「僕は15歳で強姦された──」
と柊圭介氏のレビューで書かれておりますが、これはきっぱりと断言しますが、今読み返してもそんな事を私は書いていません。
大体「僕は15歳で強姦された」なんぞと言うと、いつぞやのなんか怪しい人達がやっていた#MeToo運動みたいで非常に気持ちが悪い、俺が言いたいのはそうじゃ無いんだ、
という事を、柊圭介氏は、この「僕は15歳で強姦された」というキャッチコピーを、ミスリードを、柊圭介氏はちゃんと順序を追い、まとめて頂き、最後にはちゃんと屁理屈だとかオチをつけて頂いています。
これは大変有難く、そして上手いレビューだと思います。凄く感謝しております。
ところで最近、『青のフラッグ』と『リバーズエッジ』を同時に読んだのですが、『青のフラッグ』が高校生のゲイにおいて建前の、過剰すぎるドラマだとしたら、
『リバーズエッジ』は高校生にとってゲイや売春や生理や死体や過食症やヤクブツ、「そこに現実感を感じない」という事。
こっち側を私は本当、現実だと思うわけですね。
実際皆さんの高校生活を思い出して下さいよ、そこに青のフラッグの様な<ドラマ>なんぞなかったでしょう?
有るのはリバーズエッジの様に、売春も死体もゲイもヤクブツも流産もあったけれど、そこに何ら「現実感を感じなかった」という事。
青のフラッグが大衆側(どう考えたって感情移入するのはリバーズエッジよりも青のフラッグですから)とすれば、
リバーズエッジの現実感の無さは、まさに現実であり、私の書いたルポ、第一回で強姦魔に対して強姦されつつも現実感が無く、初めてのセックスで強姦された事に関しても、結局は「フェラチオしてくれなかった」
事に対して私は怒っていたのです。
何故わざわざBL漫画の名前を並べたかと言うと、このリバーズエッジ側の高校生の「現実感の無さ」という点において、同年代の私の書いたルポが大変上手く(売春やゲイや強姦と言った事の)「現実感の無さ」を上手く現しているからだと思っているからです。
私が言いたい事は全て柊圭介氏がレビュー内で書いて下さったので、これ以上説明する必要は無いのですが、ただ一言つけ足すとすれば、
せめて今の高校生の現実性を表す作品、ドキュメンタリーとして、「本屋さんに並ぶ」どころか、
中高生へ推薦図書として学校の図書館に置いて欲しいと思っている、という事くらいです。