第二十一話 姫君逃走(プリンセス・エスケイプ)

 戦場に一陣の風が吹く。

 それは先程までの死闘の熱を奪い去り、人々の心に空虚だけを残していった。

 誰も何も言えない。今はただ風向きが変わる時を待っていた。

神白狼ヂンパイロウ』は既に両腕の剣を納めており、それ以外にその心境を現すものはない。

 彼は黙って地面を見下ろしており、そこには二体の生体装甲バイオ・アアマの残骸があった。

 それは胴の部分から二つに断ち切られて、ただそこに転がっていた。『神白狼』はその前に膝をつく。そして、胴前ドウマエから触手を伸ばすと、残骸の中に差し入れた。しばらくしてから触手は何かを残骸の中から引き出す。陽光を反射して輝くそれは、教授プロフヱサア単鏡モノクルだった。

 触手はそれを大切に捧げ持ち、胴前の中に入れる。そして『神白狼』は再び立ち上がった。

「エリイ……」

 雄一が掠れた声でエリイを呼んだ。

「はい、御主人様マスタア

 エリイは妖精の姿で雄一の前に進み出た。

「お願いがあるんだ。教授――亜里沙を焼いてほしいんだ。このままにしておくと、また使われてしまうかもしれないから。亜里沙はもう十分に頑張ったのだから、ゆっくり休んでもらったほうがいいと思う」

「――分かりました」

 エリイは目の前に火焔の球を作り始める。その最中に彼女が言った。

「あの、『訶梨帝母ハアリテイ』さんも一緒に焼いたほうが宜しいですよね」

「そうだね。有り難う、エリイ」

 二人の会話を聞きながら、他の地球ガイア人たちは同じ思いを抱いていた。

 武装妖精アアマド・ピクシイが配慮を示した?

 もちろん武装妖精には自立した意識があり、彼らの中には御主人様の命令を斟酌して、常に期待以上の成果を達成する優秀な者がいる。しかし、それはあくまでも命令を的確に把握した延長線上の話であって、先程のエリイが見せたようなブラスアルフアの提案ではない。むしろ、御主人様の意にそぐわない行動は禁忌タブウなのだから、武装妖精にとっては指示待ちのほうが普通の姿である。

 それなのに、雄一の従者ジウサ達は積極的に口を出し、更には雄一が決して望まないと分かっていることまで、必要であれば試みることに躊躇しない。

 雄一が甘やかしているせいで己の分を忘れているのか、それとも本来の姿がそうなのか。

 各々の困惑をよそに、火焔は亡骸を一瞬のうちに灰塵となす。

 煙が後に残り、風に揺れていた。


 ヨルがふらつく足取りで雄一に近づく。

「御主人様――」

「分かっているよ、ヨル」

 雄一は煙から目を離し、振り向くと周囲を見回しながら言った。

「エミ、いるんだろう。出ておいで」

「――はい、雄一様」

白蓮ビヤクレン』の後ろからエミが姿を現して、『神白狼』の前に進み出た。

『神白狼』の左腕から剣が伸びる。『白蓮』は思わず足を踏み出しかけたが、それを『ロン』が止めた。

「黙って見ていてご覧」

 劉の穏やかなな声に、琴音は頷く。


 足を踏み出す『神白狼』を見ながら、エミは微笑んだ。斬られてもよいと思っていた。避ける気もない。

『神白狼』の刃が上から落ちる。

 それはエミの右側を通って下に落ちた。そのまま今度は下からの切り返しで上に昇る。それがエミの左側すれすれを通ってゆく。続いて右から左、左から右へと剣が振られて、いずれもエミの身体をかすめるように流れてゆく。

 最初のうち、その様子を平静に眺めていた彼女は次第に疑問を感じ始めた。

 その後も『神白狼』の刃は、彼女の身体に触れることなく空回りしている。

(なぜ斬らないの?)

 でたらめに振っているようにしか思えない『神白狼』の刃は、正確にエミの身体の表面から一〇線地センチのところを通過している。正確に、寸分たがわず。そこまで正確に制御できるのならば、当てることだって難しくはないはず。

 それに気が付いた途端、彼女は愕然とした。

 風を巻き起こしながら周囲を飛び過ぎる豪剣の刃。風に押されて揺れる彼女を正確に補足して飛び過ぎる豪剣の刃。

(斬れないのではない。最初から斬るつもりはないのだ――)

 最後に、『神白狼』は豪剣の切っ先をエミの正面にぴたりと止める。

「これでいい。もうすべてのえにしは断ち切ったのだから、自由に生きてもいいんだよ。エミ、いや、今はモミジだったね。さようなら」

 その言葉だけを残して『神白狼』は踵を返す。エミの瞳からやっと涙が零れ出た。


 彩は進藤のほうを向いて言った。

「どうやら何か仕事がありそうだから、申し訳ないけれど約束は今度必ず果たすわ」

「あ、ああ、楽しみにしている」

「それに――」

 彩はそこで笑いを含んだ声で言った。

「それが実現するまで、貴方は決して死ねないはずだから」

 そう言い残して彩は身を翻すと、何処かに向う『神白狼』を追う。

 残された進藤はぽつりと呟いた。

「やられた――いい女だね、彼女は。あいつには勿体なさすぎらぁ」


政宗マサムネ』は、城壁に向かって歩く『神白狼ヂンパイロウ』に追い付いた。

 彩は雄一の後ろに従って、その様子を窺う。

『神白狼』の歩みは落ち着いていた。先程の火葬の件といい、武装妖精アアマド・ピクシイに対する儀式のような振る舞いの件といい、普段の雄一からは考えられない落ち着き方である。

 彩はそれが不満でならない。

 最愛の女性を失った直後なのだから、雄一ならばきっと悲嘆に暮れるはずである。泣いて、泣いて、泣き続けるはずである。そうでなくては雄一ではない。今の雄一はどこかおかしい。

 しかし、それを直接問い質すことも憚られて、彩は燻った思いのままで後をついて行った。

「彩さん」

 雄一の声がする。

「ミツドランド王国は崩壊したから、僕達を縛るものはなくなりました。だから何処に行くのも自由です」

 落ち着いた彼の声に、彩は自分の声が尖るのを抑えきれない。

「雄一君はどうするの? 一体これからどこに向おうとしているの?」

「僕は教授プロフヱサアとの約束を果たしに行きます」

『神白狼』は破壊された城壁の残骸を乗り越えて、中に入る。城壁内での生体装甲バイオ・アアマの軌道は御法度だったが、それを咎める者はもはやいない。

 なぜなら、城壁内は逃げ遅れた一般住民以外の姿はなかったからだ。

 生体装甲部隊が出撃してから、さほど時間は経過していない。ところが守備兵であるところの騎士、貴族の姿はなかった。籠城戦という名目は、戦闘の経過に従って完全なお題目に変わり、彼らは生体装甲部隊を置いて何処かに去っていた。恐らくは『喰人クラウド』の出現により戦場が混乱した時であろう。ヘルムホルツ共和国側もそれどころではなかったからだ。

 彩は思う。

 結局、教授の犠牲は何であったのか、と。

 ミツドランド王国の目の前に現れた『喰人』は、そのまま放置したら王国の臣民を喰いつくしかねないほどの脅威である。それを阻止するために教授はあえて自らを『喰人』化したのではなかったのか。その結果が貴族達の逃亡の手助けでは哀しすぎる。自分がそう思うのだから、雄一はさぞかし落胆しているに違いない。

 しかし、『神白狼』はやはり淡々と歩みを進めている。

 事ここに至り、彩は捨て置けなくなった。

「雄一! 貴方どうしたの? 貴方らしくない! 教授のことはもうどうでもよくなったの!」

『神白狼』の足が止まる。

 酷いことを言ったのだから罵声を浴びても仕方がない、と彩は覚悟する。

 雄一は言った。

「そうだよね。僕らしくないと彩さんも思うよね」

「……」

「でも、もうすっかり出し切ってしまったんだ。教授が直接接続ダイレクト・リンケイジで迎えに来てくれた時に、僕は長い時間をかけて彼女の計画を止めるために泣き叫び、ありとあらゆる醜態を晒した。でも、彼女は覚悟していた。最後には僕もその重荷を担うことに同意してしまったぐらいに。だから、今は僕はもう泣けない。それに、彼女との約束をまだ果たしていないから、ここで立ち止まる訳にはいかないんだ」

 淡々としたその言葉に、彩は雄一の哀しみの深さと重さを知る。

 彼は何も感じていないわけではなかった。ただ、既にその哀しみを十分に表に出し尽くしてしまったのだ。教授が雄一を迎えにいっていた時間はそれほど長くはなかったはずだから、雄一の言っている「長い時間」の意味が彩には分からなかったが、物理的時間と心理的時間に隔たりがあることは承知していたので、そのことだろうと理解する。

「ごめんなさい、酷いことを言って」

 彩は素直に謝った。

「ううん、いいんだ。それよりも、ここから先には恐らく修羅の道が待っているはずだから、彩さんは自分の道を進んだほうがよいと思う」

『神白狼』は町の中心を走る大通りを歩く。目の前には王宮が聳え立っていた。

「聞かせて。教授と一体何を約束したの? それを聞いてから私は私の進む先を考えるから」

「――分かった。教授はこう言ったんだ」


 *


 教授に「『喰人』化した自分を『訶梨帝母ハアリテイ』ともども斬れ」と頼まれた雄一は、当然のことながら猛然と抗議し、哀願し、愁訴し、激怒した。しかし、それしか方法がないことを教授から諄々と説かれて、最後には彼もそれを了承せざるをえなかった。

 以前の彼であれば、決して了承しなかったかもしれない。

 しかし、教授の記憶を担った今は、彼女がどれだけの切ない覚悟でそれを成そうとしているのか、手に取るように分かった。それに、ここで時間を使い過ぎると教授の記憶の原本が消え去ってしまう。心裡シンリの中だから時間の進み方が遅いとはいえ、時計が止まっている訳ではない。

 教授に優しく抱きしめられながら、そして絶望的な未来に悄然としながら、彼は頷いた。

 その上で、さらに教授はこう言ったのだ。

「二つめのお願いは、姫君を守ってほしい、というものだ」

 彼女の腕に力が入る。

「姫君は――ライナ・ミツドランドは決して私のことを許さない。だから、彼女を守ってほしいのだ」


 *


 ミツドランド王宮はかしいでいた。

 レイルガンによる攻撃は建物の主要構造部を激しく毀損し、自重に耐えられなくなった高層部は殆どが倒壊している。中央部だけが明らかに傾きつつも、なんとか均衡を保っていた。

 これでは、王宮の中心部にいたはずの姫君はひとたまりもない。

 彩がそう考えていると、『神白狼ヂンパイロウ』は王宮正面を逸れて、片隅のとある一角へと向かった。彩もその方向には馴染みがある。転写トランスレイトに使われていた降臨堂コリドウがあるところだ。

「なぜこんなところに――姫君がここにいるというの?」

 彩には意味が分からない。

「前々から教授プロフヱサアは約束していたんだ。緊急事態の時には誰かをここへ迎えによこすと」

「誰とそんな約束をしていたの?」

神白狼ヂンパイロウ』は辛うじて形を保っていた降臨堂の正面扉に向かう。

 正面扉は完成した生体装甲バイオ・アアマを搬出できるほどの大きさがあり、中からは高度呪文ハイクラス・コマンド詠唱ロオデイングが漏れていた。

筆頭大神官チイフ・グランドマスタアのグイネルさんと――」

『神白狼』は扉を開ける。

「――その前の筆頭大神官チイフ・グランドマスタアであるアイゼンさんとの約束なんだ」


 室内では儀式が行われていた。


 筆頭大神官グイネルと、その前の筆頭大神官アイゼン――常に姫君の傍に従っていた枯れ木のような老人――が、二人だけで巨大な転写空間トランスレイト・フイルドを作り上げている。

 今はその中で灼熱の炎がたぎっていた。火炎系呪文詠唱フレイム・コマンド・ロオデイングによる焼結シヨウケツ、その最終段階である。とはいえ、術式起動後は呪文の必要がないらしく、

「やっと来たか『神白狼』。教授から、多分お前がくるはずだとは言われたがな。おや、ついでに『政宗マサムネ』もお出ましとは、こいつぁなんとも豪勢じゃないか」

 全身から噴き出した汗で神官衣ケヱプを濡らしたグイネルが、そう言った。

「もう少しだけ待っててくれ。急いで姫君の生体装甲を仕上げる」

 彩は驚いた。

「姫君の生体装甲って、ボルザの貴族が生体融合者パイロツトになるのは禁忌タブウじゃないの?」

 目の前の転写空間の中では、比較的小柄な生体装甲が熱を浴びて赤々と輝いている。あの中に姫君がいるのか。

「おい、小僧! こっちのお嬢ちゃんは何も知らんのか?」

「はい。細かいことを話している時間がなくて」

「なんだよまったく。そんなあやふやなやつらに大事な姫君を預けるってえのかよ」

 グイネルは毒づいた。筆頭大神官として稀に会っていた時の改まった口調とは全然違う。そのいかにも身近な雰囲気につられて、彩は思わず言い返してしまった。

「ついでに来たお嬢ちゃんで悪かったわね」

「ああ、悪いね。俺たちの大事な姫君をお守りする大事な役目なんだからな」

 俺たちの、と語るグイネルの声に力が籠る。

「最高の奴らじゃなきゃいけねんだよ! じゃなきゃ俺は死んでも死にきれない!」

 彩はグイネルの強い思いを受けて口を噤む。彼はその様子を見て、苦笑しながら言った。

「ま、だけどよ。このポンコツになった王国では、お前ら以上の守り手は望むべくもないがな」

 転写空間内の炎の色が変わり始めた。赤から白へ。最後の焼き付けに入る。

「筆頭大神官クラスが二人がかりで精魂込めて作り上げた最高傑作の仕上げだ。目ン玉ひん剥いてよく見てろよ!」

 転写空間に白い光が満ちる。グイネルの汗が瞬時に蒸発し、それどころか肉が焼け始めた。彩はその凄惨な光景に声もない。

「ああ――痛てぇぞ畜生! 筆頭大神官舐めんなよ、こらぁ!」

 神官衣は耐熱処理を施されているらしく何の変化も見られなかったが、露出している顔面と手、足先からは煙すら上がっている。

「一丁上がりだぁ、感動して泣けよ!」

 光が急激に収まってゆく。空間内の生体装甲は白から赤、赤から黒へと急速に表面の色を変化させ、次第にその全貌が明らかになっていった。


 その姿は――黒い『神白狼』。


 シコロ吹返フキカエシ大袖オオソデ草摺クサズリへの分化スペシアライゼイシオンは全く見られない。突起のない滑らかな装甲が、黒く輝く。

「正面扉から出すぞ! 道を開けろ!」

 グイネルの声に『神白狼』と『政宗』が身を引く。その眼前を転写空間に包まれた生体装甲が静静しずしずと進んでゆく。

 空間は扉の前に設置されていた石台の上で止まる。外側の殻が消滅して、生体装甲は石の上にゆっくりと横たえられた。

 途端に石の周囲から水蒸気があがる。まだ表面温度は下がり切っていないらしい。

 降臨堂からよろよろとした足取りで、グイネルとアイゼンが出てきた。

「相田雄一殿、安藤彩殿、お二人に姫君をお預けする」

 アイゼンは、もはや顔面の形を留めることすら難しくなった状態であるにもかかわらず、威厳に満ちた声で言った。

「最期に残った資産もまとめて準備した。一国の備蓄であるから、相当なものである。とりあえずの食料も準備させたから、待っている間に食べなさい」

 そう言って降臨堂内に置いてある黒い箱とテーブルを指し示す。テーブルの上には、生体装甲に搭乗したままでも大丈夫なように、サンドイッチ状のものが置いてある。黒い箱は生体装甲で一抱えほどあるものだった。

「ということで、後は任せた」

 アイゼンのいきなりの丸投げに、彩は憤った。

「ちょっと待って! 一体、私たちに何をしろというのよ? 雄一、何か教授から聞いてる?」

「いや、僕もただ姫君を守ってくれと言われただけだよ」

「じゃあ、何をしろと――」

 アイゼンの手が上がり、彩を制する。


「それは、時が満ちれば自ずから分かる」


 威厳に満ちたその言葉を聞いて、彩はこう言い放った。

「そんな今後に気を持たせるような台詞は要りません! 分からないのなら分からないと、はっきり言いなさい!」


 *


「姫君にお任せすると、面倒臭がって命名しないだろうから」

 と、アイゼンによってライナ姫の生体装甲バイオ・アアマは『黒神姫コクシンキ』と命名された。

 装甲の表面温度が下がったところで、『神白狼』は『黒神姫』を横抱きで持ち上げた。所謂『お姫様抱っこ』というやつだが、生体装甲同士でやると非現実的な光景ではある。

 アイゼンの最後の台詞に未だ腹を立てていた彩は、『政宗マサムネ』で黒い箱をしっかりと抱えつつ、お姫様抱っこされているリアル姫君をちらちらと睨んでいた。

「それではお預かりします」

 と、雄一は丁寧に別れの挨拶をして、降臨堂コリドオを立ち去る。


 残されたグイネルとアイゼンは、正面扉の段差に腰を下ろした。

 互いに顔面の皮膚は爛れ、他の者が見てもいずれがいずれであるか分からないほど酷い有様である。残った魔法で痛みを抑えてはいるものの、治癒となれば高度魔法施設ハイマジカ・エスタブリシユメントが必要だった。

「師匠、それでどうしますかね」

 とグイネルが尋ねた。アイゼンは彼が神官を志して以来の指導教官であった。

「この施設を破壊するしかあるまい。設備面の工夫を他国に知られるわけにはいかぬ」

 生体装甲の生成には各国ともそれなりの独自技術を有している。それは過程プロセス、設備、その他様々であった。この一角も、ミツドランド王国が長年に亘って培ってきた独自技術の宝庫である。それが他国の手に渡った場合、姫君の敵に塩を送るのに等しい。

「ですがね師匠、私は姫君の生体装甲で力を使い果たしちまったんで、滓も残ってません」

「そうだろう。だから貴殿には別な任務がある」

 グイネルはアイゼンを見つめた。不穏な空気が流れる。

「……馬鹿言っちゃあいけませんや。こんな墓露墓露ぼろぼろの搾り滓にできることなんぞ――」

「ある。私の力の一部を貴殿に託すのでな。ついでに、そこそこの姿に戻す。とはいえ、施設のない中でできるのは再生リ・ビルドではなく転用リ・バアスだから、まあ元通りとは言い難いがな」

「あちゃあ、まったく最後まで人使いの荒い師匠だね」

「すまぬな」

「じゃあ、茶茶ちゃっちゃとやって下さい。それから――」

 グイネルはアイゼンを見つめた。今度の視線には親愛の情が込められていた。

「最高の師匠でした。別れの言葉は寂しくなるから言いません。本当に有り難うございました」


 *


『黒神姫』を抱きかかえた『神白狼』が、『政宗』とともに王国の門を潜ろうとした時、背後で爆発音が鳴り響いた。振り返って見ると、今しがた立ち去ったばかりの降臨堂がある辺りから派手に煙が上がっていた。

「最後の仕上げ、か」

 彩がぽつりと言った。垣根を乗り越えて話が出来ていたら、彼らとはもっと上手くやれたかもしれない、と彼女は思った。

「さてと、どっちに行こうかしら、雄一君」

「そうですね――でも、どうやら選択肢がないようですよ」

 雄一が言った。

『神白狼』は門の外を見つめていた。彩もその方向を見る。

「あちゃあ、なるほどね」

 門の外、遥か向こうのほうから軍勢が押し寄せてくる。『喰人』の騒ぎで陣形の崩れていたヘルムホルツ共和国軍が、やっと立て直しを終えたらしい。

「これは抜けるのが大変ね」

「そうですね、お互いに荷物を抱えているし」

「あ、いけないんだ。姫君、お荷物扱い」

「そんな意味じゃないですよ」


 言葉を交わし合う二人を従者ジウサ達が眺めている。


 ヨルは未だ禁忌タブウの影響が抜けていなかったため、『政宗マサムネ』の肩装甲に袋から頭を出した状態で固定されていた。

御主人様マスタアは大丈夫そうだな」

 ヨルの呟きに、上空で待機していたノラが答える。

「そうですね。御主人様、楽しそう」

「お互い、仕えるのが楽しい御主人様でなによりだ」

「そうですね」

 実は、ノラが文字通りの意味で捉えていたのに対して、ヨルの考える「楽しい」は「波乱万丈で飽きることがない」という意味だ。


 エリイは歌を歌っていた。雄一が「好きだ」と言っていたあの歌である。それを聞いたミキが、

「ふうむ、こうか?」

 といって真似るが、音程がまったく合わない。

「違います、こうです!」

 若干キレ気味になって教えるエリイに、恐縮するミキ。


 タンポポは『黒神姫』が冷めるのを待つ間に、カオルと周辺に咲いていた花を大量に摘んで、フワに載せていた。普段は草花をことさら大切にするタンポポだが、ここぞと思った時の使い方は半端ではない。

「準備は万端ですわ、ふふふ」

 タンポポの言葉に首肯するカオル。


 雄一は従者達の姿を眺めて、微笑む。

(亜里沙、本当に有り難う。僕は君に救われたよ。君を守ってあげられなくてとても残念だったけど、僕はこれから彼らを守っていきたいと思う)

 そう思う雄一に、心の中で亜里沙が答える。

(私が言ったことを忘れないでね。あの晩、貴方は「自分の力ではどうしようもなくなった時、どうすればいいのか分らない」と言ったけれど、そんな時には誰かに助けてもらえばいいのよ。決して恥ずかしいことではないわ)

(分かった、絶対に忘れないよ)


「さてと、それじゃあいきますか!」

 大軍勢の接近を前に、彩がひときわ威勢のよい声をあげる。

おう!」

 全員でそれに応じる。

 そして『神白狼』と『政宗』は駆け出した。

 同時に、タンポポとカオルが仕込んでいた花々をフワが派手にばら撒き、葬送の赤白黄の華やかな布地が宙を舞う。


 行く手には厳しい現実しかないかもしれない。

 けれど、みんなで助けあえばなんとかなる。

 雄一はその時、生まれて初めてそう実感した。


(第一章 終り)

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生体装甲『神白狼』 第一章 姫君逃走(プリンセス・エスケイプ) 阿井上夫 @Aiueo

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