9話 夜を生きる

死ぬか生きるかの修羅場は、年端もいかないガキの頃から何度も経験している。

だが今回は、その中でも最悪の部類に入るケースだった。

第一に、人数で圧倒的に負けている。

こちらは相棒と別れて一人きりなのに対し、あちらはいちいち数える気にもなれない程ウジャウジャいる。


第二に、地の利が無い。

この港街ガランドードは交通の要所なので何度か足を踏み入れているが、恐らく連中は地元のクズで、ラリーよりもずっと熟知しているはずだ。

いくらオツムの足りない奴らといっても縄張りの内に変わりはない。

この二つの悪条件が重なっている段階で、生き残れる確率は極めて低い。


ラリーの心臓はここ最近では見られない程に激しく脈打っていた。

褐色の禿頭を汗が伝い落ちる。

背後から迫る怒号と相当数の足音が耳を打った。

夜の歓楽街を歩む者たちが、引きつった顔でラリーに道を開ける。


よしよし、頼むからここで通せんぼなんてしてくれるなよ?

前後から挟み撃ちなんてくらっちまったら、本当に最期だからな。


全速で大通りを駆け抜けながら適当な横道を探す。

こういう場合、とにかく入り組んだ狭い路地に入って追手を撒くのは常套手段だ。だが、うっかりすると袋小路に追い詰められて一巻の終わりともなり得る。

とはいっても、このままバカみたいに真直ぐ走るだけではどうにもならない。

巡回中の保安隊員が止めに入ってくれる――なんて展開もあるかもしれないが。

そんな都合の良い事が頭をよぎった瞬間、ラリーは絶望的な巡り合わせに思わず舌打ちしてしまった。


後方からしつこく追ってくるクズども、その仲間らしい連中がニタニタ笑いながら前方に待ち構えている姿が目に入ったからだ。


おうラザンそのクロンボを捕まえてくれ――あぁ任せなよキース――だってさ。

こりゃあもう、ごちゃごちゃ考えてる暇はねえわな。


ラリーは迷うことなく左手の路地に飛び込んだ。

建物全体が傾きかけた安酒場がひしめき合い、酔客がだらしなく道端に寝転んでいる。人一人ギリギリ通れるかどうかの道を抜け、立小便をする赤ら顔の爺を突き飛ばし、どこか別の大通りに通じる道を探す。


しばらくすると、追手の気配が遠くなった。

だが同時に、ラリーの息もすっかりあがってしまっている。

舌がパリパリに渇き、飲み込んだ唾で喉が痛みを覚えた。

少しずつペースを落としていき、完全に怒号が聞こえなくなったところで一旦足を止め、改めて気配を探った。

それから、周囲に視線を配りつつ足音を殺しながら歩き始める。

汗が一気に噴き出てきた。


ったく、何やってんだよ俺……。


相棒と別れた途端、この体たらくだ。修羅場をくぐるのは構わない。

だが、銅貨一枚にもならない理由で危険な道を選ぶのは、命知らずのバカのする事だ。


さっきの大剣の兄ちゃん――ギルだっけか、あいつを笑えねえな、まったく。


しかしあの大男との違いは、ラリーは反省をして行動の修正ができるという点だ。二度とこのような下手は打つまい。


繁華街の喧騒がだいぶ遠くなったところで、ラリーは静かに腰を落とし大きく溜め息をついた。

あのクズどもも、もう諦めたことだろう。

あの様子から察するに黒人がよほど嫌いなのだろうが、ラリー個人に恨みがあるわけではない。姿を見失ったところで、誰かが言い始めるはずだ。

おい、もう帰ろうぜ、と。

その一言で頭に昇った血もだいぶ収まってきて、そうだな呑み直そうぜ、となることだろう。

最後に負け惜しみで、あの野郎今度ツラ見たら逃がさねえなんて言い捨てるんだよな、リーダー格が。

分かってるんだよ、お前らどこでもいくつになっても大抵同じだから。


ラリーはせせら笑いを浮かべると、物陰に隠れて仮眠を取ることにした。

こんな場所で一晩過ごすなんてのは何とも冴えない話だが、また連中とアホみたいに追いかけっこをするよりはずっとマシだ。

朝を待って街を出ることにしよう。

しばらくはガランドードに迂闊に近づけなくなるが、ほとぼりが冷める頃には新しい相棒も見つかるはずだ。

そしてラリーは、警戒を怠ることなくしばしの休息を得た。

さんざんな一日だったが、陽が昇ればまた運も向いてくるだろう――などという淡い期待を抱きつつ。

ところが事態は、ラリーの想定を遥かに超えるほど深刻だった。


「おい、あいつ……もしかしてさぁ……」


「シッ! 間違いねえよ。おい、知らせてこようぜ!」


小声の緊張したやり取りで目を覚ました。

ラリーはどんなに疲れていても、些細な物音で意識を呼び覚ますことができる。

それぐらいできなければ、とっくの昔にあの世逝きだった。

まだ年端もいかない男児二人だ。

だが、ここは歓楽街の外れの貧民窟。例え幼子であろうが老婆であろうが、一切の油断を許されない場所なのだ。

会話の内容から、様子を探る余裕はないと判断した。

すぐさま跳ね起き、声のした方角に走る。

汚れた格好のガキ二人が短い悲鳴をあげた。

踵を返し、細い路地に逃げ込もうとする。二人まとめて捕まえるのは無理そうだと判断したラリーは懐から得物を取り出すと、ガキの足元に投げつけた。

縄の両端に丸石を結びつけた飛び道具だ。

南方由来の武器らしいが、なぜか西方人の元相棒から教わって時々使うようにしている。殺傷力は低いが状況次第ではかなり有効な武器だ。

ガキの膝の辺りに当たった。派手に転んで叫ぶ相方を、もう一人のガキは見捨てて逃げていった。賢明な判断だ。

ラリーは腰の小剣を抜き放ち、泥だらけになってもがくガキに大股で歩み寄った。


「ひ、人殺しぃ! 助けて、誰か助けてぇ!」


早朝の静寂を破る甲高い声。

周囲に人の気配は感じられないから心配はいらないが、耳障りなことこの上無かった。脇腹をブーツで蹴る。二発入れただけで動きが止まった。

うつ伏せになったガキの背中を踏みつけ、首筋に刃を当てる。


「よーし、おとなしくしな。今から質問をするからよ、素直に答えるんだぞ。余計なマネをしたら即殺すからな」


やせ細った体をブルブルと震えさせ、ガキが何度も頷く。

鼻水を啜り上げていた。泣いているのかもしれないが、顔を確かめる気はなかった。とにかく時間が無い。

もう一人のガキが、一体「誰に」「何を」知らせるつもりなのか、それを考えると寒気が走る。


「どこのボケナスに俺を売るつもりなんだ?」


「あ……き、キースに……」


昨夜、あの騒ぎの中で聞いた名だ。例のバカどものリーダー格ということか。


「キースって野郎は何者なんだ? 後ろ盾は地廻りか? 盗賊組合か?」


「い、いや……キースは、そういうんじゃなくて……」


「はーん、ただチンピラどもを仕切ってるだけってか。そんなに強そうな奴らには見えねえが、ここらの『大人』は随分とだらしねえんだな?」


実力も後ろ盾もないガキどもが調子こいたら、きっちり締め上げるのが裏社会の作法だ。ガランドードは大きな港街で、一つの組織が全てを束ねているわけではないが、あの規模の繁華街で、あの手の輩がデカいツラをしていられるには後ろ盾が必要になる。


「き、キースは……お、親が、保安隊の偉い人で、か、金持ちなんだ……」


なるほど。表社会の権力と財力に守られているというわけだ。

裏社会のお偉いさんたちとしては、今は好き勝手やらせておいて後から弱みを握るつもりなのかもしれない。


「へー、ムカつく情報ありがとよ。で、何で俺が狙われてるんだ?」


「知らないよ……でも、あんたを……チビのクロンボの居所を見つけたら、銀貨二十枚くれるって……ぐっ!」


ガキの延髄に拳を叩き込み、気絶させた。

銀貨二十枚とはまた安い命だ。あとチビは余計だろ、クソガキが。


ともかく、状況は全て把握できた。

キースとかいう甘やかされたゴミ野郎は南方の黒人が死ぬほど嫌いらしく、首に賞金を懸けてまで捕まえて殺したいらしい。

特に恨みも縁もないはずのラリーをそこまでして殺したいという動機はさっぱり理解できないが、クズの頭の中身なんかに興味はない。

目下のところ、ラリーの関心は自分の生き残る道だけだ。

敵地で孤立無援、状況は最悪だが悲観はしない。

特に策があるわけではないが、このままおとなしく殺されるなど真っ平ごめんという奴だ。

ラリーは小剣を鞘に納めると、不敵な笑みを浮かべた。


舐めるなよ、クソどもが。絶対に生き延びてやるぜ?


(続く)

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勝手にしやがれ!~ジャンク・ストーリーズ 加持響也 @kaji_kyoya

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