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火曜日から新しくBL小説を書きました。

ゲイの社会的差別を扱う話はもう沢山出過ぎていて、飽和状態になっているし、肝心のゲイ本人もさほど苦しんでいないのだが、
このストーリーの後半、店長から社長へと入れ替わり立場が逆転した際に、また今までと同じような、ゲイへの差別、ゲイである事の悩みと言ったテーマが繰り返される。
しかしそれは、あくまでもこの二人の内面的な問題であって、社会的なゲイの問題とは全く関係無い。
ゲイが差別に悩まなくなった今、BL小説というものはあり得るのだろうか?
そこにはなんら社会的な障害も無いのに?
あり得るとしたら、今私が書いているこの小説のように、立場が逆転してしまったポイントだけが障害として存在できるという気がする。
しかし、それはあくまでも二人の内面上の問題であって、社会的に関係の無い以上、嫌ならNHヘルスを辞めれば良いだけの話ですが...
この二人が結局NHヘルスを辞める事ができないのは、二人に自立性がない、社会で日常生活を送る能力が無いというだけの話であって、ここには全くゲイである事は問題無い。
しかし、(BL小説として)二人が愛し合っているとする以上、一方が折れたら一方が支えなくてはならない。
現代の日本やフランスにおいての悲劇は悲劇がない事だ。適役、悪役がいない事です。
それはなにかと言えば、
『存在の耐えられない軽さ』、または、『あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。
無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。
彼ら(彼女ら)は別に何らかのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。』(リバーズ・エッジ)

日本という快適な環境にいて、悲劇の無さ、それに耐えられず、劇や映画に建前の悲劇を求めるのは人をブロイラーにする為にも一番良いと思います。
(モブサイコ3期お願いしまーす!)

えー...とにかく、今書いている小説には一応ドラマを作っていますが、(フィクションですから)
3話から急に悲劇が無くなり、『存在の耐えられない軽さ』になります。
その耐えられない軽さこそが、悲劇が無いのが悲劇という事こそが、ドラマをぶち壊すかも知れませんが、しかし、今私も含め現代人において一番の問題なのでは無いでしょうか?

我がままを言えば、我慢して3話まで読んで頂けると幸いです。
稚拙な文章で申し訳ございませんが、何卒宜しくお願い致します。

コメント

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