第31話 魔窟の中の我が家
「これはどういう事だ!?」
引きちぎらんばかりに羊皮紙を握りしめ、顔を耳まで真っ赤に染めて叫ぶサイラス・イーシュ・ケリヨーテ伯爵に、配下は跪いて答えた。
「今朝方、邸宅の前に放り込まれていたものを下男が見つけました。恐れながら……そこに書いてあるとおりかと」
「そのようなことがあるか!」
サイラスは怒鳴り、くしゃくしゃに丸めた羊皮紙を地面に叩きつける。
そこには、『地獄の底から帰ってきたぞ。首を洗って待っていやがれ』という文言とともに、アレフのサインがしたためられていた。
「あの魔窟からは何人も出ることは出来ないはずだろう! いや、それ以前に刺客を送り込んだのではないのか!?」
「は。ご指示通りアレフからダレットまでを送りましたが、仕留めたとの連絡が来ておりません。恐らくは返り討ちにあったのかと……」
跪いたままそう報告する配下に、サイラスは歯噛みする。正確には彼が命じた現役の剣闘士ではなかったが、サイラスがわざわざそんな事を確認することなどないだろう、と配下は踏んでいた。
己が命じたのだから、それがどんな命令であろうと配下はその通りに動く。それを疑いもしない。彼がそういう男だからだ。
「そうだとしても、あの魔窟から出てくることなど出来るわけがない。この手紙は紛い物だ」
「恐れながら、閣下。この手紙の筆跡はアレフのものと一致しております。また、仮に紛い物だとしても、誰がそのような事をしたのか、という問題も残ります。奴の仲間は皆捕らえ、処刑したはずです」
それは配下にとっても不思議なことであった。あの魔窟から抜け出したものがいるなどという話は聞いたことがない。何せあのダンジョンを造り、結界を張った灰の魔女オリアナでさえ、その生涯を終えるまで出てくることは叶わなかったのだ。
しかし手紙の筆跡は確かにアレフの物で、インクの乾き具合から言ってもここ数日書かれたものだ。人どころか物の通行をも妨げるあの結界をどうやって超えてきたのか、検討もつかなかった。
「ええい、ならば探せ! 草の根を分けてでも探し出せ! そして今度こそ、直接その息の根を止めてやる!」
「閣下、それは」
それが出来なかったから、わざわざダンジョンなんかに送ったのではないか。それに、徒党を組んで真っ向から反乱を企ててきた前回と違い、今回はどこにいるのかすらわからないのだ。
「黙れ! 俺の命令が聞けないというのか!? ……お前が今までどんな事をしてきたか、俺はよく知っているのだぞ」
「……は。畏まりました」
怒鳴りつけるサイラスに深く頭を下げながら、配下は内心で呟く。
そろそろ、潮時かもしれない。
貴族たちを蹴落とし宰相の立場まで上り詰め、いずれは王にもなると思ったからこそ。その時、その次に立つものが己だと思っていたからこそ、今までサイラスに仕え従ってきた。汚い仕事もこなし、手を汚してきた。
だがそんな彼をサイラスは厚遇するどころか、今までにもまして酷使し、己が着せた罪をチラつかせて脅してくる。仮に彼が王になったとして、その時の自分の立場はいかほどのものか。
──苛立ちにどしどしと足音を立てながら立ち去っていくサイラスの背を見つめながら、配下は静かに剣の柄に手をかけた。
* * *
炎が爆ぜる。ぱちぱちと音を立て、赤く赤く舐めるように燃え上がる。
「お母様!」
どこかで、子供の悲痛な叫び声が聞こえた。
「お母様! お母様! お母様!」
子供は何度も何度も母を呼ぶ。救いを求めるように。だが、そんな物はあるはずがない。祈っても、叫んでも、救いなどあるわけはないのだ。
だから。
「うるせえ!」
アレフは傍らに生えた気を引っこ抜くと、思いっきりそれを燃え盛る壁に叩きつけた。たっぷりと水分を含んだ枝葉がまるで嵐のような風を起こし、あっという間に炎を消し飛ばしてしまう。
「ほら、これで消えたろ」
あちこち煤けて黒くなりはしたものの、形を保ったままの屋敷を指差してアレフは少年に言う。
「だから、もう泣くんじゃねえ」
「う、うん……」
少年は戸惑いながらも涙を止めて、こくりと頷いた。
「ねえ」
そしてアレフの手にした木を指差して、問う。
「その木、どこから持ってきたの?」
「あん? そりゃだってこいつは……」
言われてみれば、屋敷の周りにこんなに立派な巨木など生えていなかったはずだ。しかしそれは当たり前のようにアレフの腕の中に収まっていて、彼はそれに何の違和感も抱いていなかった。
「こいつは?」
なんと言おうとしたんだったか。わかっているのに思い出せない。そんなもどかしさにアレフは眉根を寄せる。
その時、彼の身体が急にぐいと誰かに引っ張られた。アレフの巨体を物ともしない力に引きずられ、屋敷と少年の姿はあっという間に遠ざかる。
「ねえ!」
少年が声を張り上げ、アレフに叫んだ。
「その木、大事にしてあげてね!」
突拍子もない願い。
「当たり前だろ!」
だがアレフは心からそう答える。もう顔も見えないほど遠く離れた少年は。
それでも、笑ったような気がした。
「もうっ、離れなさいってばぁー!」
「ぎぎぎぃっ! ぎぎっ、ぎぎぎーぎぎっ!」
「……何してんだ、お前ら……」
アレフが目を覚ますと、彼の身体にしがみついたギィを、ナイがぐいぐいと引っ張って引き剥がそうとしているところであった。そんな事をされていたせいか、全く覚えていないが何やら妙な夢を見たような気がする。
「この子がさっきから全然離れないの! そんなちっちゃい身体のどこから出てくるの、その力!?」
「ぎぎぎぎぎーい!」
絶対離れないと主張するかのように両手両足でアレフにしがみつくギィは、まるで岩牡蠣のようだった。
「まあまあ。ナイに旦那様を取られたようで寂しいんじゃろう。少しくらいは譲ってやってはどうじゃ?」
それをなんとか引き剥がそうと悪戦苦闘するナイを、へレヴが穏やかな口調で間に入って取りなす。
「嫌よ。アレフは私のなんだもの!」
だがナイはきっぱりとそう言い放った。
「……旦那様は物ではないじゃろ? わしらだって家族なんじゃし」
「夫に他の女がくっついてるのを見過ごせっていうの?」
流石に鼻白むへレヴに、ナイは重ねて言い張る。
「わ、わしらだって妻だと……」
「アレフがそう言ったわけじゃないでしょ」
なんだか妙だとアレフは思った。確かに互いの関係性がはっきりした以上、ナイが妬くのは不思議なことではない。だが、こんな言い方をするのはあまり彼女らしくない気がした。
「わ……わしらだって……わしだって、旦那様の事は、お慕いしておる! ナイが独り占めするのは、嫌じゃ!」
強硬な姿勢を見せるナイに張り合い、堪りかねたようにヘレヴは叫ぶ。それを聞いて、ナイはにっこりと笑った。
「ですってよ、旦那さま」
「……え?」
「あー……いいのか?」
キョトンとするギィとヘレヴをよそに、困ったように頭をかくアレフの額をナイがぴしりと指で弾く。
「良くないけどさ。……まあ、わかってたことだもん。それにこうでもしないとヘレヴから言わないだろうし、あんただって自分からは言えないでしょ」
……なるほど、本当にいい木だ。アレフは何故かふと、そんな事を思った。
「ただしギィ、あんたは駄目よ」
「ぎぃ!?」
瞳を潤ませるヘレヴの隣で、ギィは目を丸く見開く。
「せめてちゃんと自分の想いくらい伝えられるように、文字の勉強しなさいよ!」
「ぎぎーぎー! ぎぎぎぎー!」
騒ぐ二人を尻目に、へレヴはゆっくりとアレフに向き直ると、その手をとって己の豊かな胸元に押し当てるように抱きしめる。
「旦那様。わしの心は、今言った通りじゃ。こんな出来損ないの
「たっだいまー!」
勿論だ。そう答えようとしていたアレフの言葉を遮って、ダリヤが窓から飛び込んできた。そのままアレフに飛びついて、完全に虚を突かれた彼はその勢いのまま押し倒される。
「ダリヤ!? お前、なんで……」
「なんかねえ、サイラスの奴、お兄ちゃんの手紙投げ込んだ人をすっごく探してるんだよね。それで面倒くさくなってきたから、逃げてきちゃった」
アレフの上にまたがるようにして乗りながらダリヤは肩をすくめる。
「あ、そうか。護符はもう一個あるから、ほとぼりが冷めた頃に出ていけばいいのか」
「何言ってるの、誰も拾えないような場所に捨てとけって言ったのアレフ兄ちゃんじゃない。そんなのとっくに海に捨てたよ」
その可能性に思い至ってほっと息をつくアレフの安堵を、ダリヤはあっさりと破壊した。
「何やってんだ!? もう地上には戻れないってわかってんだろ!?」
「まあ思ったより居心地良さそうだったし、ご飯も美味しかったし、いっかなって」
「……そんな事よりいつまで乗っかってるのよ」
軽い口調で首を傾げるダリヤを、ギィにやったのに比べれば随分と控えめな力でナイが引っ張る。
「あ、銀色の子。またご飯よろしくねー」
「私は給仕でもコックでもないの! 料理は持ち回り、ここに住むって言うならあんたもよ!」
「ええー。めんどくさーい」
先程までのギィのように力を込めてしがみついている様子などないのに、ダリヤはナイが渾身の力を込めてもぴくりとも動かなかった。
「何の、騒ぎだ……? 悪いが少し静かにしてくれないか……」
全く働く気などないらしいダリヤに滾々と言い聞かせていると、部屋の奥から苦しげな声が聞こえてきた。そう言えばまだベートが起きていなかったな、とナイは思い出す。
「どうした? 具合が悪いのか?」
いつも泰然としたベートの弱りきった様子に、アレフはダリヤをひょいとどかして部屋の奥を覗き込んだ。数日前にダリヤにつけられた傷はすっかり治っていたはずだが、なにか悪い病にでもかかってしまったのかも知れない。声もいつもと違って妙な響きだった。
「ああ……何やら妙に身体が重い。こんなのは初めてだ……」
だが。
アレフが覗いた先にいたのは、緑色の髪を長く伸ばした、見知らぬ女だった。
「だ……誰よ、あんた!?」
一緒に部屋を覗いたナイが先に声を上げる。女は気怠げに彼女に視線を向けると、不可解そうに眉根を寄せた。
「……何の話だ、ナイ?」
その口調には酷く覚えがあった。
「まさかお前……ベートか?」
「まさかも何もそれ以外に……待て。なんだ、これは?」
アレフの言葉にようやく、ベートは己の変化に気づいた。鱗に覆われ、鋭い爪の生えた手が、柔らかく白い人間のものになっている。さらりと肩から落ちる長い髪をたどれば胸には二つの膨らみがあり、まさかと思って顔を触れば長い口吻を持ったトカゲのようなそれの代わりに、のっぺりとした人の頭がついていた。
「……なるほど」
一周回って落ち着き払い、ベートは現状を理解した。
「どうやらワタシは人の姿に変じたらしいな」
「そんな事より前くらい隠しなさいよ!」
元々、鱗に全身を覆われていたベートは衣服らしきものをほとんど着ていなかった。せいぜい、小さな刃物や獲物を吊るすためのベルトを幾つか巻いていたくらいだ。人の姿になったといって都合よく衣服が生まれるなどということもなく、故に彼女はほとんど全裸であった。
「前? 何がだ? ……ふむ。尾と羽、それに角は残っているようだな」
元々が服飾という文化を持たない
「アレフッ! 何か着せたげて!」
「お、おう」
叫ぶようなナイの声にアレフは我に返り、上着を脱いでベートにかける。何せ人の姿になったベートは、恐ろしく整った造形をしていた。切れ長の瞳にすっと通った鼻筋、薔薇のような唇。その上すらりとした長身で、胸の膨らみはへレヴよりも大きい。
「しかし、一体どうしてこんな事になったんだ……?」
「恐らくは、
そう言うやいなや、ベートの姿は
「
寓意でも比喩でもなんでも無く、人の姿に変じることが出来る竜。そしてそれは、姿形だけの話ではない。
「というか、お前、女だったんだな……」
「うむ。お前たちと違って
ベートはアレフにするりと身を寄せる。同時に彼女の姿は再び人に変化して、吸い付くかのようにぴとりとアレフの体に密着した。
「この姿であれば、ワタシもお前の子を産んでやれるぞ」
「なっ……!?」
嬉しげに言うベートに、ナイは絶句した。
「何バカなこと言ってんの!?」
「何故だ? ワタシとアレフの子であれば、さぞ強い子に育つだろう。そうなれば我々の群れは更に盤石なものとなる」
「あ、あんたもこの前見てたでしょ!? アレフは、私のなの!」
ぎゅっとアレフを抱きしめ、ナイ。先程へレヴに対して告げたのと同じ言葉だが、今度は本気度合いがかなり高いように思えた。
「奪い合うのがメスであるならわかるが、アレフはオスだろう。オスは同時に複数のメスを孕ませることが出来る。奪い合い争う必要はない」
価値観が違いすぎる。当たり前のように……いや、不思議そうな顔をすらしてみせるベートに、ナイは愕然とした。
「あっ、じゃあボクもお兄ちゃんの子供産むー!」
それだけでもややこしいと言うのに、そこにダリヤまでもが飛びついてきたものだから、いよいよ事態は混迷を極めた。
「なんでよ!?」
「だってそしたらお兄ちゃんはうちの流派の正統後継者の父親ってことになるでしょ? なら、殺す必要なくなるじゃない」
掟に従いアレフを殺すことに躊躇いはないが、だからといって好き好んで殺したいというわけでもない。そんな名案があったなんて、とダリヤはニコニコ笑いながら手を合わせる。
「ぎーっ! ぎぃぎっ!」
そうすれば案の定、ギィが己の権利を主張するように声高に鳴き声を上げ。
「すまぬ、ナイ……」
へレヴまでもが控えめに、しかししっかりとアレフの服の袖を握る。
助けを求めるようにナイがアレフの顔を見ると、彼はまっすぐにナイを見つめていた。
前後左右を美女美少女たちに取り囲まれながらも、そちらを一顧だにせず、ただナイだけに向けられた覚悟の表情。
それを見て、かえってナイの肚は座った。
「もう。しょうがないわね……」
「ナイ?」
身体から力を抜いて細くため息をつくナイに、アレフは目を瞬かせる。
「アレフ。あんたも男なら、惚れさせた女くらいちゃんと纏めて面倒見なさい」
「……だけどよ」
アレフは、ナイ以外を捨てる気でいた。真摯に、自分だけを選ぼうとしてくれた。
だが、これ以上彼に大事なものを捨てさせる女にはなりたくない。ナイはそう思った。だから。
「家族でしょ。私達、皆」
へレヴとベート、ついでにギィも巻き込むように抱き寄せて、ナイはニッコリと笑う。ダリヤとはこれからだが、仮にも義妹なのだ。きっとうまくやっていけるだろう。
「……まいったな」
ガシガシと、アレフは髪をかく。強敵に出会った時の彼の癖。
このダンジョンに来て一番敵わない相手が、まさかこんなに近くにいたとは。
彼女たちの想いはどれも同じものではないだろうし、同じ価値観のものでもない。これからもすれ違うこともぶつかりあうこともきっとあるだろう。
けれどきっと──彼女と一緒なら、乗り越えることが出来る。それは、ずっとたった一人で戦い続けてきた男が、初めて抱いた予感だ。
そしてアレフはようやく手に入れたその幸福を、太い腕いっぱいに抱きしめた。
ダンジョン・アット・ホーム 石之宮カント @l_kettle
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ダンジョン・アット・ホームの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます