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物語の舞台「山崎津」―「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「一」を投稿しました!

https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927860693416226

平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「一 翠令、異変に覚悟を決める」を投稿しました!

主人公に危難が降りかかってきています。

錦濤(今の大阪)を出立した姫宮と女武人・翠令の船は、淀川の港である山崎津に停泊しています。

この山崎津は史実にも登場する地名です。今も大山崎町という地名が残ります。
取材に出かけて写真も撮ってきたので↓こちらに掲載しておきます。

大阪府と京都府の府境のギリギリ京都府内ですね。
山崎津は淀川の西岸にあり、東から天王山が迫る地形で、川向うには男山(石清水八幡宮)や樟葉の新興住宅地が見えます。
戦国時代の明智光秀VS豊臣秀吉の「山崎の戦」でも有名なところですし、サントリーのウィスキー「山崎」でも知られている土地です(醸造所は隣の大阪府にあるんですが)。

平安時代には京の都の外港でした。
土佐日記でも紀貫之が大阪湾から淀川を船で遡上し山崎津で泊ったことが書かれています。

この小説を書く当たって、大山崎町の歴史資料館に行ってきました!
なんと山崎津を再現したジオラマがあって小説を書いている私には大助かり!

そのジオラマでは、十艘以上の船が停泊できる船溜まりもありますし、国府の役所の建物もあります。

川べりにも出てみました。
大阪平野の全く山が見えない暮らしをしていた翠令には、山が間近に迫った山崎津の光景はさぞ目新しかったことでしょう。

山崎津のあった場所に私が取材に行った体験記をエッセイに書いております。そのそれぞれの近況ノートにも写真があります。
是非ご覧くださいませ。

翠令はこの国府から護衛の武人を手配していたのですが……どうして姿が見えないかは理由があります。
次回、次々回に明らかになりますので、どうかお楽しみくださいませ!

↓鷲生の書いた山崎津訪問エッセイは下記のとおりです。

大山崎に歴史の蓄積の入り口が……(大山崎町歴史資料館)。
https://kakuyomu.jp/works/16816927859356756509/episodes/16816927860021796829
(近況ノート https://kakuyomu.jp/users/washusatomi/news/16816927861326438639
大山崎に歴史の蓄積の入り口が……(淀川の川べり)。
https://kakuyomu.jp/works/16816927859356756509/episodes/16816927860112222150
(近況ノート https://kakuyomu.jp/users/washusatomi/news/16816927861524395991

しばらく山崎津で翠令の奮闘が続きます。どうかご愛読くださいますよう。

↓山崎津のあった川べりから天王山を見ています。
山のふもとにあるのは阪急電鉄の駅です。ここは阪急と東海道新幹線、国道、在来線が並走しています。現代でも交通の要衝なんですよ!

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