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「高尚さま」の独り善がり―「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「十三」を投稿しました!

平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「十三 翠令、大学寮に赴く」を投稿しました!
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927860726549221

日本史の資料集に、奈良時代の「律令国家の教育制度」として、「大学」が中央に設けられたとあります。
何を学んでいたかといいますと……。

「儒教の基本書・注釈書を習得する経学が学問の中心で、算学が補助的に加えられた」とあります。
「山川 詳説日本史図録(第8版)」57頁 

奈良時代の大学の学生を描いた力作に澤田瞳子さんの「孤鷹の天」という小説があります。
これが当時の大学とは何かを余すところなく小説になさっており、むちゃくちゃ迫力があります! 
考証も正確だと思いますし、その綿密に描写された世界の中でアツい人間ドラマが繰り広げられます。学問に身を捧げる若者たちの情熱を眼前に感じられるかのような素晴らしい作品です。

平安初期の大学寮が出てくるエンタメ作品としては。漫画の「応天の門」(灰原薬さん)もあります。若き日の菅原道真の学生生活が描かれています。

澤田瞳子さんが描かれたのは、奈良時代の「学問が世を救うという理想に燃える若者たち」ですが……。拙作に登場する学生たちは少し歪んでいます。世を救うという理想は一応持っているけど、思弁に傾き過ぎて独善に陥ってしまっている円偉とその信奉者――。
(この点、平安時代に大学で学びながら「学問は民の役に立つのだろうか?」と懐疑的な「応天の門」に近いかもしれません)。

円偉たちの価値観に、私が否定的なのは……。
私が「悪役を登場させなきゃ」と思っていた時期に、円偉のモデルとなった人物と出会ったので、彼のの影響が強いです。

彼について何が「鼻持ちならない」と思ったかについては、近況ノートで円偉のモデルとした経緯を書いておりますので、ご覧いただければと思います。
(他人をディスっているので、そういうのを読みたくない方はご注意下さい)。

【近況ノート】本人はピュアなつもりのいけ好かないオヤジ
https://kakuyomu.jp/users/washusatomi/news/16816927862008182857

上掲の近況ノートで述べたオヤジは、ここでさらに詳しく言えば所謂「高尚さま」でした。

愛読書は「ヘッセ」だそうで、そして紀行文の分野の偉い先生の本を大切に読み込んでいます。
ある日、そのうちの一冊を私に「○○さん、これ読んで」と貸してくれました(その人にとっての最大の厚意らしい)。
ですから私からも返礼に「京都に引っ越して来られたのなら、森見登美彦さんの『夜は短し 歩けよ乙女』はどうですか?」とお貸ししてみたのですが……。

私としては単純に読書が好きなのかなと思ったので、ちょっと毛色の変わった本をお貸ししたんですよ。別に、合わなければ合わないでそう言ってもらえればそれでいいですし。

ところが。その男性の態度と来たら。
次回会ったときに、「なんや、よう分からへんわ」と手元に視線も向けずに、さも嫌なものを扱うような手つきで突っ返されました。
まあ、確かに森見さんは癖の強い作家様ですけど……。

前も書いたように、その人は自分の紀行文を出版したんですが……。
で、その本を手売りしたいと言うので、私が「それなら『文学フリマ』というものがありますよ」とお話してみました。

文学フリマとは一次創作のコミケみたいなもんです。
その壮年の男性。コミケ的な物を全く知らないのは世代的にしょうがないとはいえ、だんだん私の話を理解し始めるにつれ怒りだすのです。
「なんで、そんなもんを僕が知らんとあかんの!」と。

彼には彼なりの「文人」とか「文士」とかの理想像があるのでしょう。
そして、今風の二次創作とかWeb小説とか頭から馬鹿にしており、そんな「レベルの低い」活動を薦められるのは、彼にとっては侮辱と感じられたようです。
……楽しいですのにねえ、Web小説投稿をカクヨムするの。

彼にとって読むに値する本、それに匹敵するように丹精込めて書き上げた自分の本はとても「高尚」なもので、森見さんみたいなエンタメや文学フリマのような「低俗」なものと一緒にするな!と言いたいようです。
ここらあたりは自分がインテリであるという自負があるのでしょう。

一方で。
この人は「僕はアジアの貧しい国を旅するのが好きやけど、文化人類学みたいな冷たい観察じゃなくて、心と心のふれあいをしたいねん」とも口にします。

彼はもともと「工学系の学部で学んで貧しい国の役に立ちたい」と大学に合格したのですが、心身の不調で退学を余儀なくされました。
その代わり、自分が高尚だと思う人文系の教養を独学で身につけて来たようです(この辺の事情は本人の責ではありませんし、教養を独力で身に着けたのは素晴らしいことです)。

ただ……それが、データサイエンス的に社会にアプローチする知的な営みを「あんたのものは冷たい観察に過ぎない」と敵視することに繋がり、自分の拠って立つところを「高尚な学問に触れていること」と「民と心の心の交流をしているのだという自負」にしか置けないことになってしまっているように思います。

だから、彼は「自分はピュアなつもりの鼻持ちならないオヤジ」となったのでしょう(気の毒な事情もありますし、私を「借り物・偽・嘘」とディスりさえしなければ、私だってこんな辛口の評価をしなかったと思いますが)。

「アジア=貧しい=心が汚れておらず純真」というのも今や偏見の域だと思いますし、彼らと触れ合う自分が「エエことしている」と思っているのも傲慢だと感じます。

また、そういう地域に上から目線で「触れ合ってあげる」よりも、自立した幸せな国になるための支援は様々にあることでしょう。当該地域の人々は具体的に何を望んでいて、私たちに何ができるのか。他者への理解と援助の幅を広くすることが大事だと思うのです。

私の小説に話を移しますと……。

佳卓や正智の政治理念も、地域の多様なニーズを汲み取り、それに具体的な解決を提供するという実際的なものです。「安寧と豊かさ」という表現に集約される、医学や土木術その他を用いた実用的な支援です。

しかし、中央の朝廷にいる「高尚さま」にはそれが「低俗」な行為に見える。
この認識のズレが、今後の政争のもとになります。

佳卓と円偉の双璧の間のスレ違いは、どういうドラマを辿ってどんな着地をするのか今後もおつきあいいただければ幸いです。

今回の写真は、平安京の模型を展示している平安京創生館の展示です。
錦濤の姫宮がお外に出かけ、朱雀門を見上げて、そこに王権の強大さを見て身の引き締まる思いをするという場面がありました。

この写真は、「豊楽殿」の建物を20分の1で再現したものです。一緒に写っている人形は身長160㎝だそうです。
今回登場した朱雀門は、大内裏の中心的なもんですから、この豊楽殿よりもっと大規模なもののはずです。
まだ10歳(たぶん身長140㎝くらい)の姫宮にはとても巨大に見えたことでしょう。

この小説は翠令の視点から書いていますので、直接錦濤の姫宮の心の中まで描写できませんが、幼いながら自分の責任を理解しているけなげな少女だと思って頂ければ幸いです。

今後ともご愛読賜りますよう。

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