【雑記】先日、府中へ行く用事があったので、次いでとばかりにお祓いを受ける。
初穂料(謝礼)の袋は白い封筒でもいいらしいのでコンビニでも売っていたりする。最低5000円から。袱紗もあるといいかも。ちょっとネットで調べれば沢山出てくる。
ところが「厄除け」というのは、その年にあたる人じゃないと受け付けていないらしく、代わりに「諸災防除」というのを勧めてくれた。そして、初穂料を納め、待合室にいた人たちと纏めてお祓いを受けることに。
中でのお祓いの様子は割愛するが、十五分ほどで終わったと思う。帰りに、お札?とかお神酒?とかお米やお菓子の入った紙袋を頂き終了。車で来ていたが、駐車場の料金からして手続きから含めて1時間ほどで終わったと思う。
こういうのは精神的なものなのは踏まえつつ、心なしか身体が軽くなった気がする。
もちろん、そこには科学的な根拠とかそんなものは一切ない。病は気からともいうし、物書きならこの手の経験は大事なはず。
しかしながら、お祓いを受ける経緯にしても「実際どうなの?」と近しい友人や知り合いなどの伺った結果「やったほうがいい」と、真顔で答える人が多かったからだ。
効果を期待するというよりも、縁起担ぎの側面が大きい。とはいえ、やはり「得体の知れない力」によってアレコレさせるのは嫌だ。ならば、直近で出来る対策というのはなるべくやっておきたい限り。
そんな具合に、先の見えない2月に突入……。相変わらず時間はあまり取れない。
【創作】かっぱ寿司で茶碗蒸しを食べていたら、猛烈に喉を火傷する。
お祓いを受けたばかりなのに。それともこれは聖痕なのか。しかし、神道とキリスト教は一切関係がなかった。くっそお、地下で強制労働してるカッパは何をしているんだ。
さらに自分が、何かをしようとすると立て続けて邪魔が入る日々。
ただ、ここまで何もできない日々が続いたせいか、せっかく築いた習慣が崩壊してしまう。でも、世間ではこれを「甘え」と呼ぶ。何でもかんでも自己責任で責めてくる。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに、人の世は住みにくい。