第3話 民俗学者 汀宗也
町外れの郷土資料館には、小学校の社会科の授業で一度行った事がある。昔の漁具や郷土史の資料が収められているが、正直何度も足を運びたいような場所ではない。
「やあ、来てくれたんだ」
素人民俗学者は資料室を借りて書き物をしていたらしい。シャツの袖をまくり眼鏡を掛けている。
来てしまったのは気弱そうな彼がなんとなく放っておけなかったからだ。案の定、神社の関係者からの聞き取りは失敗したらしい。
「みんな忙しそうでね」
そう微笑むが、拝島伯父や宮司相手では、時間があったとしても成果があったか疑わしい。
とりあえず、自分が参加してきたここ数年の様子を話して聞かせる。関係者としてではなく、見物人としての話だから、私でなくても話してあげられる内容だろうけど。
肝心の今年に入ってからの事は、私自身が本宮のでの祭祀を詳しく教えられていないため話せることが無い。覚えた祝詞をいくつか諳んじてみせた。
「ああ、それはちょっと面白いね。浜辺での奉納は豊漁祈願、海へ感謝の捧げ物をしているように見えるけど、祝詞は祖霊を敬うものに近い。摂社に祭られていたのはシオイリヒメだったと思うけど、ナミウタヒメって聞かないな。妹神だったかな?」
何だか楽しそうに話している所申し訳ないが、良く解らない。
「宮司が秘宮から拝島に変わったとき、付け足されたのかも」
去年の夏、おばあちゃんが海に出掛けたまま失踪した後、ずいぶん揉めたのは覚えている。祭祀がどうこうではなく、相続で揉めていたのだと記憶しているが。代々宮司の家系だった秘宮ではなく、傍流の拝島を無理筋で推したのが、元々余所者の拝島伯父だから無理もない。
なにそれ詳しくと食い付かれたが、詳しい話など知るはずもない。代わりにおこもりについてどんなものか聞いてみた。
「そうだな……大人が揃って帰って来た祖霊を慰めるという名目で、夜通し酒盛りって所だと思うけど……」
「やっぱり?」
大人だけで何か美味しいものを食べているに違いないという私の想像は当たっていたようだ。
「ただね、豊穣との関連付けで、夜這いだとか乱交だとかの可能性もある」
あんまり子供にする話じゃないけどねと、宗也は悪気もない顔で言ってのける。
私の笑みが引き攣っているのに気付いてか、慌てて「今時はそんなのありえないけどね」と付け足した。
妻帯していない拝島伯父が女性に不自由しているという話は聞かない。むしろ逆の噂は耳にする。私をどうこうしたいというのなら、回りくどく祭祀に託けずに、養われている弱みに付け込むだろう。ありえない話だ。
ただ、宮司のほうは……。
「おこもりは保留にできるなら、出ないほうが良いかもしれないね。何か相談があったらここに連絡して。何か力になれるかもしれない」
不安にさせた事に恐縮してか。彼は番号を控えたメモを渡してくれる。
「僕はここに滞在しているから、覚えておいて」
満月が照らす海を横目に見ながら、帰路を歩む。
夏も盛りだが、日が落ちればまだ過ごしやすい。山からの風は生暖かいが、シャツの中にこもった汗臭さを、穏やかに海へ流してくれる。
帰ったら身を清め、おこもりの準備に取り掛からなければならない。
明確に嫌なら断れもする。でも、どうにも煮え切らない気持ちのまま、私はふわふわと歩き続ける。
街灯も無い寂しい場所に差し掛かる。
なんとなく、小さな頃にしたように堤防の上を歩いてみたくなった。車も殆ど通らないから、人目を気にする必要も無い。私はスカートが乱れるのも構わず、堤防によじ登った。
無駄に重い胸が邪魔だ。立ち上がると、思ったより高くて少し怖くなる。
そうか。背が伸びたからか。
サンダルを脱いで、バランスをとって歩き出す。
堤防の上を歩く私を、心配そうに、羨ましそうに眺めながら、並んで道路を歩いていた海斗の姿を思い出す。海斗が私と同じ様に堤防を歩けるようになったのは、一年も後の事だったっけ。
どうして変わっちゃったんだろうな。
懐かしさと共に、迷いの正体にもぼんやりとだが思い当たった。
決めるのが怖いんだ。
大好きだったおばあちゃんはいなくなり、幼馴染の海斗は私を女として見るようになった。姉妹のように仲の良かった美魚とは、微妙な距離を感じ始めている。漠然と日々を過ごしていた私は、この先どう変わってしまうんだろう。
一つため息を吐き、堤防に腰掛け海に映る月を眺めていると、砂浜で蠢く複数の影に気が付いた。
お祭り気分のまま若者が騒いでいるのではなさそうだ。コンビニ代わりのよろずやで飲み物や花火を買い込んで遊ぶには、此処は遠すぎるし寂しすぎる。何より、嬌声や歓声が響いてこない。
胸騒ぎにも似た感覚に、サンダルを履きなおした私は身を低くして浜辺側に降り、消波ブロックの影に身を隠しつつ近付いて様子を伺う。
その光景を目にし私が最初に連想したのは、鮭の産卵シーンだった。
月の光の下、一人の少女が群がる男達に陵辱されていた。
少女が着せられているのは拘束着だろうか。しなやかな身体のラインを露にする白い皮製の服は、少女の両腕の自由を奪っている。皮肉なようで幸いな事に、拘束着はその頑強さ故、少女の貞操を守る役割を果たしているようだ。
脱がす事も引き破る事もできないのか、あるいはその間ももどかしいのか。ある者は少女の両脚を抱え込み、ひたすら股間を擦り付けている。長く艶やかな黒髪を鷲掴みにし、いきり立ったモノを可憐な口元に強引に捻じ込んでいる者。なんとか受精させようとしているのか、首輪の付いた襟元から精液を流し込もうとしている者も居る。
吐き気を催す程に凄惨な光景のはずなのに、不思議とおぞましさよりも先に物悲しさを感じたのは、どうしてなんだろう。
荒々しい男達の息遣いとは対照的に、少女が悲鳴や拒絶の声どころか、ごく生理的な反応として僅かな声しか漏らさないのが原因か。
どれだけの間男達の劣情を受け止め続けたのか。
男達の欲望のままに、淫らに折り曲げられるその肢体にも。
己の置かれた状況に無関心なまま、ぼんやりと半眼でまどろむ様な貌は言うに及ばず。
少女を操り欲望を掻き立てる手綱として、あるいは凌辱を演出する極上の敷布として踏みしめる髪までもが白濁に塗り固められている。
月の光を浴びぬめらかに輝くその姿を前に、息苦しさと共に抱く名も知らぬ初めての感覚に、私はただ戸惑う事しかできなかった。
少女を犯す男達は皆、魚の顔をしていた。
見開かれたままの目は顔の両側に位置し、顎のない首元には鰓らしき裂け目が刻まれている。
背丈は人間と変わらないが、滑るその背は鱗で覆われ、鉤爪を持つ節くれだった指の間には、水かきが見える。頭部や股間に疎らな体毛が生えているのが、人間っぽくて気味が悪い。
少女の口を犯していた魚人が呻き声を上げると、少女の頭を抱え込み、下腹に押し付ける様にして射精する。嘔吐く少女の口から溢れた精液が喉を伝い零れる。まだ足りないのか、魚人は驚くほど大量の欲望を吐き出し続ける男根を擦り付け、少女の顔を汚す。己の臭いを刷り込み、所有権を誇示するように。
少女が咳き込む声で我に返る。
いけない。場の雰囲気に飲まれかけていた。
あの人形のような顔には見覚えがある。民俗学者の青年の車で見た少女だ。
彼女が泣き叫んでいなくても、ろくに身動きの取れない相手に対するこの行為が、断じて合意あってのはずが無い。相手は化物だけど、少女を道具に欲望を処理する身勝手さに対する女としての怒りが、恐れを僅かに上回った。
手頃な石を手に重さを量り慎重に距離を見極める。アンダースローで放った石は、今までの人生で一番の出来で少女の口を犯していた魚人の側頭部に吸い込まれた。
不意に倒れた仲間に魚人たちが慌てる隙に、波消ブロックの影を伝い位置を変える。幸いバットに似た重さと硬さの流木を手にする事が出来たが、ここから先は満月に照らされる浜辺に姿を晒さなければならない。魚人の一人は少女から離れ、跳ねるような動きで私が石を投げた場所に近づいている。
深呼吸し震える足を一つ叩くと、流木を手に少女の髪を掴んだ魚人に向かって駆け出した。
波消ブロックの影から出た瞬間に気付かれていたのだろう。僅かな逡巡の後少女の髪を離して魚人は私に向き直る。
焦りに駆られた私のフルスイングは早すぎるタイミング。
しでかした失敗を悟り恐怖と後悔に総毛立つも、避けるでも受けるでもなく、魚人は頭で受けるように踏み込んできた。
派手に折れ飛ぶ流木の破片と倒れる怪物を目にし、安堵に脱力し掛けるも、魚人の行動の意味に気付きぞっとした。
掴もうとしたんだ。流木じゃなく、私のほうを。
嫌悪感で身震いするも、もう一人が戻ってくる。
「立てる?」
「……rる?」
汚液に構わず少女を助け起こす。思ったよりもしっかりしている。
肩を貸そうとしゃがむ私の足首を、湿った手が掴んだ。
「ふわぁあ!!」
慌てて振りほどく。上手く気絶させられた訳じゃなかった。殴り倒したほうも、よろよろと立ち上がろうとしている。
不意にエンジン音と共に砂浜にライトが向けられた。通りかかった車が不審に気付いたのか。通り過ぎる事無く、ライトは向けられたままだ。
こちらへ跳ね寄りつつあった魚人は、そのまま海に飛び込んだ。車の方へ向かうには、少女を抱えたまま2人の魚人の間をすり抜けねばならない。逆方向にこのまま浜辺を走れば、古い社へ続く崖の小道がある。
僅かな逡巡の後、少女を抱え車へ向かって駆け出した。
かわそうとしたが、少女の肩によろける魚人の手が掛かる。
ライトの逆光の中、運転席から降りた人影が右手を上げると、乾いた音が鳴り響いた。
銃声?
身を竦めるも、魚人の動きも止まっているのに気付き、そのまま走った。
「助けて!」
車に辿り着き人影に助けを求めると、聞き覚えのある声が返された。
「あれ? 郁海ちゃんだ」
緊張感のない語り口に脱力する。
キィの様子に気付いているはずだが、宗也は何も問わず浜辺を凝視している。
月明かりに照らされる海面に、何かが浮かび上がる。
「乗って」
その正体に気付き、その数に総毛立つ私に、彼は軽い調子で言い放つ。
慌てて少女を押し込め、自分も乗り込むと同時に、素人民俗学者の車は浜辺を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます