そうやって偏屈な小学六年生になったあたりで、なぜか急にいじめがなくなった。
それは良かったのだが、この五年間、虐められないようにするために、色々と試行錯誤を繰り返し、一応『好かれる努力』までもしていた私にとって、まったく理由のない虐めの廃止は、安心と同じくらい、不気味さもあって、学校生活はもちろん、勉強も、プライベートまでも費やしてきた『虐めへの対策』の時間は何だったのだろうという、虚しさにも似た絶望に苛まれたものだ。
そんな状態で、小学校最後の一年をおっかなびっくり過ごした後で、私は中学生になった。
中学では、明るく、積極的でみんなに好かれる自分になる為に、私は私をプロデュースして、臨んだのだ。
プライベートでならって剣道で、そこそこ強くなれてきた時期でもあったので、私は中学校になかった『剣道部』を作ることにした。
部員を集めて、顧問を頼んで、指導できる人間がいなかったから、自分が指導係も兼任して、立ち上げたのだ。
それだけではなく、二年時には生徒会長に立候補して会長を務めた。
剣道部部長で、生徒会長までやって……それでも、私には本当の意味で信頼できる友人はできなかった。
それどころか、自分をプロデュースし過ぎたせいか、誰も『私』という人間単体と関わってはいなかったのだ。
剣道部部長である「私」、クラスでリーダーシップを発揮する「私」、生徒会長の「私」。
皆が関わっていたのは、そういう作られた肩書ありの私であり、それ以上ではなかった。
<つづく>