一か月少々に渡って連載してきました「矜持と嗜好」、31日朝をもって完結いたしました。
本作は、まあ狙ってやったわけでもなかったんですが、湾多では久方ぶりの週二回更新、加えて一回を2000字内外に抑えたということで、いつになく「投稿小説サイトのスタイル」っぽい連載になりました。
そのせいで、とこれは言い訳にしかなりませんけれども、行きあたりばったり感がいつになくひどい w。忌憚のない話、第一話を読んで「お、面白いかも」読み続けてくださった方々で、その「面白さ」が期待通りに展開されたと思ってもらえた人は、ほぼいないのではないかと思います。ええまあ、「でもその分予想もしない面白さが」と前向きにフォローしてくださるのが常だったりするのですが、今回はことのほか、その種のお言葉が心苦しい(だから書かないでくれとまでは言いませんが ^^)。
書き上げたものは書き上げたもので、これから愛着も出てくるだろうとは思いますけれど、なんか、なりふり構わず週二ペースを維持しようとして、あっちこっちに落とし物をしてしまったなあと言う気分が消えないのですよね。いや、そういうロマンチックな話じゃないな。ボタンの掛け違い? 場の流れの読み違い? 対子の単騎待ちでの最後の一枚の選択ミスを一局全部で繰り返した的な? おお、これはつまり負け試合と言うことか? そうなのか?
まあ自己評価はさておき……いったい何をどうしたかったんだろうねえ、という、感想戦みたいなものをやりたい気分なんで、お付き合いいただける方はこのままどうぞ。作品未読でも中身は分かるかと思いますが、読んでもらった方が具体的に実感できるかと。
書き方に関する技術的な話ではあるんで、読まれた方にとっても思わぬ拾い物のネタが含まれているかも知れません。あ、再利用その他は自由ですんで。
1. 第一話時点で見えた(つもりになった)テーマとか
コメントその他で書いてますが、本作を書き始めた直接のきっかけは、ある本を読んで色々と文学上の刺激を受けた(つもりになった)こと。とにかくね、わりとがっつり幻想小説みたいな方向に足を踏み入れてやろうという意欲が満々だったのですね、この時点では。
で、それはどういうのだったの、という問題なんですが……申し訳ないことに、その初期的なイメージ丸ごと、数日のうちにほぼ頭から抜けてしまったんですわ 笑。
どうも、慣れないジャンルに挑戦するということで、がつがつせずに二、三日ほど放置していたのが元凶だったようで……いつもはこういう形でイメージが言葉になっていくのを待つんです。で、具体的なシーンとか組めたら、それをとっかかりにしてさらに……という風に進めていくんですが、今回はそれが裏目に出ました。
ひらめきから始めた文章なら、一度最大限までひらめきを拡げて、メモを取っておくべきだったんですよね。いや、その方法でもうまく書けたかどうかわかりませんけど。
思うに、あれは小説ではなくて詩作のイメージだったんだろうなと。詩の作り方って、どうやらそういうのに近いらしいから。その意味では、当初の目論見通り書けたとしたら、三話程度で終わってしまうものになってたかもです。
もう一度きっかけになった本を読み直してみたら何か出てくるのかなあとも思うんですけど、図書館の本だったので、手元になくて、試すことが出来ず。
じゃあそこに書いてあったのはどんな内容なんだという話をすると……もう面倒だから紹介してしまいましょうか。この本です。
「小説、この小さきもの」 鴻巣 友季子 朝日新聞出版 2025.9.19発行
出版社に掲載されている紹介文はこちら。
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私たちは孤独ゆえに小説を生みだし、小説を読み書きするゆえに孤独を深めてきた――。
小説の本質とは何か。私たちはなぜ物語を必要とするのか。「共感性読書」の波が席巻する現在、小説という散文形式の発展、語り手の位相の変遷を読み解きながら、神なき時代の叙事詩である小説の起源を探り、フィクションの本質に迫る本格文芸評論。
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見るからに硬派の文学評論という感じですが、実際にすらすらと読み流せる文章では全然ありませんでした。三十代頃なら早々にギブアップしてたかもしれませんが……そういう挫折を何冊か繰り返してると、なんとか「扱おうとしている話の方向性は一応わかる」というところまで理解できるようになりますんで、今回はがんばって読破しました。
いやもう、新鮮な衝撃でしたねー。ちゃんと真面目に文学部やってた人なんかだと今さらな話なんでしょうけど、「小説」というジャンルがなんで近代ヨーロッパを経なければ出てこなかったのか、この本読んでやっとわかりました。私は、活版印刷術の発明以前だと庶民レベルでの読み書きの趣味が広がらなかったから、などと想像していたんですけど、そういうメディア論的な理由はごく一部で、実は――と、この先はキリがないので置くとしまして。
今ネットでこの本の紹介記事なんかを読んで思い直したですけど、やっぱこういう刺激を受けた時って、その場でメモも作らないとダメですね w。蘊蓄的な部分でどこに感心したのかとかはそれなりに思い出せるんですけど、どこのくだりを読んでる時にどういう妄想が現れて何が閃いたのか、なんてことは、一月も経ったらさっぱりです。うーん、改めてもったいないことをしたか。
さて、これ以上ここの話しても何も出てこない感じですから、そろそろ第二話以降に……と、ちょっと長くなってきたな。いったん切りましょうか。多分喜んで読む人はいないだろうけど、自身への記録を兼ねて、続けて「矜持と嗜好」で書くはずだったことを振り返りたいと思います。うーん、初めての近況ノートでの連載ネタ w