終章 月祭り
第42話 月祭り 1
月の復活から一月後。衰火月の始めともなれば、北にあるこの村は既に秋の最中だ。
あの日より、初めて迎える今日の満月に今年の豊作への感謝を重ね、村では盛大な祭りが行われている。いまだ村に滞在していたサリアス、フィラーシャ、ルチルナの三人もそれに加わり、大きな篝火を囲んで夜通し行われる舞踏に興じていた。村の祭りのはずが、何故か山羊の蹄やら蝙蝠の翼やら持った連中が混じっているのはご愛嬌だ。
あの日その目で輝く白盤を確かめた後、三人はそのまま意識を失った。
ルチルナは言霊の反動、フィラーシャは限界を超えて酷使した精神、サリアスはどれだけ治癒魔術を重ねても肉体に蓄積した疲労。正しくその命を削って世界に月を取り戻した三人は共に倒れ、十日近くの間昏睡していたのだ。おのおの独力では回復出来ないほどの損傷を心身に負った三人を癒したのは、誰であろう銀月王だった。
闇は眠りを、月は癒しを司る。
銀月王は彼女らを深い深い眠りへと導き、地と水の魔力を従えてその心身を癒した。夜と闇、そして月と眠りの機能は本来、そういうものだ。立ち止まって休むこと、全ての緊張を解いて自身の身を慈しむことを人々に教える。
一度深い眠りに沈んだ三人は、それぞれ十分に回復すると自分の力で浮上し覚醒したのだが、案の定と言うべきか、一番最後まで寝ていたのはフィラーシャだった。ウィオラを始め、夜の民たちが先に目覚めた二人よりも三日以上長く寝ているフィラーシャを心配する中、サリアスとルチルナが一番その辺りを気楽に構えていたのは単に慣れだ。あれだけ一日で無茶苦茶に精神を酷使したのなら、多分フィラーシャならそれくらいは眠る。そう笑い飛ばす二人を、闇の王は微笑ましげに見守っていた。
一曲終わって歓声が上がる。
村の中央広場で輪になって踊っていた人達が一旦散り、それぞれ好き勝手に談笑し始める。踊り疲れた者は脇へ下がって饗される酒や食べ物をつまみ、休んでいた者が次の輪に加わって再び音楽が鳴り始めた。景気良く、一際甲高い笛の音にどっと歓声が上がる。夜半を越えた夜更かしの眠気を吹き飛ばす、威勢の良い鮮やかな音色だ。
「ってアレ、サリアスじゃないの!!」
木の長腰掛けにだらりと座り、木杯に注いだ蒸留酒をちびちび舐めていたルチルナがのけ反った。その首には幾重にも花飾りが下がっている。
篝火に囲まれた高い櫓の上で、楽しげに笛を鳴らすのは花冠だらけになったサリアスだ。今回、祭りの最初に「救世の英雄」として思い切り派手に持ち上げられた三人は、それぞれ花冠やら首飾りやらを山ほどかけられて褒め称えられた。明るい調子で、聴く者の気分を問答無用で持ち上げ踊らせる音色は、その性格に良く似合う。
「うん、お母さんの形見の笛なんだって。サーちゃんのお母さんも、聖都で有名な笛の名手だったって」
隣でそろそろ限界、と舟を漕いでいたフィラーシャが笑う。鮮やかな音色で目を覚ましたのだ。
「かーっ、いかにも『光属性です!!』みたいな暑っ苦しい音色だこと! サリアスに音楽なんて似合わない、なんて言うヒマも無かったじゃない」
いやんなっちゃう、と大袈裟に首を振るルチルナの姿は楽しそうだ。それにひとしきり笑って、フィラーシャは尋ねた。
「ルーちゃんはもう踊らないの?」
さて今は何曲目だったか。日暮れと同時に始まったお祭り騒ぎは、もうそろそろ落ち着き始めている。踊る者よりも座って談笑する者が多くなり、嵐のようだった喧騒も静かなさざ波のようになった。爆ぜる火の音が耳に届き始めれば、その穏やかさが眠気を誘う。
「あー……あたしはもういいわ……。若くないのよ、もう。アンタは? …………っていうか、あの輪の中って何割が人間?」
結構色々混じっている気がする。夜の民たちは活動時間真っ盛りなのだから彼らの方が元気で当然なのだが、こんなに混じっていて良いものなのか。そう呆れるルチルナに、後ろの屋台から水をもらっていたデュクシスが答えた。
「祭りだからな。普段はきっちり境界を分けて住んでる連中が、混ぜこぜになって騒ぐのが祭りさ。鱗があろうが、羽があろうが、言葉が通じまいが気にしないのが作法ってもんだ。ほら見ろ、あの辺に居るのは御大じゃないのか?」
促されて一際木蔭の濃い一角に目を凝らせば、真っ直ぐで美しい漆黒の髪を結わえた青年が、足元に黒豹を従えて立っている。青年の服装は村人に紛れる地味なものだが、地に伏せて眼を閉じ、ゆらゆらと尻尾の先を揺らす銀の斑紋を持った黒豹は間違いなくシルヴァだ。彼女を足元に従えられる者など一人しかいない。
「え、うそぉ……」
さすがに唖然としたフィラーシャとルチルナに、気付いた銀月王がにこにこと手を振る。違うだろう! と突っ込みたい衝動を二人が分かち合っていると、頭上で溜息をついたデュクシスが尋ねた。
「ところでだ、ウチの王子を知らんかね。あいつもアンタがたと一緒に花まみれにされる予定だったってのに、一体どこに消えたんだか……」
ぶつくさと愚痴るデュクシスに、フィラーシャは立ち上がって答えた。
「さっきあっちの井戸の辺りで見かけたから……ちょっと行ってみます」
フィラーシャらと共に壇上に立つはずだったフォルティセッドは、体調が悪いと言って出てこなかった。
村長の館である彼らの家は大きく解放されて人々を饗応しており、未だ煌々と明かりを灯して談笑の場を提供している。自室にこもっていても煩かったのか、フィラーシャが見かけたフォートは村はずれの井戸のそばに立っていた。声をかける間もなく他の村人に引っ張られてしまったのでその後は知らないが、静かな場所を探してあそこに立っていたのなら、まだ近くに居るかもしれない。
「おお、頼むわ。俺じゃやっぱりどうも上手く行かなくてなぁ」
ぐしゃぐしゃと自分の後頭部を掻き回して言うデュクシスに、からかうような笑いを返したルチルナが何か言うのを聞き流し、フィラーシャはその場を後にした。
***
あの時、デュクシスの声に目を覚ましたフォートは、銀月王を覚醒させた。
夕刻、日没頃に始めた交感は、サリアスらが目覚めるよりもかなり前に終わっていた。時間にして一刻から二刻、それ以上はフィラーシャがもたない心配もあったが、何とかフィラーシャが力尽きるよりも前に全てが成ったのだ。そして、その意識を地上世界へ戻した銀月王の魂は闇の魔力の放散を止め、自身の器が解放されるまでフォートの身体に留まった。
覚醒した銀月王が周囲に渦巻く闇の魔力を亜世界へ還した時、奇跡的にフォートの身体はまだ仮死状態のままで蘇生出来た。元は竜の口の中だった、岩の中の密閉された洞で目覚めた彼――フォートの身体を借りた銀月王は、その岩、つまりテネブラウィスの中から出ようとしたが、既にテネブラウィスはその身を完全な岩へ変えてしまっており、その身を割って外へ出るしか方法が無かった。今、あの鏡水宮の中庭には、ぱっくりと二つに割れた大岩が鎮座し、丁重に弔われている。
フィラーシャが先ほどフォートを見かけた井戸の所まで行くと、やはりその井戸に寄りかかって空を見上げる人影があった。フォルティセッドだ。
肌の色こそ元に戻ったが、彼の茶色かった髪は漆黒へ変わり、穏やかな緑色だった目は神秘的な紫紺に変化した。銀月王の魂を受け入れた時に、全身が闇色に染まった名残らしい。その人間としては特異な色は、今までの彼とは違っていかにも「闇使い」然としている。フォートは、それを気に病んでいるようだ。
「――フォート。具合大丈夫? デュクシスさん探してたけど……」
そっと声をかけてみる。フィラーシャに気付いたフォートが視線を下してこちらを見た。夜闇の中では漆黒に見えるその眼がフィラーシャを映す。
「ああ――うん。心配かけてごめん。ちょっと月を見に出てたんだ……」
一体いつから。あちらで一緒に。色々と言葉は浮かぶが、何と声をかけて良いか分からず、フィラーシャは無言でフォートの傍まで歩いた。そして無言のまま、首に三連、頭に二つ乗せていた花輪を一つずつ自分から外し、腕を伸ばしてフォートにかける。
「フィラーシャ?」
「これ、フォートのぶん。あと二つくらいずつあるけど……」
何とか彼を詰るような言葉にせず、皆が彼を待っていた事を伝えたかった。しかしやはり、ごめん、と吐息のような謝罪が頭一つ上から降って来る。俯いてそれに首を振り、フィラーシャはフォートと並んで井戸に座り、上を見上げた。白い白い満月が輝いている。
夜で、太陽の下のような鮮やかさは無いのに、全ての輪郭が明瞭な景色は新鮮で不思議だ。どんより厚い雪雲の下にいるより、黄昏時よりも暗いのに、家の屋根や木々の葉が光を弾いて輝き、その足元にくっきりと影を浮かせている。きっとこれなら、何の明かりも持たずどこまでも歩いて行けるだろう。もしかして、夜の民の見る世界はこんな感じなのかもしれない。ふとそんな事を思った。
「月、綺麗だね。あんなに光ってるのに眩しくないのって不思議。フォートは覚えてた? 月がどんなだったか」
うん? と柔らかい声が相槌を打って、しばし記憶を辿るように沈黙する。
「そうだな……。何となく。そんなに意識したことは無かったけど…………苦手だった」
少し苦笑交じりに、最後にぽつりと付け加えられた言葉に、そっか、と頷く。
約一ヶ月村に滞在する間、フィラーシャたちは迎賓館も兼ねているフォートたちの家に泊まっていた。フィラーシャはベルをはじめとした村娘たちの輪に加わって、一緒に野いちご狩りや果実酒の仕込みなどを手伝ったりと、色々協会でもやっていた懐かしい事、今までやったことのない珍しい事もさせてもらった。しかし、フィラーシャと同い年のベルルサージュと最も意気投合したのは、実はフィラーシャではなく、サリアスだ。
ベルは弓、サリアスは剣と二人とも武道を志す女同士。すっかり打ち解けてしまってお互いに武器の扱いを教え合ったり何たりと、ほとんど義兄弟の契りを結んでいる。女同士だから義姉妹か。ともかく、元々暴れん坊で兄たちに後れを取る事を良しとしない村長家の末妹は、初めてできた同志に心酔していた。それに倣ってか、はたまたサリアスの男前ぶりに落とされたのか――ルチルナは後者に一票だそうだ――、サリアスは村の娘たちの人気をかっさらっている。何度か意中の相手を奪われた村の若者に勝負を挑まれて、あっさり返り討ちにしているのを見た。今日もサリアスの紹介の時だけ、歓声が異様に黄色かったのを思い出してフィラーシャは笑う。
ルチルナはと言えば、村で飲み仲間の男たちと酒場にいるか、城に赴いて何か調べているかだった。きっと自分の一族について知りたいのだろう。そのルチルナに聞いたところによれば、驚いたことに夜の民たちは文字を持たないのだそうだ。全て口伝か、闇の魔術によって記憶を写し取る石で記録を残す。ほとんど不老不死で、闇の魔力が扱える者同士ならば言葉にも全く不自由しない彼等に文字は必要ない。そう言われてしまえば納得するしかないだろう。
そして、フィラーシャと思いのほか一緒にいる時間が長かったのがこのフォートだ。調べる内容の難しいルチルナと違い、フィラーシャの知りたい事――主に正確な魔導理論と歴史は、大抵フォートの家の蔵書に書いてある。それらを読み漁るため、彼を書庫案内人兼教師にしていたのだ。精霊と闇を除いた五属性については、フィラーシャの知識とそう食い違いはない。問題は闇の魔力に関する事がほとんどだったので、自然、本の内容というよりフォートの話を聞く方が主となった。
その中で、ぽつりぽつりと彼の特異な体験や、闇使いの能力に対する複雑な思いを聞いている。そうして知ったのは、フォートが今まで闇使いとしての自分を受け入れきれていなかったこと、そして今でも、周囲の人々が闇使いの自分をどう思っているのか恐れていること――。その象徴が、あのデュクシスだ。
フォートが闇に呑まれていた間のデュクシスの様子を知っているフィラーシャからすれば、一体何を恐れているのかと思ってしまうのだが、どうもその根は深いらしい。デュクシスはと言えば、何と言うかあの特有の乱雑な表現が足を引っ張るらしく、弟相手に面と向かって優しい言葉をかけてやれないようだ。ベルに放っておけと言われるので気にしないことにしているが、何とも不器用でじれったい。
「こんな風に、明るくて清らかなものだと思ったことは無かったと思うよ。大抵、満月の晩が交渉役の来る日だったしね。――無くなって初めて、いつまで待っても闇夜なのが恐ろしくなったかな。丁度、銀月王の声が聞こえ始めたのがそのすぐ後だったし……」
そこまで言って、ふう、と参ったようにフォートが溜息を漏らした。
「ごめん、辛気臭い話しか出て来なくて……。十年ぶりの月祭りの夜に、雲一つない月夜の下で何を言ってるんだか」
駄目だなあ、と頭を抱える姿に困り笑いをしていると、一際高い笛の音と歓声が風に乗って運ばれて来た。
「盛り上がってるね」
もう遅いのに、と驚くフォートにサリアスの事を教える。
「っ、そうなんだ! ああ、それは聞き損ねて残念だな……」
心底残念そうに言うフォートを、頼めばいつでも聞かせてくれると慰めた。それよりもサリアスの花まみれぶりを一目見ておくべきだと助言すれば、フォートが紫闇の眼を細めて笑う。サリアスに触発された村の青年たちが先日剣術大会を開催していたが、そこでも強さ人気ともサリアスに勝てる男がいなかったという。最終戦にまで残ってサリアスと試合をしたのはデュクシスだったが、善戦するも負けていた。
「このお祭り、いつまで続くの?」
「ああ、月が沈むまでだから……ほとんど夜明けまでだね。前の祭りの時はまだ僕は全部起きてられる歳じゃなかったけど。きっと今回は本気で皆夜通し騒ぐんじゃないかな――十年ぶりだからね」
そう、少し嬉しそうに笑んだ横顔に意を決し、フィラーシャはここに来た目的である言葉を紡いだ。
「一曲くらい、踊らない? もう暗いしみんな酔っぱらってるから気にしないよ」
今の姿を、人々の前に晒したくない。
そんな思いは分かるが、あんなに命懸けで月の復活のために尽くした彼が、こんな所でたった一人で祭りの夜を過ごしているのは寂しすぎる。彼もまた、フィラーシャらと共に称賛されるべき人だ。多分フィラーシャが一番それを良く知っている。
遠慮がちに言ったフィラーシャに困ったように笑い、フォートが目を伏せた。彩度の低い藍色の世界で二人、しばし沈黙していると不意に踊りの音楽が大きく聞こえる。風向きが変わって音が流れて来たのだ。
同時にひらひらと、視界いっぱいに何かが舞い始める。
「花びら……?」
白い花びらが、はらはらと雲一つない満月の空から舞い落ちてきている。
「誰か、夜の民の魔術だろうね、これは」
若干呆れた口調でフォートが言った。どれだけ浮かれてるんだ、あの人たち。そんな響きがその声音に含まれている。ああ、やっぱり良く通る不思議な声だな、とフィラーシャは思った。銀月王の声は格別でそれには遠く及ばないが、フォートの声は王のそれと同じく柔らかいのに良く響く。
そんなに恥じなくてもいいのに。闇を吸ったような黒髪も、深い深い紫紺の眼も。穏やかで思慮深い彼の雰囲気や、その不思議な声とも良く似合う。確かに今までよりは目立つだろうが、それは悪目立ちというよりは、しっくりと似合って存在感が増したのだとフィラーシャは思っていた。
純白の花びらが月光に照らされて蒼い影を刷き、視界いっぱいに舞う様は幻想的でくらくらする程だ。しゃらん、しゃららん、と涼やかな鈴の音、軽快に叩かれるタンブリン。もう一度、あのセイレンの歌まがいに強烈なサリアスの笛の音が聞こえれば、もう我慢は出来なかった。
「ほらこれ! この笛がサリアスだよ!」
言ってその手を取って引っ張る。驚いたフォートがたたらを踏んで前に出るのを捕まえて向かい合った。両手を繋いで向かい合い、だが最後の一言が出ない。
「……じゃあ、ここで一緒に踊ってくれる?」
自分の代わりに言ってくれたフォートに満面の笑みを返し、フィラーシャは頷いた。
「うんっ!」
***
風に乗って遠く響く音楽にあわせ、井戸の周りをくるくる踊るフィラーシャとフォートを、建物の陰から盗み見る人影が二つあった。結局一向に戻ってこない二人を探しにきたデュクシスとベルルサージュである。
木板の壁に貼り付くようにして上下に顔を並べる様はいかにも「覗き見」だ。しばしの沈黙のあと、兄にだけ聞こえるよう小声でベルは言った。
「……この件、デュクシス兄は、絶っ対、何があっても、一片たりとも触れちゃ駄目だからね。分かった? 絶対よ、破ったら頭に林檎乗っけて弓の的にするから」
低く低く脅し上げる。へいよ、とその気があるのか無いのか微妙な返事がかえってベルルサージュは眉を顰めた。これは当分、監視対象かもしれない。せっかくの次兄浮上の絶交の機会を逃してなるものかと、固く心に誓う。恋に憧れる乙女心分を差し引いても、あの二人の雰囲気は悪くない。この一月ほぼ家に籠りっきりの次兄がそれでも笑顔を見せるのは、多分にフィラーシャのおかげだろう。どこかデュクシスと似通った鈍感さのあるサリアスが割って入らないように、その腕をひっ捕まえて外に引っ張り出していた自分の努力を無駄にしないでほしい。――もっとも、そのサリアスと居るのが非常に楽しくて、べったり貼り付いていたのは認めるが。
しばらく踊る二人を眺めた後、どちらからともなく退散した兄妹を広場前で迎えたのは新しい銀の族長だった。先ほどは黒の族長と銀月王陛下を見かけたし、今あの城は空なんじゃないだろうかとベルは思う。そして目の前の濃渋色の外套を羽織った純白の美女にしろ誰にしろ、なんでこうコッソリやって来るのか。
「ふふ、音楽は上手くとどいたかしら?」
どうやら風向きを変えた犯人は彼女らしい。
「ああ、おかげさまで楽しそうだったぜ。この花びらもあんたかい?」
この兄は敬語というものを知らないのだろうか。その砕け切った口調を気にした様子もなく、ソアティスはころころと笑った。
「これはまた別の方よ。銀彩さまが作った幻雪花ね」
「ぎ、銀彩さまって……あの黒の族長の側近……」
無口はノクスペンナと同じでも、遥かにきつくつんけんした雰囲気を纏う鋼色の青年だろうか。フォートとデュクシスを迎えに行った時顔を合わせたが、こんな華やかで感傷的な演出が出来る人種とは思えなかった。兄妹二人でそう顔に書いていたのだろう。更に楽しげにくすくす笑いを始めたソアティスが、とっておきの秘密を教えるように囁いた。
「一角獣族の方ですもの。乙女の応援はやぶさかではないのよ」
お願いしたのはわたくしですけれどね。その心底楽しそうな声音に、妹を亡くした翳りは見えない。だが辛くなかった筈は無いのだ。つい先日まで喪に服していた。ナースコルの異変に気付いたソアティスは、急遽城へと向かう途中で銀彩と鉢合わせたらしい。こちらは突如拡散した闇の魔力の波動に驚き速度を上げていた銀彩の背に乗り、大抵ならば一日かかる道のりを、世界最高峰の俊足を誇る一角獣の全速力で、半日足らずで走破したそうだ。
あの日、フィラーシャらと城へ向かった次兄どころか、ふらりと畑に出た筈の長兄すら帰ってこなかった夜の恐怖をベルは思い出す。翌朝鏡水宮から報せが届いた時は、絶対に自分で迎えに行って二人とも一発ぶん殴ってやると心に決めた。実際に行って顔を合わせた時は、安堵で胸が一杯になってそれどころではなかったが。
ようやく花びらが消えると、続いて音楽も止まった。一曲終わったらしい。
「さあ! 次の曲は二人も踊りましょう?」
みんな参加するのよ、と言われる「みんな」の面子については、あまり考えたくないと思ったベルルサージュだった。
***
二曲連続で笛を披露したサリアスは、ルチルナに誘われて今度は踊りの輪に加わった。
その姿は花冠と花の首飾りだらけながら、出で立ちは普段と変わらぬ剣士のものだ。硬く頑丈そうな布で出来た上下に無骨な長靴、防具と剣が無いだけで、飾り気のかの字もない。
女性らしく着飾るのは苦手と言ったサリアスに、鏡水宮からは目も眩むような金糸銀糸の刺繍と輝石で飾られた、派手派手しい騎士の礼服も送られてきたが丁重に辞退した。無論サリアスだけでなくフィラーシャ、ルチルナにも相応の――つまり物凄く絢爛豪華な――衣装が届いていたが、フィラーシャはその裾を踏んで転ぶ自信があると言い、ルチルナは肩が凝って動けなくなると難癖を付けて断っていた。しかし、三日後に鏡水宮である、こんどは銀月王主催の夜の民側の祝賀会には多分、あれを着なければならないだろう。
「ちょ、アンタ集中しなさいよ! あたしの足を踏む気!?」
ぼんやりと思いを馳せて、想像だけで肩を凝らせていたサリアスをルチルナが叱り飛ばした。今踊っているのは男性側だが、別に男性側でも女性側でも大差なく、サリアスは踊りの心得がない。三曲踊って諦め、脇で腹ごしらえをしている所を捕まったので、踊りから逃げるために笛を手に取ったのだ。予想外の大喝采を浴びて、それで正解だったと胸を撫で下ろした。
「すまん」
慌てて集中したが、どこから動きを合わせれば良いのか完全に見失ったサリアスを、仕方ないとルチルナが先導する。
「ったく、結局何回村長の足を踏みかけたのか知らないけど……もうちょっとこういう事も覚えなさい」
一曲目は三人とも女性側で、代表者としてサリアスが村長と、ルチルナがデュクシスと、そして本当はフィラーシャがフォートと踊る予定だった。フォートが欠席したためデュクシスがフィラーシャと踊り、ルチルナは酒盛り仲間というデュクシスらの従兄と踊っていたが。
「ああ……。明々後日もこういう事をやるのかな……?」
「あら、今度は銀月王の足を踏む気?」
吐息と共に目下最大の懸案事項を漏らせば、そんな容赦の無い言葉が返される。
「それが嫌なら特訓ね」
「と言うか、私はあの恰好で女性側を踊るのか」
あの恰好、を思い出したらしいルチルナが、にやける口元を抑えきれなかった様子で引きつらせながら言う。
「そりゃドレスが良いってんなら、きっとあんたに似合う凄いのを用意してくれるでしょうけど……。それとも、黒の族長相手に踊りたいの?」
それはご勘弁願いたい。足を踏んだら焼かれそうだ。
「いや、それは遠慮する」
心底参って溜息をついたサリアスに、けたけたとルチルナが笑う。
「しっかしまあ、モテにモテたわね、あんた……。背中に刺さる嫉妬の視線が痛いわー」
自分でもまさか、こんな事になるとは夢にも思わなかった。戦士として剣を振り回している以上女性らしい恰好をする機会がないのは事実だが、別に男装を気取っていたつもりもないのだ。返事に困っていると、仕方なさそうに笑ったルチルナが、あの日のようにくしゃくしゃとサリアスの頭を撫ぜた。
たおやかな蒼い光を注ぐ満月が、月祭りを見守っていた。
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