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濱野乱氏に素晴らしいレビューを書いて頂きました!

濱野乱氏のレビューを読ませて頂いていて、一体いつから売春と言うものは“汚らわしい”ものとされてしまったのか?と考えていました。

古くフランスやギリシャの高級娼婦というのは、お客を選ぶ権利が有ったのです。
売春婦がお客を選んでいたのです、今みたいに店の命令通りに動く主体性の無くなった商品としての売春婦とは訳が違っていた。

高級娼婦には彼ら、彼女らなりのプロとしてのプライドも有ったし、お客と通じ合うものも有ったのでしょう。

勿論、今の売春婦達にもプロ意識はあるでしょう、どうお客を喜ばせるか、それは大変結構だと思う。
しかし結果的にはどうお金を稼ぐかという事にしか繋がらない、それも仕方のない事かも知れません。
店の経営システムとしては、どうしても個より公を優先せざるを得ないのですから。

しかし、私はそんなものならプロなんてクソくらえと思ってしまう。
店に管理される売春には、愛も主体性も何も無いでは有りませんか

ハンナ・アーレントは著書『人間の条件』の中で“仕事”と“労働”を分けましたが、
すると今の売春というのは“労働”になってしまう。

人間という動物が生きて行くために必要な事を労働と定義するならば、人間が人間らしく生きる為に働く事を仕事と定義出来る。

性欲というのは3大欲求と言うように人間の本能でしょう。
食事をするのも、睡眠も、暖房で身体を温めるのも、人間という動物に必要不可欠なように、性欲も男性には必要不可欠です、
射精する為にオナニーするし、オナホールやAVを買う。オナニーしなければ夢精してしまう。
今の売春婦と言うのは結局そこの延長線にいる訳です。
男性が射精する為だけに売春婦がいるのだとすれば、どうしても“労働”になってしまうし、こんな虚しい物は無い。
そうして、そういった主体性の無いオナホと同じ商品として画一化されてしまった売春は蔑まれ、“汚らわしい”ものとされてしまう。

私は伝統主義じゃないですから、昔の高級娼婦の様には戻れないのは分かる、社会がそう出来ているんだから、どうしたってお金も必要になる。

しかしもしこれを読んでいる売春婦がいたら、せめて店からは抜け出してみませんか?
オナホールやダッチワイフと同じように金銭で買い叩かれて店からの命令通りに動くだけの労働、これが売春だとしたら、こんな虚しい仕事は無いでしょう。
人間が人間らしく生きる為に売春する、その為にも店の奴隷に甘んじていちゃいけない。
私はなんだかんだお客が好きだから売春してきたけれど、貴方はどうですか?
個人で売春し、買い叩かれ画一的に並べられる商品から抜け出し、”汚らわしい“ものから抜け出し、人間としての主体性を取り戻す。
これこそ人間を人間たらしめたる“仕事”ではないでしょうか?

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