第43話 月祭り 2
一曲終わって、再び二人で月を眺めながら他愛ない会話をしていたフィラーシャとフォートのもとへ、新しい灰の族長、ノクスペンナが舞い降りた。
「邪魔をする」
そう素っ気なく言う口元に僅かな笑みを見出して、フォートは居心地悪くああ、と頷いた。村との連絡は、今後も変わらず灰の一族が行うらしい。だが、巨岩と化して割れてしまったテネブラウィスに代わり、灰の族長となったノクスペンナが自ら出ることはあまりないだろう。最初は黒の一族だった交渉役が彼に変わった経緯を、今更知ったフォートはそれを少し残念に思う。
「僕に何か……?」
そう尋ねれば、フィラーシャが外そうか、と目顔できいてきた。それにノクスペンナが首を振り言う。
「いや、二人ともだ。聖都で魔物化したダナスに襲われたと言っていたな。その時の事を詳しく聞かせてほしい」
こんな夜に済まないな。そう付け加えるノクスにいいや、と答えた。そういった外部で起こる問題に対処するのは灰の一族の役目だ。銀月王が目覚めて月の宝珠が取り戻された今、これまで例の「勇者計画」と月の宝珠探しに割かれていた灰の人員は、聖都を中心に起こっている「魔物化現象」への対処に移る。諸々の執務に忙殺されている彼はおそらく、久々の息抜きがてらにこの祭りに来ているのだろう。それでも職務を忘れきれない辺りは気の毒に思うが、こちらが出向いて待たされるよりは有り難い。
「ダナス族は我々灰の一族の一つだ。海辺の湿った洞窟を好み、光に弱いため日中外に出る事は無い。西内海――今は聖海と呼んでいるのか、あの辺りにも棲んでいるが……」
別名脚蛇族と呼ばれる彼等は、その別名どおり蛇の身体に鷲の足をもった夜の民だ。単独性で、夜の海を泳いで魚介類を食べる大人しい性質の一族らしい。魔物化して海岸を襲ったダナスを退治したのが、思えばフォートとフィラーシャの初対面だ。
「ああ。光の魔石を打ち込まれたらしくて――。死体から石を回収して帰っていたんだけど、そう言えば渡してなかったね」
勇者計画を煽るためのテネブラウィスの作戦のうちかと思っていた。そう言えばノクスは苦々しげに首を振った。と言ってもあまり感情が顔に出ない男である。慣れない者には無表情に見えるだろう。
「あれは我々の計画が始まる以前からの問題だ。特に近年酷いのは把握していたが」
「そう言えば、ダナスの暴れていた場所に監視がいたよ。僕が剣を抜こうとしたら睨まれた。どうもフィラーシャらに任せたかったようだから、てっきり――」
その一連の会話に、唖然とした様子でフィラーシャが聞き入っている。そっか、そうだよね、と言った呟きを聞いて、フォートはフィラーシャに水を向けた。
「フィラーシャも何度か魔物は見てるのかい? あのダナス以外にも」
「う、うん。協会にいたころ、地元の騎士団に協力して何度か退治に出たことがあるから」
フォートが大陸を回った限りでも、魔物が出没するのは主に聖海近辺を主とした神殿支配下の地域だ。スピニアをはじめとした既に神殿支配の届かない辺境の独立国では、逆にそういった話は聞かなかった。そんな話をする。
「まさか、神殿の自作自演ってこと……?」
夜目にも分かるほど顔を蒼くしてフィラーシャが呟く。彼女の所属していた魔導協会は神殿傘下の組織で、「魔導師」というのは神殿から賜る聖職者としての称号なのだ。彼女が共に魔物退治をしたという騎士団も神殿の下部組織であり、正式には「聖騎士団」だ。神殿支配下の地域でばかり、何者かが夜の民に光の魔石を打ち込み魔物化させていたのなら、その犯人は神殿側にいる可能性が高い。思いのほか深刻になってきた話に、さすがにフォートも溜息が出た。これはどうも、月が出ましためでたし、めでたしとは行かなさそうだ。
「計画のため、定期的に会っていた司祭長とも連絡がつかん。どうやら神殿支配下の跳躍門がすべて閉鎖されているらしい」
実は跳躍門は元々、二柱神の力によって世界各地に作られたものだ。よって鏡水宮にも、そして光の女王の宮殿である幻炎宮にも存在する。幻炎宮へ繋がる門はこの千年閉鎖されたままだったが、今度はどうも月の復活と同期して大陸全土の跳躍門が閉じたという。
「……あの、それ、どっちかって言うと風雲急を告げてない……?」
恐る恐る、と言った風情でフィラーシャが言った。確かにこれは、明日以降に聞きたかったかもしれない、とその顔には書いてある。いささか申し訳ない気持ちでフォートは同意した。その辺りは伝わったらしく、すまない、とノクスが呟いてから言った。
「鏡水宮から繋げられる場所は一か所残っているが――それはともかく、まずは司祭長との連絡や深海世界との接続などがある。三日後改めて、陛下より依頼することになるとは思うが、協力を頼みたい。フォート、ダナスから出たという光の魔石を渡してくれ。三日後までに調べられるだけ調べておきたい」
「分かった。……けど、あまり無理しないでくれよ」
いかにも根を詰めて働いていそうなノクスに、一応釘を刺す。夜の民は元々、あまり「勤勉」といった雰囲気はない者が多いが、ナースコルの例をみても分かる通り思い定めたものには一途だ。テネブラウィスとて、その例外ではない。その遺志を良く知るノクスペンナが気負うのは仕方ないとも思うが。
「ああ。だが、どう考えても役者不足が否めんからな」
微苦笑混じりにそう言うと、ノクスペンナはその大きな皮膜の翼を広げた。幼いフォルティセッドとの交渉役を自分にやらせて欲しいと頼んだノクスペンナに対し、あっさりとテネブラウィスは頷いて黒の一族からその権利を譲り受けてきたという。その理由を尋ねた際、灰の老竜と呼ばれる巌の竜はこう言ったそうだ。
『吾は無駄を好かぬ。主が行き直接村の者と会話する方が早いのならば、そうすれば良い』
無駄を好かない。それはテネブラウィスの座右の銘でもあったが、果たしてそれだけだっただろうか。人間族が一人闇使いを出すように、竜族には一人光竜がいる。その光竜ルーキアはテネブラウィスの妻だった。アダマスに与して鏡水宮を裏切った彼女が一体何を思ったのか、語る者は居ない。だが、周囲の者と全く違う属性を持つ、異端の存在である事に苦しんだのは、彼女も一緒だったのではないか。
全ては憶測だ。そう言いながら、テネブラウィスを弔うノクスペンナは語った。
「そろそろ帰るとしよう。フォート――」
促されて、フォートはフィラーシャを見た。私はどうしよう、と小首を傾げる彼女に頼む。
「ごめん、僕の部屋の窓まで運んでもらえるかな?」
あの日のように。頷いたフィラーシャと手をつなぎ、フォートは満月の夜空を舞った。
***
たった独り、あの灰色の迷宮を抜け出した彼女は、しばし地上を彷徨った。
そしてようやく、丁度良い器に行き当たる。
それは、戦禍に命を落とした、若い女の身体だった。
命脈尽きて間もない、まだ温みを残す女の影に滑り込んだ彼女は、その器を己のものとする。
彼女に与えられていた筈の万能の力はいまや半分に削がれ、ままならぬ事は多い。だが、その瞳は何処までも遠くを映し、彼女と想いを同じくする者を、彼女を必要とする者を見つけ出す。
「みぃーつけた…………」
肉体を得て立ち上がった彼女は、その整った紅唇の端をきゅうっと引き上げた。
その背に流れるは、どこまでも深く鮮やかな真紅の巻毛。
遥か先にある「彼」の背を見つめ細まる眼は、どこまでも昏く、しかし爛々と光る黄昏色だ。
ぼろきれになった服から剥き出しだった白皙の二の腕を掻き抱いて爪を立て、彼女は耐えきれぬように身体を折る。
「ふっ、くくっ……」
俯いたその唇から漏れるのは、堪えようのない嗤い。鈴を転がすように美しく、しかしどうしようもなく昏く禍々しい笑い声が、暁闇の空に溶ける。それを聞くのは、死肉を啄みに来た鴉のみだ。
「くくっ、ふふふっ、ふふっ……あはは、あははははっ。あーっはっはっはっは!!!」
彼女の名はルベーラ。
この世界の、全てを壊す者だ。
「さあ、待っておいでなさい……。すぐに貴方のもとへ行くわ。アダマス――」
第一部 了
月の杖と太陽の剣 歌峰由子 @althlod
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