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第6回カクヨムWeb小説コンテスト、お疲れさまでした! たくさんの応援をありがとうございました!!

お疲れさまでございます。
『アノレキシアの百合』の完結から一週間が過ぎました。
たいへん充実した連載の時間を過ごさせていただきましたこと、
心より感謝いたしております。
『アノレキシアの百合』を❤応援、★レビューで支えてくださった皆さま、
あたたかく深過ぎるコメントを寄せてくださった皆さま、
ひそかに連載を追ってくださった皆さま、
本当に本当に、ありがとうございました!

おかげさまで中間選考を通過させていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
あらためまして、本当に本当に、ありがとうございました!!!

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以下、過去作品の回顧録(随時、追加更新終了済み)です。

『白百合の病』
カクヨムに初投稿した小説です。これは私の物語の「卵」でした。
主人公は二十二歳の社会人・ササオカさん。彼女が開いたピアノ教室の扉の向こうには何が見えたでしょうか。扉の向こうには、架空の不治の病、その名も『白百合の病』に侵された永遠の美少年・ミヨシくんと、彼の祖父が居ました。夕刻のピアノ教室に集う雛鳥たちの魂の交流を描いた14,337文字の物語です。昔、同人誌用に書き下ろした稿をWEB用に書き直したつもりでしたが、今、読み直すと同人誌のころの小説作法に則って書いている部分が多々見受けられます。作法はさておき『白百合の病』は、自分が「綺麗」だと思うエッセンスを抽出して、「透明」に濾過して、混じりけのない状態に手間暇かけて「薫陶」した、「私の大好き」を凝縮した作品です。何処をどう切り取っても大好きな作品。
おそらく『アノレキシアの百合』が露骨に物語っている部分を、透明なオブラートに包んで、綺麗に壜詰めして、肌触り良く仕上げた「純文学」と、おこがましくも思っておきましょう。
カクヨムで需要の淡いであろう「純文学」にもかかわらず、沢山の御方にお目通し戴き、素敵なレビューも沢山、頂戴しました。
正直、カクヨムに小説をアップしたところで変わる世界など何も無いと、なかば冷めた私は期待度ゼロで始めましたもので、反応があったことに驚きました。限りなく透明な拙作を見付けて読んでくださった方々、御言葉を寄せてくださった方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。

『魚座のリボン』は同人誌時代の改稿作です。こちらは「Uターン」を御題に書きおろしたかに見せかけて、ストックをそれらしく改稿して間に合わせた次第でございました! その後「5分で読書コンテスト」に合わせて、またもや加筆。想いは天と性別を超えて巡るのです。サキとルナ。およそ少年らしからぬ名を刻んだ少年たちの籠の鳥の日々と其処からの成長。雛鳥から成鳥になって再会して、ふたりは……。約束の丘以降、どうしているのでしょうね。絆を深めているかしら? 良きことかな。
星都ハナスさまの『❤カクヨムの天使❤』
https://kakuyomu.jp/works/16816452218343050982
その第22話に『魚座のリボン』を御紹介いただきました。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218343050982/episodes/16816452218466374374
たいへん感慨深い想いでした。ありがとうございます。

『愁いを知らぬ鳥のうた』は、「同題異話」という自主企画参加作品です。参加当初、たった千字しかありませんでしたが、同人誌時代の物語の続きを奏でることのできる自分に気付きます。「ミヨシくん」という少年が私の中で動き始めました。カクヨム活動に於いて触れ合った様々な方々との交流の末、気持ちに生じた嬉しさや切なさの許、前奏曲と譚詩曲は生まれてきました。

『記憶に響く愛の音』と『御人形の夢と目覚め』は、第五回カクヨムWeb小説短編賞に出品。中間選考を通過させて戴き、とても嬉しく光栄な思い出の作品になりました。
『記憶に響く愛の音』は、球体関節人形と人形師と人形師の弟子が繰り広げた「魂と記憶」の在り処を問う、なんだかフィロソフィー(哲学的)な短編です。こちら、2020年10月19日(月曜日)の曇り空の日に、
浅葱ひなさまの『あさぎ図書館  ☆ひな館長のおすすめ読書日誌☆』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054916699486
その92冊目に加えて戴きまして、
https://kakuyomu.jp/works/1177354054916699486/episodes/1177354054934658629
たいへん感慨深い想いでした。ありがとうございます。

『御人形の夢と目覚め』は、同名のオースティンのピアノ曲をモチーフに創作した短編です。何ごとにも熱くなれない冷めた少女が、或る幼女との出逢いを切っ掛けに「はたらく」意味に目覚め、「傍(はた)」を「楽(らく)」にする未来に向かって生き始めるという明るい楽曲。これはコンテストを意識して分かりやすさと希望を心がけ、やっと辿り着いた改稿結果。しかし、読点の打ち方に非特異的な森茉莉主義(モリマリズム)が沁み込んで抜けておりません。
「困ったもので、ある。」
のような、ともすると悪文とも取られかねない読点の打ち方をどうしても矯正できずにいる稿をあえて再展示しています。
読み返してみると二作とも長編への芽を隠し持っており、何処何処までも掘り下げられるポテンシャルに充ちております。とくに『記憶に響く愛の音』は三人称で長編にしたら面白いのではないかと妄想の蔓を延ばしつつ、どんどん筆を進めている現状なのに色んなことを延期にしたい。それは『アノレキシアの百合』が、あまりにも乾坤一擲であったから。これ以上のものも、これ以下のものもない。そんな作者の自己満足感が甚だしいためと、体調の面からして今、走るべきではないと思うため。数年後に長編が完成したら素敵。そんなふうに悠長に構えております。

『皐月の闇に薔薇は融ける』
原型は、二十歳の宵澤ひいなが同人誌に寄せるために書いた「青年」と「少女」の物語でした。カクヨムに登録後、BLと呼ばれるジャンルを何故だか好んで読むうちに「青年」と「少年」で書きたい気持ちが高まり高まり、大幅に書き直しましたが、ちょこっと「若気の至り」を感じる闇と病みの世界です。読み返してみますとアノレキシア的に美しい少年・ミコトが彷徨っています。彼の姿に昔、自分の心に咲いていた薔薇の生命を見た美しい青年・アキラが、ミコトに近付き、ミコトを捨てて、けれども捨て切れず戻ってきて、ふたりきり閉ざされた夢の荒野に愛の薔薇を咲かせております(意味不明なあらすじですね。この物語は幸福劇にも悲劇にもなるのです)。
世間一般の常識に頸を絞められて死するしかなかった少年。彼の希死念慮の結晶とも取られかねない結末を「希生概念」と読み込んでくださった作家様の御陰で、停滞していた幻想の河が再び流れ始めたように思われます。こういうのが宵澤ひいならしくて何よりと思う私は、未だ少女時代に特有な感傷を敢えて好んで羽包(はぐく)んでおりますでしょうか。それはそれで良きことかな。

『夏期休暇に閉じ籠められたキミを解放するボクの時間旅行』は、「カクヨム2020夏物語」の中間選考を通過した「若気の至り」の奇蹟でございます。こちらもまたリアルに若気っていた同人誌時代の作を改稿して、痛く痛く尖らせてみましたという宵澤ひいならしい(?)作風。自傷することで生命を繋ぐ少年(キミ)。それを止めろと云う少年(ボク)。ボクが云いたかったのは「止めろ」ぢゃないんだ。「止めなくていい。傷を刻みながらでもいいから生きていておくれ」……あら!? ひとり舞台に入っておりました。大丈夫でしょうか、私。
これは2025年ごろに続きを書けそうな予感がいたします。時間旅行の果てにキミを取り戻したボク。生きるという選択肢に繋がれた、ふたりの未来を。未来へのヴィジョンは、ひとまず保留にいたしまして、本作、痛みが爽やかさを伴い、サイダーの泡の如く光ります。私には、カクヨム未登録でありながら根気強く拙作を追ってくださる親友が居ります。彼女曰く「清涼飲料水のイメージ」で「エヴァっぽい」、「グサグサ刺さる」そうです。さすが学生時代からのお付き合いの彼女、高いシンクロ率で作品に寄り添ってくださり、本当に感謝しています。コメント欄に『甘き死よきたれ』を寄せてくださった作家様のセンスにも脱帽です。この曲、人生のテーマソングにできそうなほど気に入ってしまいました。

『人形への小夜曲』は、先天性の耳朶の欠損をかかえた十三歳の少年・ラルムくんの成長を追う物語です。ショパンに次いでドビュッシーも大好きな私が、『人形へのセレナード』を弾きながら考えた幸福を目指す物語。これはカクヨムに於ける交流の中、一から書き上げた物語です。過去作のストックではありませんでした。宵澤ひいなは、こんなにも希望に充ちた新しい御話を書けるのね! と我ながら驚いたしだいです。始まり方は暗いのですが、たいへん明るい読後感の爽やかな一篇となっております。

再展示中の『オフィーリア奏鳴曲』。これは宵澤ひいなが自身、信じられないテンションでオートマティック・ライティングした結果、過去作の統合を果たした奇蹟でございます。プロットらしきものにかける時間は少ないのに、年単位で推敲する遅筆の私の脳がオーバーフロー。約八万字を二ヶ月で書き上げてしまいました。どうなっていたのでしょう、私の脳は。謎の助役の考察が、いちいち面白いし本当に何だったのでしょう、これは!?
『白百合の病』+『人形への小夜曲』に、『皐月の闇に薔薇は融ける』のオマージュも雪崩れ込み、もとはと云えば過去の私が書いた物語が時を経て、ひとつの株に纏まった! 勝手に咲いていた花が樹になった!! と驚いた次第でございます。この小説に登場する月島ヒナノ嬢は少女の理想形で在ると勝手に思っておりますが、本当に、それで良かったかしら? 「永遠の少女(プエラ・ エテルヌス)」の本質を今一度、見詰め直したい所存です。永遠の少女に特有の受身的な性格をヒナコに、天真爛漫で自由な面をヒナノに託しました。ヒナコは純真で無力な少女の生命を終了します。ヒナノは「見た目年齢30歳・真の年齢50代の病弱な青年」に献身することで、少女の純真がもたらす戸惑いを克服して女性になります。こう書くと、やはり幸せなのは月島ヒナノ嬢でしょうか。ラルムくんという最愛の息子を授かり、生を繋げているのですね。彼女は順当に少女から貴婦人へ、そして老婦人に至るサイクルを受け入れております。日芽子と月彦とは正反対の健全さでもって。

エッセイ『顎骨骨髄炎だったころ』は、宵澤ひいなの『オトギバナシ』的に、もしくは『おくすり手帖』的に(どんな感じでしょう、よく分かりませんが!)、発展形を模索中でありまして、下書きに入れたままです。

それにしても季節は初夏です。憂鬱な夏。絶望感の漂う片頭痛シーズンですので、殊更、カクヨム活動は低迷します。
2021年7月現在、慢性眼瞼炎と脳過敏を伴う片頭痛のため、活動をセーブしております(+_+) コメント返信が遅れがちになると同時に、尊敬する皆さまの頁でコメントを書くことも、新作を読ませていただく機会も控えめになりそうですが、何卒ご容赦くださいませm(__)m

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