• 現代ドラマ

それは傲慢か否か

あ、明後日で「解像度」企画、締切が来るみたいです。いま日付みて思い出した。すぐに再開できるかはわかりませんが(当日に覚えているかどうかの問題)、十中八九再開すると思います。

で。

ここ一週間くらい、しばらく前からためていた小説、つまり積ん読をいくつか消化していたんですが、いずれもやはりこう、どっかに生きづらさだとかあって、ああ〜〜〜わかるよ〜〜〜〜〜〜〜みたいにくだを巻いてたんですが。
読み終わったらいつも思うんだよなあ。

でもやっぱり私はうちの子たちを幸せにしてあげたい。

幸せでいいやん、と思うんですが、これも作者、というか、人間の傲慢なのかなとちょっと振り返ったりするんですが、でも読むのと書くの、ちがうのよ。
読むのはOKなのよ。人生めんどくさいの極みなんだけど、それでもうちの子たち幸せにしてやりたいんよ。

でもそうだとしたらやっぱりこれは傲慢なのかもしれない。でも私はそういうのが書きたい。

と、まじめに(?)書いているんですが、テレビでは推してるグループのライブ映像を流しているので「幸せにしてあげたい」が勝つんですよね。
こんなに「嫌なこと忘れてこーぜ!」って言われる現場の映像を見て、つられてクラップなんかしてたら、まあ、傲慢とか思った自分が馬鹿らしいような気がして、たぶんみっちゃんにも「傲慢だよ」と言われそうですね。と思って「あの子なら言いそう」、って笑いました。コラ、そこ歌詞間違えんな(テレビに向かって)。

まあ、いつもこんなのが書きたいんですよね。舞台上と相思相愛。人生の肯定。
音楽追ってればどうにか生きていける。そう思うのはそれだけでもう傲慢かもしれないけど、それ前提で私はみそらたちのことを書いているんだと思います。

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