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新聞の一面の片隅に掲載されたコラム『折々のことば』を読んで、気づいたことがあります。この場を借りて、少しだけご紹介させてください。

「輪郭ができる。それは言葉だった。」

小説を読みだして、自分の「内面」が言葉でかたどれると知ったと、書評家は言う。「他人に言えない言葉が降り積もり、だけどひとりでそれを抱えきれなくて寂しい」、そんな思いでいる人が私以外にもきっとどこかにいるはず。その人たちとこの「抱えきれなさ」を共有できた時、寂しさもなくなると。「誰かの寂しさを言葉ですくいあげる」
(「現代思想」)9月号から原文のままで転記。


(朝日新聞の朝刊:2024.10.05 鷲田 清一さまの記より)

この文章はとても感動的で、深い洞察が感じられます。書評家の表現を通じて、言葉の力や人間の内面の複雑さがよく伝わってきます。とりわけ、「他人に言えない言葉が降り積もり、ひとりで抱えきれなくて寂しい」という部分は、多くの人々が共感できるのではないでしょうか。

僕は作家の端くれとして、小説を書く究極の目的は、どのジャンル、どんな舞台や主人公で描いたとしても、読者に『感動』を与えることだと信じています。皆さんはどうお考えでしょうか?


4件のコメント

  • 淋しく感じたらカクヨムにおいでよ!
  • こんばんは

    私は読者に楽しんでもらいたいです
    いっとき、私の作品を読んで日頃の憂さを晴らしてもらえればと
    明日への活力にしてもらえれば最高です

    それにしても、書評家、評論家の方は言葉の使い方がうまいですね
    物語を書くのとはまた違う感性が必要なのだろうと唸らせられます
  • 鷲田清一さんのこのコラムはときどき読んでいます。
    あまり興味を持てないこともありますが、この文章のようにとても共感して響いて来るものもあります。

    抱えきれないものがすべてことばになるのか、ほんとうに「抱えきれなさ」を共有できたら寂しさは消えるのか、ということも考えるんですけども、そういうことを考えさせてくれるだけでも優れた思考なんだと思います。
  • 「他人に言えない言葉が降り積もり、ひとりで抱えきれなくて」…私はその思いを物語を書くことで癒していると思っています。なので最後の「寂しい」っていう気持ちが正直分からないです。言い換えるならば「辛い」とか「苦しい」かなって思いました。でもそもそも小説家ではなく書評家さんのお話なのですね。

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