第2話 宵宮

「とりあえず、おこもりだっけ? 本宮に出ればいいんでしょ?」


 ユリカの助言はいつも端的で明瞭だ。


 明日の本宮に参加すること。伯父の言い付けは命令と同義で、今の私には背くという選択肢は考えられない。

 ユリカはその言い付けを守る事を含め、神職の修行をこなす事と引き換えに、考える時間が欲しいと言って進学すればいいと言う。


「学費はアルバイトで稼げばいいじゃん。何だったら、二人で部屋借りてさ。母さんのツテで安く借りられるアテあるし。きっと楽しいよ」


 ショートカットを揺らしながら隣を歩く友人は、とっくに自分の進むべき道を決めているらしい。隣県の大学一択で、あれだけ頑張っていた陸上部も夏に入る前に辞めてしまっている。


 小柄だが行動力に溢れた彼女とは高校に入ってからの付き合いだけど、出会ったときからずっと優柔不断な私の背中を押してくれる、頼もしい存在だ。微糖と無糖のコーヒーを決めかねる私の代わりに押してくれたボタンはコーンポタージュだったけれど、あれはあれで美味しかったし。


「その前に、入試通んないとだけどね」


 大きなあくびを慌ててかみ殺す私を、親友はやれやれといった目で見る。


 宵宮の今日、作法や祝詞の勉強からも開放され、私は自由な時間を謳歌している。

 子供の頃、本宮は夜に出歩いてはいけない日でしかなく、おばあちゃん達はお宮で何をしているのかいつも興味津々だった。こっそり覗こうとした事もあったけれど、実行するには私は寝付きが良すぎて眠りが深すぎた。


 巫女として習ったことは、夜が更けてから海から上がって来る神様をお迎えし、夜明け前にお送りする儀式。神様に行き逢ったり、姿を覗き見てはいけないから、夜出歩く事を禁忌としているのだという。


「コンビニも無いし、この町で出歩くも何もないでしょ?」


 勉強会を終えた昼下がり。ぼやくユリカと向かうのはショッピングモールではなくよろずや。

 鉄道の駅が無いため、まともな買い物は橋を越えた隣町へ行くか、通販で済ませるしかない。セミリタイアでわざわざ望んで僻地へ越した父親に対する愚痴は、彼女から飽きるほど聞かされた。


 金物から駄菓子まで必要なものはほとんど手に入るので、私には不満は無いのだけれど。下着もここで買えるシンプルなもので済ませていると伝えたところ、何故だか長々と説教され、以来身に付けるものはユリカの買い物に付き合う形になっている。


 いつも通りにひよこサイダーを買うはずの、いつも通りの鄙びた店先に、いつもと違う強烈な違和感が存在した。


 汐入では見たことの無い、大きくて平べったい車。

 よろずやの婆ちゃんの車ではなさそうだ。ユリカが言うにはアメリカ製の軍用車両の民生仕様だとか。


 この車幅じゃ入れない道も多いのに。どうするつもりなんだろう?

 行儀が悪いとは知りつつも、好奇心には勝てずに車内を覗き込んでしまう。リアシートに、タオルケットに包まって寝ている人影が見えた。


「ちょ、いくみんっ!」


 肩を叩かれ、友人の慌てた声に振り返ると、店から出てくるひょろ長い男性と目が合った。


 いまにも泣き出してしまいそうな。

 のっぺりとした薄い顔に突然浮かんだ表情に戸惑う私を尻目に、彼は笑顔で話しかけた。


「ごめんね。邪魔だったかな?」


「うぁ!? 覗いてません! いや、覗いてごめんなさい!!」


 目まぐるしく入れ替わる青年の形相の意味を掴みかね、混乱した私は不明瞭な弁解を繰り返す。


 おかしな間は、引きつった顔で私を眺めていたエリカの洩らす「ふひっ」という声を切欠に笑いで流された。


 ひとしきり笑った後手渡された名刺には、「汀宗也みぎわそうや 民俗学研究」とあった。「民俗学者」では無いのは、学位と関係の無い、素人民俗学者だからという事らしい。確かに和紙で作られた名刺は手作り感溢れるもので、青年の風貌とあいまって大学生の趣味に思われる。――実際の年齢は、とうに大学を卒業したものだったが。


「変わった祭りだからね。祭り見学がてら、話を聞ければと思って」


 そうなんだろうか? 地元の風習が他所から見て奇異なのかどうかはピンと来ないが、彼にとって気の毒な事に、祭りは変わっているのではなく、変えられたらしい。


「宮司の家系が入れ替わってから、祭祀の内容が変わったみたい。あんまり詳しくは無いんだけど」


 私たちが目にすることの出来る、浜辺の祭壇にお供え物をするところまでは、以前と何も変わりない。大人たちの会話から、本宮の祭祀が変えられたらしいと耳にしたが、おばあちゃんがいた頃の祭祀も教えられていない私には、何がどう変わったのかを説明することは出来ない。


「興味深いな。そこのところを詳しく知りたいね」


 この青年が調べたかったのは、以前の祭祀の事なのだろうか。


「何百年も変わらない祭りのほうが珍しいし、どんな儀式でも本来の意味は忘れられるものだけど。語り手がいるうちに、記録を残さないとね」


「いくみんは昨日習った祝詞ももう忘れそうだけどね」


「……君が祭祀に参加するのか? 詳しく話を聞きたいな」


 にやにや顔で混ぜっ返すユリカの言葉で、私が巫女だと知った素人学者の目の色が変わる。


 私は今年から初めておこもりに参加する身だし、ユリカの言うように祝詞の意味どころか文言すらうろ覚えだ。数年前から神社の手伝いをしている美魚のほうがずっと詳しいだろう。拝島の伯父や宮司に紹介しようにも、残念ながら余所者に快く話を聞かせるような人達ではない。


 青年の期待に狼狽え、あわあわと思考を廻らす私の耳に、不意に車内からの物音が飛び込んだ。


「agsjkieye?」


「??」


 私に、訊いたの?


 真っ白な肌に、真っ黒な髪の少女。

 窓越しに語りかけた彼女は、人形めいた顔に茫洋とした表情を浮かべている。

 寝ぼけているだけなんだろうが、質問に対する答えを待つような、妙な間が流れた。


「キィ、もう少し寝ていればいい。買い物は済ませたし、じきに目的地だよ」


 半眼に開かれた、真っ黒な瞳が僅かに動き、青年を捉える。

 不満も恭順も示さぬままゆっくりと瞼を閉じると、少女はねじでも切れたかのようにぱたりとシートに倒れこんだ。


 隣町には駅前に宿泊施設があるが、岬の先端、山と海の狭間にへばりつく様に佇むこの汐入には宿は無い。心配になって訊ねると、公営の郷土資料館の知り合いを頼るらしい。


「……なんか変な人に会っちゃったね」


「んー、60点ってトコかな」


 聞いてない。

 人間の顔の平均を取って行くと端正な顔立ちになるという話を聞いた事があるが、彼の場合は悪い意味でも目立たない顔立ちといったところか。何時か会った誰かの様な既視感を抱いてしまうほどに。そしてたぶん、その誰かはやっぱり思い出せないんだろう。


 素人民俗学者の車を見送ると、そろそろ夕間暮れ。


 浴衣姿に着飾った女の子が、両親に手を引かれ水天宮に向かうのが見える。浴衣は持っているし、一人で着付けも出来るが――着付けを覗く、べったりと絡みつくような視線――嫌な記憶が脳裏に浮かび逡巡しているのを、友人はどう受け取ったのか。


「あんたも着替えてきなよ。今夜は楽しもう!」



 人の波にゆらゆらと揺られ、私達は何の切欠か型抜きの屋台の前にいる。

 やった事の無い遊びなので店主のお爺ちゃんに聞いてみる。なんでも型抜き菓子に描かれた絵をうまく刳り貫けば良いらしい。


「これ、食べられるの?」


「違うないくみん。反応すべきはそこじゃない」


 一回100円。難しい絵柄を貫けると、賞金が出るんだとか。ユリカの闘争心に火を点けたのはそこか。


 地味な割りに時間が掛かるためか、あまり人気が無い。今の子供は携帯ゲームに集中出来ても、こんな素朴な遊びでは刺激が少なくて物足りないんだろう。人の良さそうな店主がちょっと気の毒になって、私も型を買った。


 ユリカが挑戦しているのは賞金1200円の馬。私は300円の魚に挑戦する事にした。ヒレの部分が細かいけれど、これくらいなら何とかなりそうだ。


 画鋲の針でひたすら線をなぞる作業は5分くらいで飽きてきた。もっと他のお店も見て回りたいのに、時間が取られちゃうなと、削り落とした部分をかじりながらぼんやり辺りを見回していると、人ごみの中にどこかで見た顔。


「やあ、また会ったね」


 よろずやで会った素人民俗学者。確か、汀さんだったか。


「宗也で良いよ。浴衣似合ってるね。神社の手伝いは良いの?」


「私のお役目は明日の夜です。夜に弱いから、一晩起きてられるか不安だけど」


 明日は浜辺にお供え物をして、祝詞をあげる。私の出番はその後になる。神社でも祝詞をあげて、お供え物のお下がりを皆で食べて眠らずに過ごすような事だと聞いている。子供の頃は翌朝おばあちゃんが持ち帰るお下がりを楽しみにしていた記憶がある。


「私なんかより、宮司さんに直接話を聞いてみたらどうかな?」


「もうあしらわれて来たよ。ここの人達はあまり人好きしない方だね」


 私の提案に苦笑する宗也。失礼な話だが、貰った名刺を思い出し納得してしまう。もうちょっと学者然としたなりで、大学助教授の肩書きでもあれば少しは相手をして貰えたかもしれない。美魚を紹介してあげられればと考えるも、まだ手伝いが終わらないのか合流出来ない。


「明日時間があれば、資料館に来て貰えないかな? こっちも資料を揃えて質問出来るし、話をまとめ易いだろうから。お昼くらいはご馳走できるよ」 


 どうしよう。お昼からは自由に出来る時間がある。私は時間が取れれば伺いますと、あいまいに応えるに留めた。


「そういえば、車の中にいた子は一緒じゃないんですか?」


「彼女は眠っているよ。夜店も見せてあげたかったんだけどね」


 青年の表情がわずかに曇る。身体が弱い子なのかもしれない。少女の事に興味はあったが、気弱そうな彼の憂い顔に問いを重ねるのは躊躇われた。


「よっしゃー! 賞金ゲット!!」


 ずっと静かだった友人の歓声に振り返ると、綺麗に刳り貫かれたうさぎを高々と掲げ勝ち誇っている。


 あれ? 馬じゃなかった?


 ユリカはとにかく獲得型の遊戯に目が無い。ヨーヨー釣り、スーパーボール掬いと続けた後なのに、今私達がいるのは金魚掬いの屋台の前だ。


「郁海さんは金魚を捕まえるつもりでやります? それとも、助け出してあげる感覚?」


 明日の準備の手伝いを終え、巫女装束のまま合流した美魚が問う。


「うん?」


「これって、金魚を掬い取るから金魚すくいって言うんですよね。昔は水槽から金魚を救い出すから金魚すくいだと思ってました」


 みゅうみゅうの言うことも少しわかる気がする。


「それじゃ競争ね。ビリは次の屋台で奢り!」


 ユリカは狩る気満々で、救い出すって雰囲気ではないけれど。

 言うだけの事はある。コツを心得ているのか、2匹、3匹と順調に椀に金魚を救いあげて行く。


「ユリカさん、その程度じゃダメ駄目です」


 美魚がたおやかな手を差し伸べると、それこそ救いを求めるかのようにポイに吸い込まれて金魚たち。ギャラリーの子供達の歓声の中、水槽の端のほうにいる白い金魚が目に付いた。


 弱々しく泳ぐ赤い目をした小さな魚は、私の差し伸べるポイにからかう様に寄り添い、戯れるようにすり抜ける。それでもなんとかポイが破れる前に掬い上げることが出来た。


「どうするんです、その金魚?」


 8匹救い上げたユリカは、元気そうな2匹を持ち帰る事にしたらしい。27匹を椀に掬い上げた美魚は、交換を希望し風呂に浮かべるぜんまい仕掛けの魚のおもちゃを手にしている。


「んー……つれて帰る」


「すぐに死んじゃいますよ?」


 どこか醒めた目付きで美魚が言う。

 礼儀正しく気立てのいい子なのに、時々驚くほど冷徹な物言いをすることがある。特にここ最近になってから顕著な気がする。


 初めから元気が無かった子だ。屋台に返しても、店を畳むまで生きていられるか分からない。的屋のおじさんにとっては商売道具でしかない以上、明日には処分されてしまうかもしれない。


「救っちゃったからね」


 目線の高さに金魚を持ち上げた私は、ビニール袋ごしの美魚の視線に込められた冷笑に気づかない振りをした。



 夢を見た。


 物置から出した金魚鉢に収まった金魚は、少しだけ元気になっている。

 水草も入れたし、水温にも気を使った甲斐があるというもの。


 救ってくれてありがとう。

 金魚は小さな泡と共に礼を述べる。


 どういたしまして。本当はもっと広い池を泳ぎまわりたい?


 金魚はもともと金魚鉢の中で命を終えるものでしょ?

 広い池に放り出されても困る。

 子供の声で、鹿爪らしく応える金魚。


 それに、今のあなたも同じでしょ?


 金魚の指摘に、私は辺りを見回してみる。

 狭い部屋。窓はあるけど嵌め殺しで、どこにも扉が見当たらない。


 そうだね。じゃあ、ここでいっしょに遊ぼうか。


 浮かれた金魚は金魚鉢を飛び出し、部屋中をぴちぴち跳ねる。

 慌ててどたばた捕まえようとして、なんだか可笑しかった。



 目覚めたとき、金魚は横になって金魚鉢の中に浮かんでいた。

 少しだけ悲しい気分に浸った後、庭に埋め小さな塚を作った。

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