向で」

「めんどくせえなあ……んーと、あの毛むくじゃらの二足歩行生物についての説明とかって出来るか? 俺がいた世界には顔だけ虎だったり、毛皮のある人間なんていなくてさ。大まかな成り立ちだとか、性質だとかについて教えてほしいんだが」

「あら、あちらには虎人族ライガーさんいないんですか? ちょっと悲しいですねそれ。すっごい気持ちいいんですよあの毛。

 まぁ良いですよー。この世界の人間なら、誰もが基本ぐらい知ってますから」


 ふふん、と鼻をならし、リンベルは得意げに語り出す。


 彼女によれば、なんでもこの世界の種族は非常に多いらしい。

 肌色と発祥で分けられたたった3種類が席巻していた愛しの我が世界と違い、こちらではもっと多くの種族が混在している。人間のくくりの中でも色々と分類分けがあり、獣人という獣と人の混ざった生き物の中にも多くの隔たりが存在する。や、多すぎてこんがらがりそう。


 基本的にこの世界、魔王側と人類側という二つの勢力に分かれているためたいがいの種族は仲がいいらしいのだが、枠を逸脱する例外なんてのはいつだって存在する。

 例えば人狼族ウルフはどちらにも味方しない敵対種族でありどちらからも仲間として認められていないし、精霊族フェアリーは中立を謳って多種族との一切のかかわりを持っていない。みんな仲良し恒久平和というものが存在しないというのも世界共通の命題らしい。

 まあうちなんて肌の色や信じる神様が違うだけでドッカンバッカン戦争起こしてたからね。よくやってる方だよ君たちは。


「種族間での対立とかもありますからねー。例えば生物学上、虎人族ライガー猫人族キャッツの派生種に分別されるんですが、虎人族ライガー側はそれを認めていません。我々こそが元祖なのであって、猫人族キャッツは劣等民族だー、とかなんとか。

 他にもややこしい関係の種族はたくさんあります。それこそ星の数ぐらいあって、学者さんでも覚えきれないらしいです。もちろん全部覚える必要はないですけど……勇者様って旅に出ますよね? もし彼らと出会った際、うっかり口すべらせちゃったりなんてすると、ギタギタのニャーにされちゃいますよ」

「ギタギタのニャーに」

「ニャーですよニャー。誇りとか自尊心とかに関してだけは、獣人族ガリレオの皆さん繊細なのです」


 なんと。人に失われていた根性とやらはアニマルたちが持ち合わせていたらしい。ますます血の気の多そうな連中である。が、種族間の面倒な関係なんてものは人類特有の愛嬌みたいなもんだ。そこらも踏まえてやっていくしかないのだろう。


「分かったよ。後で本でもなんでも読んで勉強しとく」

「その方がいいですよー」


 珍しく真摯な態度なリンベル。

 聞けば昔、猿人種マンキー相手にお酒の飲み比べ挑んで負けてしまい、あやうく食べられそうになっただとか。マジで何やってんだコイツ。


「生態系の成り立ちとかは、すみませんが詳しいことは分かってないのです。どの種族も私たち人族レイスと同じくらいの歴史を持ってますし、むしろ長耳族エルフとかの方がしっかりとした過去の文献を持ってたりします。どこの種族が起源かどうかは今でもアツい議題ですねー。もっと知りたいなら、それこそ生物学書読んだり学府の先生とかお呼びした方がいいと思います」

「……へえ、結構予想外だな」

「そうなんです?」

「てっきり人が魔力だかなんだかで変異した姿が他の奴らだと思ってた」

「そういう論もあるっぽいですけど、少数派ですね。というか暴論すぎて他の種族からのパッシングとブーイングの嵐くらっちゃったヤツですそれ」


 なるほど。当たり前といえば当たり前の帰結だ。オリジナルの座ってのはいつだって輝いて見える。取り合うのは当然のことなのだろう。優劣をつけたがるのも実に人間らしいと言える。


 ■


「――――で、あっちに見えるのがギルドって呼ばれるものですねー。冒険者さんたちはあの建物の中にあるでっかい掲示板から、依頼用紙を引っぺがしてお仕事に行くんですよー」


 ちょいと大きな木造建築物を見やる。


 雰囲気としては、西部劇に出てくるバーみたいな感じ。入口が両開きのでかい扉であることを除けばおよそ間違ってないだろう。今も目の前で、がっちょんがっちょん音を鳴らしながら鎧姿の人間が中へと入っていく。


「で、終わったら金を貰いに戻ってくる、と」

「そうですねー。中には事務所の他に、簡易的な小道具を扱ってる売店とか、小規模な酒場とか……あ、あと裏手に結構大きめの浴場もあって中で繋がってますね。外装から分かると思いますがかなり広いです」

「へえ……どこの町でもコレと同じくらいでかいのか?」

「そりゃ町によりますよ。ギルドを見れば町が分かるって言いますし。

 魔族領や敵国に近いところほどでかくて賑わってますし、農業を中心とするような地方の町だと小さくてアットホームな感じです。基本的に国も民間も取り敢えず依頼はギルドの方におろすんで、まあ大雑把に言えば人が多い町ほどギルドは大きくなる傾向にありますね。

 その例でいきますと、ここ首都アリテナはかなり大きい方です。人口が皇国で一番多いですからねー。近辺に魔物が生息していたりとかじゃないんですけど、他の町へ行く商用キャラバンとかの護衛任務が毎日大量にありますから」


 キャラバンというのは商隊のことだ。商品の輸送中、道すがらで出くわすあらゆる被害を防ぐために、商人達が群れとなり、護衛を雇ったりすることで身を護ろうとするための知恵である。

 流通における盗賊や海賊、嵐や津波といった人的・自然被害は永遠の障害であり、しかもこの世界には魔物なんていうデンジャラスなオマケがついてくる。おまけに車はまだ存在していなくて、お馬さんが現役の世界だ。なんで、町の移動ってだけでも大抵の人間が護衛を雇うらしい。


「そんな流通盛んだったのね、ここ。どおりで人が多いわけだ。……もしかしてこの町、めちゃくちゃ都会だったりする?」

「ツァール皇国の南方首都アリテナです。超でかいです。平和と発展の代名詞です。大陸で一番ビッグなシティです」

「なんと……異世界版ニューヨークみたいなもんか」


 や、あちらはどちらかと言えば情報集積所みたいなもんなので、違うと言われれば違うのだが。


 立地的には、ここは南方都市との名前の通り、大陸の南側に位置するらしい。

 ちなみに憎き魔王様は大陸の北方――――魔族領の中のどこかにいる。なお詳しい場所は分かっていない。なんかどこからともなく湧いて出てくるらしい。ゴキブリか何かみたいだな。潰してもまた新しいのが出てくるあたりとか特に。


「……しかし、平和と発展の町ね」

「ちなみに、そのどちらとも勇者様たちのおかげなんですよ?」

「……? 平和は分からんでもないが、発展は――――ああ、そういやエリオが言ってたな。今までの勇者が関わったおかげで、色々と急成長した分野があるとかなんとか。さっき食べた料理とかも、何代か前の勇者が携わってるんだっけか」

「その通りです。料理は勇者様ごとに少しずつ豊かになっていった感じですねー。

 ちょうどー、と言いますか……最近になってようやく、今までの勇者様の残してくれた文化とか技術を、私たちは理解することができるようになってきたのです。今までは存在だけを確約されたオーバーテクノロジーでしたからねー。道理は分かってるのに、そこへ辿りつくための原理が一切分からなかったのです。

 だからこそ、ここ数年での文明の進歩速度は著しいですよ。先祖様たちの積み上げたものをようやく実用に至らせる段階にきたのです! いわば歯車が回りだしたとこですね!」

「今までやってたのは翻訳の前作業みたいなもんで、これからが本番だ、と」

「まあそんなところです」


 あはは、とリンベルは少し恥ずかしそうに笑う。ゴールを先に与えられたというのに到着までの時間をかけすぎてしまったことが、どうも彼女の中では失点らしい。むむ、変なところで気難しいやつめ。


「っつーことは、俺もなんか残さなきゃなんない感じか?」

「どうなのでしょうか。御伽噺とかだと勇者様は発展に貢献したってことが書かれているんですけれど、学府とかで学んだ内容ではどうも発展に貢献したというより、自分が住みやすいように作り替えたって感じでしたね。料理で言うならばこちらのモノが不味かったから改良したんでしょうし、ギルドとかの制度もそちらの方が効率的だからって理由で作られたと教えられました。慈善事業じゃなくて、やりたかったからやった、みたいな。現に何も残さなかった勇者様もいますし」

「なるほどなぁ」


 まぁ別に、自分を拉致したこの世界のために何かしてやるほど、俺は優しい人間じゃあない。そもそも魔王とやらを倒すだけでも重労働だというのに、他のことまでやってられるかという話。


「ちなみにイツキ? 前代の9代目は美容関連で発展を残してくれたよ?」

「うるせえエリオ。魔王倒してやるんだから他のことを俺に求めるんじゃねえ。過労死するわ」

「あはは……でも確かに髪型とか服飾とかの発展はここ数年で一番著しいって言われてますねー。私の家も宝石業を取り扱ってますし」


 ダイヤとかルビーとかを売り捌いてんだろうか。金持ちそうなこと言いやがって。


 でもまぁ、気負わなくていいというのは有難い。

 魔王を倒してお家に帰る。シンプルイズベスト。それだけを目標に俺は居ればいい。


 ■


 四時間ほど街の中を歩き倒したところで、軽食ということになった。

 途中にあった広場で空いてるベンチを探し、休憩をとることにする。


「じゃあ私、ちょっと適当に買ってきますので待っててください! あちらにおいしいパンの店があるんで!」


 私欲が八割ほど混じった下っ端パシリがスタコラサッサと駆けていく。


 残された男三人で、一つのベンチへと仲良く一緒に座る。


「……っておい。なんで俺の上に座ってんだお前。このベンチは二人掛けだ。店員オーバーしてるから他の空いてるとこに座れ。重い」


 なぜかちょこんとこちらの膝を座椅子代わりにする性悪魔術師。


「やだよぅ、一人だけ仲間外れなんて」

「あ、でしたら私どきますよ。エリオ様、こちらに座ってください」

「いやいやいやいや、ユスティヒさんは座ったままでいいです。俺とエリオはちょいちょい休んでますけど、そちらはずっと立ちっぱなしでしょ? 護衛だかなんだかのためにも休んだ方がいいですって」

「……ねえ、なんでイツキってば、出会ったばかりのユスティヒさんに優しくて、ボクには冷たいの?」


 膝の上を占領しながら拗ねるクソガキ。そういういじらしい言葉は今までの言動を振りかえってから言っていただきたい。休憩時間ぐらいは普通の人と穏やかな会話で癒されたいのである。


「それに重くなんてないでしょ。ボク小さいし、細いし。ちょっと傷付いたんだけど」

「体重の話題で怒るとか女かよ。つか、重さ以前に暑い。正直フード被ってるのも辛いぐらい。これ以上熱源に密着されると溶けて死ぬ。世界救えない」

「仕方ないなあ……ちょっとローブ捲ってみせて。温度下げる魔術使ってあげるから」

「……」


 そんなのあったなら最初から使え。


 どおりでお前やけに涼しそうな顔してるわけだ。こっちが汗水たらしてヒイヒイ言ってるのを見るのがそんなに愉快か。……愉快だったんだろうなぁ、コイツの場合。


「お前最低、マジ性格悪い。魔王倒してやんねえぞ」

「魔王倒さないと世界滅んでイツキも死んじゃうね。そうなったら一緒に心中だ。うん、それも悪くない」


 はははと笑う悪魔。もしもし、笑いの要素が見当たらないのですが。


 ……と、そこで隣にユスティヒさんがいたことを思い出す。

 マズい。世界の存続を天秤にかけた勇者ジョークは流石にやりすぎた感がある。というか、ユスティヒさんとさっきからちっとも話せてない。


「ごめんなさい、今の冗談です。ちゃんと倒して平和手に入れるんで」

「いえ、心配はしておりませんよ。冗談ぐらい分かります。ただ――――その、随分と勇者様の印象が違ったので」

「げ」


 ま、まさか嫌われた? 幻滅されちゃった?


「……そうですね、話に聞いていたものと違ったと言いますか。

 話の中の勇者様といえば、清廉潔白で隙のないお方――――少し穿うがった言い方をさせてもらえるならば、堅物というイメージでした。けれどイツキ様は非常に人間らしいお方だ。想像よりもずっと親しみやすい。

 ……あぁ、こう言ってしまうと、なんだかイツキ様の格を下げるようになってしまいますね。もちろん良い意味で、イツキ様は親しみやすいのですよ。なにせこうやってお話できるなんて、思ってもみませんでしたから」


 そんな言葉を、これ以上ないって笑顔を浮かべながら言われてしまう。


 ……なんだ、その。むず痒いぞこれ。純粋な称賛の言葉は光源体だから、眩しすぎて直視することができない。や、決して俺が暗黒生物だとか、日陰者だから浄化されているとかではない。やましいところなど何もなくたって、純度の高い優しさに人は耐え切れないのだ。


「……なんていうか、ありがとうございます。頑張って魔王倒します」

「ええ、応援しております。私に手伝えることがあれば何でも言ってください。

 ……と言っても、勇者様のためになるようなものなど、私には剣技ぐらいしかありませんがね」


 いいえ、そんなことないです。もう充分手伝いというか助けになってます。


 いまのところ唯一の癒し枠。んでもって普通に普通な善人。たったそれだけの要素でも充分合格点だ。なにせ他の奴らは失点オンリーで自滅してるんで。

 というか彼との会話は居心地が良すぎる。疲れない会話って超大事。もう観光の護衛と言わずずっと一緒に居てほしいぐらい。ほら、屋敷にいる変人ズの誰かと取り替えちゃいましょうよぅ……。


「……はあ、世知辛い。というか、ユスティヒさんってもしかしなくても強かったりします? 今回も、護衛とか任されちゃってますし」

「これでも騎士ですからね」


 そう言って、ユスティヒさんは腰に下げてある剣をクイッと上げる。

 木製のさやと、銀色の装飾によって彩られたシンプルなそれは、間違まごうことなき実剣である。


 この世界では武器の所持が認められている。

 武装の法律に関してはアメリカもビックリな杜撰ずさんさだ。


 魔物という命を脅かす外敵が存在しているからだろうか。この町の治安はかなり良い部類に入るらしいのだが、それでも待ち行く人の大半が武具を持っていた。むしろ何らかの自衛手段を持っていない人の方が稀少なのだとか。いや、随分シビアな世界だね。愛しの故郷がどれほど平和だったのか痛感する。帰りたい。


「剣の腕についてはそれなりのものだと自負しています。少なくとも、国内での警護はご安心ください。何があろうと、勇者様は命に代えてもお守りするつもりですので」


 にっこりととんでもない事を言われる。仕事熱心なのは良いことなのだろうが、死んでもらわれると困る。唯一の味方に死なれたショックで睡眠障害とか起こしちゃいそう。まあこの都市は平和っぽいんでそういうのは杞憂きゆうだろうけど。


 しかし剣が上手って格好いいなあ。しかも護衛騎士とか。攻守両面において有能って響きにはちょっと憧れる。でもエリオに言わせると、俺の完成系はそこにはないらしい。悲しい話である。


「……まあ、よろしくお願いします。

 そういやエリオ、俺って剣技とかは習う必要あんの?」

「んー……まあ出来て損はないけど……イツキはそっちじゃないんだよねえ。

 どうかしたの?」

「いや、丁度いいから今度ユスティヒさんに指導してもらおうかなって思ってるんだが。必要ないとか、なんか不都合があるとかじゃなけりゃやってみたい」

「ん、んー……そうだね。人柄にも問題ないし、口も堅いし、元騎士団長だから腕も文句なしだ。いいよ、明日から早速スケジュールにいれてみよっか」


 おっと、何やら聞き捨てならないことを言われた気がしますよ?


「え、元騎士団長ってなに、字面からしてすごい強そうなんですけど?」

「そりゃ偉いよ。2年前まで皇国騎士団のトップだし。例外を除けば、ユスティヒさんはこの国で一番の実力者だよ」

「わあ」


 驚いてユスティヒさんの方を見ると、照れたように頬をかいていた。うわ、何そのおちゃめな仕草、全然厭味感じねえわ。イケメンおじさんかと思いきやとんでもねえ人だったんですね貴方。


「能ある鷹はなんとやらか……。え、じゃあもしかしてあのお天気超人も強かったりすんの? 困るんだけど」

「リンベルは違うね。ただのお金持ちの家の一人娘さんってだけ」


 ほっと胸をなでおろす。アレが実は拳一つで岩すら砕けるスーパーマンですとか言われた日には世界が終わってしまう。や、まぁ善人ではあるから暴力にはならないのだろうが、災害的な問題児にはなりそうだ。気分で暴れ回る感じ。うわ、想像しただけですっげえ面倒そう。


「つか、観光ガイドっていうから期待してなかったけどアイツって頭良かったりするのか?」

「リンベル? どうして?」

「いや、受け答えがしっかりしてるっつーか。能天気なアホかと思ったらすげえ賢いじゃん」

「イツキってばナチュラルに失礼だよね。本人にソレ伝えてあげたら? 凄く喜ぶと思うよ」


 嫌だ。アレは褒めて伸びるタイプじゃない。褒められると暴走するタイプだ。


 しかしアレの親御さんは絶対教育を間違えた。金持ちの一人娘ってワードがもうヤバい。天真爛漫な幼年期はさぞ可愛かったことだろうが、我慢を知らない若者になるとそれはもはや凶器だ。具体的に言うと振り回される周囲に被害が出まくるのでなんとか慎みを知ってほしいところ。


「ちなみにリンベルは皇国で一番頭の良い大学の一年生だね。けど卒業する気がないみたいで、手あたり次第に授業を受けては遊びまわってるから単位が足りないみたい。あと10年は同じことしてるんじゃないかな」

「人生舐めてんな」

「お金持ちだからねぇ」


 あんなのが頭良くて金持ってて遊びまわってるだなんて聞くとむせび泣きたくなる。人生不平等。おーい神様見てる? 一割でいいからあいつの幸運を俺に分けてくんない? いや、分けるつもりがあるならそもそもこんなところにいねえわ俺。クソが。


 広場で和気藹々としているこの街の市民を眺めながら、憂鬱な気分になる。や、彼らに一切の罪はない。俺がこんな目にあってるのも、この先どうなるのかも彼らのせいではない。


 それでもまぁ、ちょっとぐらいは恨めしく思ってもいいだろう。



「にしても、あいつ遅えな。どこまでパン買いに行ってんだ。

 買った先から食欲に負けてパクついて、また買いに戻ってるとかじゃねえだろうな」

「そんな人をニワトリみたいに……でもありそう」

「面白い方ですからね」


 中々間抜けな絵面だ。コミカルなギャグは実に面白い。当事者じゃなければの話だが。


――――と、


 そこで異変に気付く。


 広場に人がいない。あれだけ埋まっていたベンチももぬけの殻。というか、見える範囲に人がいなくなっている。

 あれだけ街道も混んでいて、今は日中だ。俺たち3人だけしかいないなんてことはどう考えてもおかしい。


「おい、エリ、オ――」


 膝の上に座っていた悪魔に声をかけようとしたところで、広場に他の人間が入ってきたことに気付く。


 数は5人。

 大人が2人と子供が3人で、全員が外套を纏っている。


 大人の内、先頭にいる方は背が高く、もう片方は背は同じぐらいだが横にやや広い。それぐらいならまぁ普通の組み合わせだろう。


 特筆すべきは子供3人。

 その恰幅のいい男の外套より、3人の足へと太い鎖が伸びている。


「奴隷だね」

「――――」


 良い性格してる。こっちが気分の悪くなる言葉選びってのが天才的だこの悪魔。

 

 ……この世界では奴隷制度はまだ現役らしい。

 元の世界でもどれだけ近代化が進もうと永遠に残り続けている制度のため、それ自体はまぁ許容範囲内だ。

 世界柄に口を出すつもりはない。だがしかし、見ていてそう気分の良いものでもないだろう。


 実際、街道を歩いている時にもそれらしいものはいた。

 意識しないようにはしていたが、リンベルも何も言わなかったことだ。こちらの世界での日常に今更口をはさみはしない。


 だが、そういった異世界常識の話は今は関係ない。


 問題なのは、その集団が異様な雰囲気を纏っているということ。

 特に大人二人だ。明らかにマトモじゃない。


 あれだけ重そうな鎖が地面と擦れているはずなのに、何の音もしない。

 これだけ暑いのに俺たちよりも厚い外套で身を隠している。

 そして何より、俺の警戒心が声を挙げてる。


 その集団が歩いているだけで精神がアラートを鳴らしている。こいつはまずい。こちらへとゆっくり歩いているだけなのに、その一挙一動から目を離せない。離してはいけないと脳が警鐘を鳴らしている。


 そしてもう先頭の背の高い男は、明らかにこちらへと向かってきていた。


「よォ」

「――――」


 間違いない。

 コイツらの目的は俺たちだ。


「なァ。お前だよお前。そこのチビガキの内、茶色のフード被ってる方だ。分かんだろ?」

「なんだお前」


 そいつは何もない手を宙に振り、そこからタバコとライターを取り出しておどける様に弄び始めた。


「おい」

「旦那、すんません」

「チッ……」


 恰幅の良いシルエットが背の高い男を諫めるが、そんなことはどうでもいい。

 こいつ、今いなかったか?


「よく覚えておけ。肝に銘じろ。

 俺はダズビー。ダズビー=ノットコールだ」


 そう言って、男は外套のフードを捲る。

 短い褪せた金色の髪。そしてそれに合う金眼。


 睨むように、恨みの籠った鋭い目で男は続ける。


「出身はアメリカのニューヨーク。くそったれ大統領はウッドロウ・ウィルソン。

 戦国アーキガノンの勇者だ」

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