神の存在証明として有名なのが
ルネサンス、古典主義の哲学者
パスカルの「パスカルの賭けー
Pascal’s wager 」です。
パスカルは神の存在確率をPと置き、
それに付随する利益をx
とすると、期待値pxは正の数となり
ますが、信仰しない( 賭けには応じない )
と利益は常に0であるとしました。
だから神を信じた方がいいよ、
ということです。
ただし、宝くじの宣伝と同じ理屈なので危うい
ですよね。
しかし、例えばサイコロの確率論で考えると
もっとスッキリします。
賽の目を一度振って1 が出る確率が
1/6 である、という確証はありません。
例えばサイコロをP回振って1/6に近づいて
行くことを「相対頻度」と言いますが、
これだって、ちょうど1/6になるのは、
1/6をP回かけた値、であって、
とても低い値なのです。
ではひとはなぜ1の目が出るのが1/6かと
信じているか、というと、それは数学者に
よると、
belief=確信度、信じていること。
すなわち、「信仰」なのですよ。
神様は信じられないのに、サイコロは
信じている。ここにも人間の何か錯覚めいた
ものがあると私は思います。かと言って
私は無神論者を非難はしませんよ。
常識を疑って、もっと
考えを深めてみよう、
ということです。
第二部後半では、この信憑性を考える
山姥 賽婆《さいばば》が登場します。
魔女が取り憑いた山に戦国時代から
落武者と暮らす「山の民」の亡霊です。
賽婆は武者たちから「オババ」と呼ばれて
魔女と怨霊の勢力と対立します。しかしながら、
また新たにやってくる主人公花田をも
阻止しようとサイコロを振るのです。
お楽しみに〜。
じゃじゃーーん