現在、「切り捨てられた世界で」が未公開となり読めなくなっております。
これは「黒猫ミステリー賞」への同作の参加に伴う処置であり、
別にどっかからクレームが来たとかそういう訳ではございません。
途中まで読んでたのに、という方はたぶんいないと思うのですが、
もしいたらごめんなさい。
黒猫ミステリー賞については他の作品も出そうかと思っているので
もう一作か二作、未公開作品が増えるかも知れません。あしからず。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
という訳で七夕である。タナからバタ餅(違
別段、浴衣を着たり笹の葉に短冊吊るしたりはしないので、
ただただひたすらに暑いだけの一日になる模様。
福島だっけか、38℃予想は。
うちの近辺はたぶん最高気温30℃程度に収まると思うのだけれど、
気分的に溶けそうで何ともかんとも。
体調は落ち着いており、絶好調ではないにせよ、困りごとは特にない。
しかし退屈だ。何もすることがない。
いや、することは探せばいくらでもあるんだけれど、
頭の中がパンパンで気持ちが乗らない。
そろそろアニメ見たり漫画読んだりし始めてくれないかなと
思ったりもするのだが、ため息の方が先に出てくる。
YouTubeなんかで「遠くで汽笛を聞きながら」とか「親父の一番長い日」とか
ダラダラと聞いている。いろんな感情がよみがえってくるが、
まあ大半は気のせいである。そんな劇的な人生送ってないやろ自分、と。
でも人生に何もないヤツでも何かあったような錯覚をさせるのだから、
歌という表現手段は凄いよな、と思う。
一瞬で疑似体験の世界に引きずり込める、
他の種類の表現手段にはない優位性がうらやましい。
小説でもクライマックスシーンを冒頭に持って来るとか
イロイロ工夫はあるんだけど、
さすがに二、三文字で読者を引き込むとか無理だからな。
ある程度腰を落ち着けて「さあ読むぞ」という体勢を読者に取ってもらわないと
にっちもさっちも行かないのが小説というモノの弱みだろう。
読者の要求に対するレスポンスが悪い表現手段なのだ。
だからせめて腰を落ち着けて読んでくれる人には
のめり込める読書体験をしてもらいたいのだけれど。
それはともかく、「約束というほどではなくても」は
今夜で全部アップロード終了である。
予定より一日早いが、ホント他にやることが見つからなかったので仕方ない。
次に書く作品については、まだアイデアのカケラすら浮かんでいない。
このまま永遠に何も浮かばない可能性もあるのだろうなあ、
と、毎回小説を完結させるたびに思っている。
で、毎回何とかなっているのだ。今回も何とかなるだろう。たぶん。
まだ午前四時半にもなっていない。一日が長そうだな。
エアコンをガンガンかけると電気代が怖いし、ああやだやだ。