8話 最悪の事態
さて、どうしたものかね。
ギルという超大物級のバカと別れたラリーに、当面の行くあては無かった。
行くあてが無いと言うと何だか心細い響きがあるが、右も左も分からない世間知らずの子どもというわけではない。
むしろ、賞金稼ぎなどというヒリヒリするような稼業に生きる身にとってはごく当たり前の事だ。
誰かに仕えているわけでもなく、己の全人生を賭けて成すべき大望があるわけでもない。
風の向くまま気の向くまま、何処へなりと行けばいいのだ。決めるのは常に、自分自身である。
とはいえ、あまり呑気に構えているわけにもいかない。
世の中、何をするにも金がかかるのだ。
今はまだ懐に余裕があるからいいが、これが今日食べる飯の都合すらつかない身の上となっては困ったことになる。
人間、食うに困るとどんな愚かなことでもするようになるということを、これまでの人生で嫌というほど目の当たりにしてきた。
とりあえずラリーは、相棒として相応しい奴が集まりそうな場所に片っ端から出入りすることにした。
仕事柄、あまり目立ちすぎてしまうのは禁物なのだが、黙っていたら向こうから「よお、俺と組まねえかい?」などと声を掛けてくることもないだろう。
そもそも、その手の話に乗っかるのは、経験上ろくな事にならない。
――しかしまあ、なかなか見つからねえもんだねえ。
しばらくの間、繁華街に立ち並ぶ酒場・賭場・屋台などに顔を出し、気になるやつには声を掛けてみたのだが、どうにもピンとくる相手は見つからなかった。
例の質問に正解した者は、当然ながら一人もいない――あれ、もしかして凄く難しい話だったのかもしれねえな? それとも、この街には頭の回転の鈍い野郎しかいねえのかな?
まあ、いい。何も無理してこの街で相棒を探す必要もない。
港からは帝都への定期便も出ている。そこで腰を据えて探すというのも手だ。
あと一晩二晩当たってみて、脈が無いようならそうするとしよう。
そう割り切って、気楽に夜の街を歩いていたのだが――。
ああ、くそっ、やっちまった。
その店に足を踏み入れた次の瞬間、ラリーは己の判断を悔いた。
もう何軒目かは覚えていないが、少なくとも十は余裕で越えているはずだ。軽く一杯だけ吞む程度、それも相棒の吟味にたっぷり時間をかけていたから、酔いは回っていない。
だが、普段なら――そう、ティリスと組んでいたつい先日までのラリーなら絶対に気づいていたはずだ。
この店の『ヤバさ』に。
だいたい、酒場というものは程度の差こそあれ『危険な場所』ではある。
間違っても、まだ嫁入り前の娘などは出入りを控えるべき場所だ。
ましてや港街ガランドードの酒場ともなれば、カタギは絶対に近づかないような、いや、ラリーのような稼業の人間でさえ避けたくなる店も少なからずある。
第一に、麻薬中毒者が常連の店。
頭が完全にイカれちまった連中と同じ空間にいるなど、正気の沙汰ではない。
それに十中八九、裏で――あるいは堂々と売人が仕事に励んでいる。
確実にトラブルに巻き込まれるであろう、最悪の店だ。
第二に、組織に属さないチンピラの溜まり場。
地廻りのヤクザや、盗賊組合が取り仕切っている店は、入口に屈強な用心棒がいるからだいたい分かる。カタギの人間にとっては危険だが、ラリーにとっては勝手知ったる世界だ。余計な事さえしなければ、困ったことにはならない。
そういう強い後ろ盾の無い店には、フリーの連中が集まってくる。
フリーと言えば聞こえは良いが、要するにはみ出し者のクズだ。
恐れ知らずで、自分の命も他人の命も浮かんで消える泡のようにしか考えていない。
似た者同士で殺し合ってくれる分にはどうぞ勝手にしやがってくださいという話だが、この手の輩は徒党を組んで『よそ者』を排除したがるのが常だ。
目を合わせることはおろか、近づくだけでも面倒なことになる。
第三に、不潔な店。
ラリーも決してお上品な生まれや育ちではないが、息を吸うだけで厄介な病気にかかりそうな店は勘弁だ。
最後に、店主がクズの店。
どんなにろくでもない連中が集まる店でも、店主がそいつらを一睨みで黙らせてしまうような豪傑だと危険度は遥かに下がる。
実際、帝都でも傭兵どもが集まるような店では、たいてい同じ傭兵上がりの猛者が取り仕切っていて、荒っぽいなりに一定の秩序が保たれていたりする。
あいにくな事に――。
ラリーが踏み入れてしまった店は、それらの悪条件が何ともれなく当てはまってしまう、正真正銘、地上最悪の酒場だったのだ。
そもそも、看板も無い、地下の穴蔵のような店に入っていった時点で俺は頭がどうかしてやがったんだ――ラリーは己の迂闊さに腹が立った。
ティリスがいたら、まず間違いなく止めていただろう。
どのぐらい最悪なんだって? ああ、もうビックリするぐらいの最悪だぜ。
まずは、朽ちかけた扉を開けた直後、中の様子を見るより先に思わず顔をしかめちまった程の煙、こいつがひどい。火事なんじゃねえかと疑っちまったくらいだ。
紫煙なんていうとカッコいいが、こりゃそんなお上品なものじゃねえよ。
それと、臭い。それだけの煙があっても打ち消せないぐらいの、得体も知れない悪臭だ。猫の小便の方がよっぽど『香しい』ぐらいの、得体の知れねえ臭いだった。あまり想像したくはねえが、汗と糞、ゲロにカビ、それと腐った食い物を混ぜこぜにしたってところだろうな。人間が生きていく場所じゃねえよ。
で、中には有象無象のチンピラどもの群れ――本当に『群れ』って言葉が似つかわしいぐらい、狭い室内にぎゅうぎゅう詰めになっていやがる。
いや、動物たちだって、
「おいおい、俺たちの群れと一緒くたにしねえでくれよ」
と、抗議したくなるような連中だな。
パッと見ただけで頭の悪さがバレちまうような奴ばかりだ。当然のように品も無いし、不潔極まりない。
見た目だけで人を判断してはいけない、などと言う人間もいるが、どう見たってこいつらは性格も糞同然だ。銀貨一枚賭けたっていいぜ?
で、傑作なのはさっき挙げた最悪の条件の最初と最後、だ。
何とこの店――いや、本当に商売として成り立っているかどうかは疑わしいのだが――店主が麻薬中毒者なのだ。
カウンターの向こうで呆けた顔をしている男、恐らくはこいつが店の主なのだろう。自分が何者かも、おふくろの顔すらも忘れちまったような、完全無欠のラリパッパだ。
まともな人間なら、店に入っただけで毒気にあてられて倒れちまうかもしれない。
トラブルは御免被るとすかさず踵を返そうとしたが、すでに手遅れだった。
この手の輩、頭の回転はすこぶるつきで遅いくせに、こういう時だけやたらと反応がいいものだ。
「おう、何の用だよクロンボ!」
勘弁してくれ、第一声がこれかよ。
これまでだって十分すぎるぐらい最悪なのに、差別野郎の集まりとはね、恐れ入ったよ。
確かに見た感じ、南方系の黒人は一人もいやがらなかったけどな。まあ仮にいたところで、そいつと同胞とは思われたくねえんだが。
しかし、底辺を這いずるようなチンピラどもにとっては、ただ一つてめえのプライド――ああ、こんな屑にもあるんだよ、厄介なことに――を保てるようなものがあるとしたら、肌の色と股間にぶら下がってる汚ねえ棒っきれくらいなものなんだろうな。
こんな場面で気さくな冗談の一つも飛ばせれば、そりゃあカッコいいかもしれねえ。だが、そんなことをするのは余程の自信家か、ただのバカだけだ。
背後でぞろぞろと立ち上がるボンクラども殺気を感じ、ラリーは迷うことなく階段を駆け上がった。
(続く)
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