虹色ジュブナイル/R

藤村灯

第1話 汀の夢

 そこに帰りたくはないけど、他に逃げ出す場所も知らぬまま。

 海沿いの道をただ彷徨っていた私は、その光景に行き逢った。


 月影に照らされる浜辺で、群がる男達に陵辱される一人の少女。


 着せられているのは拘束着だろうか。


 しなやかな身体のラインを露にする白い皮製の服は、少女の両腕の自由を奪っている。

 皮肉なようで幸いな事に、拘束着はその頑強さ故、彼女の貞操を守る役割を果たしているようだ。


 脱がす事も引き破る事もできないのか、あるいはその間ももどかしいのか。

 ある者は少女の細い両脚を抱え込み、ひたすら股間を擦り付けている。

 別の者は長く艶やかな黒髪を鷲掴みにし、いきり立ったモノを可憐な口元に強引に捻じ込んでいる。

 なんとか受精させようとしているのか、首輪の付いた襟元から精液を流し込もうとしている者も居る。


 吐き気を催す程に凄惨な光景のはずなのに。

 おぞましさよりも先に物悲しさを感じたのは、なぜなんだろう。


 男達の荒々しい息遣いに囲まれながら。

 まどろむ様な表情のまま、少女はわずかな吐息を洩らすばかり。


 救い出すため飛び出すことも、助けを求め駆け出すことも出来ぬまま。

 妖しく胸を焦がす情動の意味も理解出来ず、私は息を詰め浅ましく覗視を続ける。


 どれだけの間男達の劣情を受け止め続けたのか。

 陵辱者の欲望のままに、淫らに折り曲げられるその肢体にも。

 己の置かれた状況に無関心なまま、夢見るごとく半眼の白い貌は言うに及ばず。

 少女を操り淫情に従わせる手綱として――

 あるいは凌辱を演出する極上の敷布として踏みしだかれる黒髪までもが、白濁に塗り固められている。


 月の光を浴び、ぬめらかに輝く少女の痴態を目にし。

 息苦しさと共に抱く、名も知らぬ初めての感覚に、私はただ戸惑う事しかできなかった。


 狂宴を現実味のない物にしていたのは、茫洋とした少女の表情や、月の光のせいばかりじゃない。


 狂宴に耽る男達の容貌――

 少女を犯す彼らは皆、魚の顔を持っていた。




 夢を見た。


 波の音が聞こえる。


 夜なのか昼なのかも定かではない。

 頭上には薄緑の月が輝いているが、世界はぼんやりと霞んでいる。

 空だと思っているのは実は水面で、本当は海の底から眺めている風景なのかもしれない。

 

 私は波打ち際に倒れている。

 正確には岸辺近く、浅瀬に浮かんでいる状態らしい。

 岸に打ち上げられるでも、沖に流されるでもなく、ただゆらゆらとたゆたう。

 波が身体を洗うのを、心地良く感じている。


 おなかから白い管のような物がのびている。

 十六歳の私が今生まれたんだなと、朧な意識で理解する。

 血に塗れた下半身を波が洗って行く。


 私を生んだのは私なのかもしれないと、ふと思う。

 お医者さんを捜して、へその緒をちゃんと取って貰わないと、でべそになっちゃうよね。


 浜辺からはユリカとみゅうみゅうの声が聞こえる。


 私はここにいるよ。


 存在を誇示する意志は声帯を震わす事はなく。


 楽しそうな笑い声はどんどん遠ざかり、再び穏やかな波音だけがあたりに満ちる。

 取り残されたようでなんだか寂しかったけれど、仕方ない。

 私は生まれたばかりで、無力に転がっているだけなんだから。


 気持ちを切り替えた私は夢の中で夢想する。

 岸辺にあがれないのなら、波がさらってくれればいいのに。

 どこまでもふわふわ波間を漂って行ければ、気持ちいいだろうな。

 そう思いながら沖を眺めていると、波間に一人の少女が立っているのに気がついた。


 透き通る白磁の肌。

 それに負けない新雪のような長い髪。

 背中を覆い、波に揺らいでいるそれは、腰を隠すほどの長さか。

 そこだけ色付く事を許されたような紅い瞳に、不思議そうな色を浮かべ私を見ている。


 初めてだけれど、どこか懐かしい顔。

 何故だか、大好きだったおばあちゃんに連れて行ってもらった縁日を思い出す。


 自分では掬えずに、夜店のおじさんにおまけで貰った小さな金魚。

 ぱさぱさとして粉っぽいカルメ焼き。

 食べる前に棒から落ちたリンゴ飴。 


 少女は波を分け少しづつ近付いてくる。

 歩き方が何処か妙だ。

 波に隠れている下半身は魚だったりするのかもしれない。

 幽かな不安と朧な期待が胸に揺らぐ。


 大きなオウム貝の殻を抱いた少女は、私の傍に立ち顔を覗き込む。

 まだ膨らみかけたばかりの白い胸。

 少年のような細い腰。

 その下に続くのは何処までも続く蛇身。

 くるりと首を巡らせてみると、果てしなく伸びて世界を抱くその蛇は、私のへその緒につながっていた。


 ああ、そういうことなの。


 理解はしたけれど、言葉に出来ないそれを確かめようと、物問い顔を少女に向けると――


 彼女は可愛いけれども、

 とても恐ろしい微笑みを浮かべた。




 夢を見た。


 楽しい夢だったのか怖い夢だったのかは良く覚えていない。でも、何かとても大切な事だったように思う。

 懐かしいような切ないような夢の情感は、障子越しの朝日の中に淡く解けて消えた。


 少しだけ残念な気分を引き摺ったまま、私は布団をたたみ身支度を整えた。


 今日は宵宮。水天宮の境内では屋台が開かれる。


 朝食を簡単に済ませ社務所に向かうと、親戚筋の美魚みおはもう境内の掃き掃除を済ませていた。

 艶やかな黒髪を二つに縛り、巫女装束の彼女は、二つ年下なのに私より余程しっかりしている。


「おはよう。ごめんね、手伝うよ」


「おはようございます。それじゃあ社務所の中をお願いします」


 美魚は薄く微笑むと、掃き清めた境内に水を撒き始めた。


「えらいなあ、みゅうみゅうは。もうすっかり巫女さんが板についてるね」


 襟元からのぞく白いうなじがうっすらと汗ばんでいる。

 目を奪われていた自分に気付き訳も無く狼狽え、私は慌てて目を逸らした。

 まだ中学生なのに、同性の私が見ても時折どきりとせられるほどの色気を感じさせる。日に焼けた己の腕を密かに確認し、思わずため息が漏れる。


「決められたことをこなしているだけですよ。一通り覚えれば、後はルーチンワークです」


 高校二年の夏休み。ふわふわと日々を過ごす私は、まだ進路を決められずにいる。


「朝も弱いし、やっぱり私には無理かなー」


 私は漠然と進学を考えてはいるが、保護者である拝島はいじまの伯父は神職に付くことを望んでいる。はっきりと聞かされた訳ではないが、いずれは美魚の兄であり再従兄弟の海斗かいとの嫁になり、拝島の家に入る事を望まれている様子。おばあちゃんがいた頃の神社は好きだったけれど、正直宮司が秘宮ひめみやから拝島に代わった今の雰囲気はあまり好きじゃない。


『いいかい郁海いくみ。おまえは将来絶対に――』


 皺だらけの顔にいつも微笑を浮かべていたおばあちゃん――本当は高祖母にあたるんだったか。汐入しおいりの古い家系は入り組んでいてややこしい――が、いなくなる前に珍しく真剣な顔で残した言葉は、巫女になれだったのかあるいはその逆だったか。凄く大事なことのはずなのに、私の記憶は茫洋としたままだ。


「……郁海さんは夜もダメ駄目じゃないですか」


 まったくだ。

 笑みを含んだ再従姉妹の言葉には、苦笑を返すしかない。


「海斗が何か用があるみたいでしたよ?」


「なんだろう? 電話すればいいのに」


 携帯の着信を確認してみる。伯父に持たされているのは子供用の携帯――防犯ブザーの付いたお子様用だ。養われてる身だからあれこれ注文を付けられる筋じゃないというのもあるが、ぼんやり屋のわたしにはこのくらいの機能でちょうど良い。海斗や美魚もガラケー派だ。拝島の伯父が使っているスマートフォンなど、たぶん私には一生縁が無いだろう。


「家族相手に、電話も無いんじゃないですか」


 ぶっきらぼうな海斗の語りを思い出す。学校では寡黙な硬派で通っているが、幼い頃から知っている私にすれば、あれは引っ込み思案で喋らないだけだ。私が表情を読んで水を向けてようやく会話が繋がるレベルだから、込み入った話なら確かに直接のほうが話が早い。


「家族……ね」


 強い日差しに朝の冷気は払われ、すでに気温は上がりつつある。

 気が付くと杜から聞こえる虫の声は、鈴虫から蝉に代わっていた。

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