「昴一郎さん、あけましておめでとうございます」
ぼくの胸辺りまでの背丈しかない小柄な、晴れ着姿の女の子がちょこんと行儀よく正座して、新年の賀詞を述べる。
可愛らしく結い上げた、黒一色の綺麗な黒髪。
透き通るように色白の頬。
凛々しくも穏やかな、黒目がちの瞳。
ふっくらした赤い唇。
瞳を惹きつける、並はずれて整った目鼻立ち。
その身に纏うのは、落ち着いた濡羽色に細かな格子模様の刺繍された品良くもあでやかな振り袖。
袖口には白い鳥が翼を広げた姿を図案にした絵印がワンポイント。
言わずと知れた、我が恩人で、家主で、雇い主で、身元保証主で、実の母のようにも尊び敬してやまない相手。
百三十三代目のツクヨミにして、〈剣の魔法つかい〉たる、斎月くおんさん。……である。
もちろん、ぼくからも精一杯の誠を込めて、深深と頭を下げて、今年もよろしく、と気持ちを伝える。
相変わらずぼくはくおんさんがいなければまともに表を歩くこともできない身の上なれば、せめて感謝と敬意は伝わるようにして伝えなくてはいけない。
お互い、去年を無事に越せて良かったね、今年もよろしくね、と笑顔で祝い合って、さてお餅にでもしましょうかと思ったところでぼくの表情をひきつらせたのは、
「これをどうぞ。……わたしからの、お年玉です」
という言葉とともにくおんさんから差し出された、ちいさなぽち袋。である。
「……いただけません」
「何故ですか?」
穏やかな微笑みを湛えたまま、心底不思議そうに問いかけるくおんさん。
だって……だっておかしいでしょうが。
18前後の男が、11歳の女の子からお年玉もらうとか。
「わたしは昴一郎さんのおかあさんですよ? お年玉を渡して何の不都合があると言うのです」
「それはまあ、そうなんですけど……」
くおんさんの謎。
「御剣昴一郎のおかあさん」という立ち位置への激しい執着。
いったいなぜそこまで、それに拘るのか。
最近ぼくの方も、時々
「あれ? ぼく、この邸で育ったっけ?」
と思いかけるほどで。
(詳しいいきさつを知らない方へ。
念のため。
斎月くおんさん(11歳)と御剣昴一郎(よくわからないけどたぶん18歳前後)に血縁はありませんが、くおんさんは昴一郎のお母さんを自認していて、隙あらばそれを既成事実化し歴史を修正せんとしています)
(何言ってるかわからないと思われるかもしれませんがそれはそういうものなので文面通りに受け取っていただくしかないのです)
女の子に養ってもらって、身の安全を保証してもらって、小遣い銭までもらうというのは流石に人聞きが悪すぎる……!
「でも、昴一郎さんはこの邸で働いていますし、教皇院から直接金銭を受け取っているのはわたしです。ならばわたしを通して、ということになるのは筋道上普通のことと思いますが」
「昴一郎、くレルというものはもラッておケ、アッてこまるものではないだろう」
びゃくやが、もはや茶化してまぜっ返すのも面倒、という口ぶりで横から投げやりに言う。
こいつめ……。
ぼくが羞恥と気まずさで体調を崩してしまったらどうするつもりだ……。
「まあ……傍から見てる分には面白いけどねぇ?」
居心地良さそうに、ゴスロリ衣装のままこたつに足を突っ込み、何があろうとここから動きたくない、という態度を隠そうともせずに一乗寺さよこさんがのたまい、
「……昴一郎の気持ち、わたしにはわかるよ?」
とたまこちゃんが妙に情感の篭った口調で言葉を挟む。
「……本当?たまこちゃんわかってくれる?」
「うん……!」
ありがとう!
たまこちゃん大好き!
「昴一郎は……くおんさんのことを、息子としてじゃなくて、男のひととして慕ってるんだよね……!」
「ぶふぉっ」
という、一乗寺さよこさんが飲みかけていた紅茶を噴き出す素っ頓狂な音が居間に響き渡った。
「……そういう重い雰囲気、出さないでくれる?」
わかってもらったところで何にもならないよ。
むしろ家族関係がさらに複雑骨折してひどいことになってるよ。
「あ、たまこちゃんにもあげますね」
「わーい、ありがとうございますくおんさん!」
というやりとりのもと、遅滞なくくおんさんからたまこちゃんへと手渡されるぽち袋。
そうだね、君は負い目なく受け取るよね。……君そういう子だし……
「……あたしには?」
「……何故あなたにお年玉をあげるのですか?もしかして欲しかったのですか?」
「まあ、別にいらないですけど?」
淡々と、端的に言葉を交わす晴れ着とゴスロリの綺麗どころふたり。
妙に緊張感が漂う。
あの、仲良くしましょうね?
背中に冷や汗を感じるぼくの袖を、くいくい、とたまこちゃんが引っ張り、
「これで、昴一郎も、受け取りやすいでしょ?」
と、耳打ちし、
「くおんさんの気持ち、わかってあげてね?」
と付け加える。
〈くおんさんの気持ち〉?
おかあさんとしてのロールがしたいってだけじゃなく?
……しばし考えて、
「くおんさん、それでは、これ以上固辞するのもかえって失礼ですので、受け取らせて頂きます」
と申し出る。
「そうですか」
嬉しそうにそういうと、くおんさんは再び、晴れ着の袖から伸びる、ぽち袋を持った指先を差し出した。
「……お年玉、と言いましたが、去年1年、昴一郎さんは邸の中のことを良く務めてくれましたから……その分の賞与、とでも思ってもらえれば……」
と、ここに来て少し気恥ずかしくなったのか、そう付け加えるくおんさん。
だが……よし!
くおんさんからその言葉を引き出した!
そう思いながら、受け取ったぽち袋を手元で開き、中を確認する。
……結構入ってる……
少額やおもちゃのお金であれば、あくまでそういう遊びですよという話にもできたのに……
ピンピンの新札がひい、ふう、み……
段階踏んで受け取っておいて良かった……!
「受け取っタ……」
「受け取りましたなぁ……」
「頑張って昴一郎……!」
できれば黙っててもらいたいギャラリーを視界の外に押し出して、
「くおんさん、これ、どう使ってもぼくの自由ですよね?」
「もちろんです、好きなことに使って下さい」
「では、これから少し出かけませんか?」
「……わたしと、ふたりで、ですか?」
「はい、一緒にお昼を食べて、それから、小物とか、くおんさんの好きな作家の新刊でも選んで……それで帰って来ましょう」
「それは……その……」
「働いて稼いだお金で、お母さんにプレゼントする。……おかしくはないと思いますが」
「息子からの……プレゼント……!」
「……ええやないの、行ってらっしゃいな、ここはあたしが見てますさかい」
あくまでこたつを出たくないらしい一乗寺さよこさんがそう告げる。
「この禁裏にすっとおるんも、息が詰まりますやろ?」
「まあ少しは……けど、こういうものと思ってます。わたしはここで生まれたので」
……ん?
……この禁裏で生まれた?
あれ? でもここは、確か……
ふと話が逸れそうになったが、改めて
「どうですか、くおんさん、もちろんくおんさんが嫌であれば……」
と返事を促せば
「……んっ……わかりました。一緒に、お出かけしましょう」
くおんさんはふにゃっ、と、普段の怜悧でお堅い表情を緩め、そう答えてくれた。
○
さて、教皇院の禁裏を出立して、紙人形さんの運転で繰り出して小一時間、県庁所在地って程ではないがそれに次ぐ、くらいの規模の最寄りの都市までやってくる。
「見て……あの子、すっごく綺麗!」
「子役とか、アイドルの研究生かな?」
「今サインとかもらえば後で価値でるかも!」
案の定、くおんさんがものすごく人目を集めていた。
元日ということで人通りは多いものの、イベント会場やお祭りと違って、落ち着いて行き交う人を目視できる程度とならば、こうもなろう。
くおんさんは、ものすっごい美少女、なのである。
いつものおとなしめなブラウスとプリーツスカートも美しいが、今身に付けてるこの晴れ着。
何を隠そう、暮れに、
「晴れ着を新調することになったのですが、どれがいいか一緒に選んでもらえませんか?」
と請われ、ぼくが数日かけて選んだものである。
くおんさんといえば白い装束のイメージが強いのだけど、新しい年を迎えるにあたり、新鮮な気持ちで過ごしてもらいたく、大人びてシックな装いでありつつ、華やかさも付け加えたい……と企図した結果がこの姿。
隣に立って、あるいているだけで誇らしい。
この女の子は、ぼくの主で、母で、「 」であるのだぞ!と胸を張りたいくらいの、この高貴さ、誉れ高さたるや。
「隣にいるの……メイドさん?」
「すごいお金持ちのお嬢様、ってこと?」
「あの人も綺麗……!」
「やっぱりああいうのって、見た目も重視されるんだな……!」
なんて声も聞こえて来たが、これはまあ無視する。
「昴一郎さん」
「なんでしょう?」
「……何故昴一郎さんは、メイド衣装のままなのでしょうか?」
「いや、結局戻る時にはこの格好にならないと入れてもらえませんし……」
……なお、御剣昴一郎は今もメイド服を着用しています。
最近すっかり、結構動きやすいし、エプロン付けてるから汚れにくいし、意外と理に適ったデザインだなあ……とこの服装にも慣れてしまった自分が怖い。
「いけませんでしたでしょうか?」
「いえ……事情で他に方法がないことではありますので……」
気を取り直して、まずは百貨店のレストラン街で昼ごはんを食べて、本屋で歌集やくおんさんの好きな作品を探して、それから、和装を扱うお店を眺める。
選びに選んだ装いなので、今の姿に付け加えるものはそれほどなさそうだが、本音を言えば今回のぼくの目的は……
「くおんさんに外出して、気晴らしをしてもらう」ことなのだから。
「どうですか、くおんさん、これなんていいのでは……?」
主に、懐にしまえるような扇子や手巾(ハンカチ)、あれこれ手に取っては見せてみるぼくに、くおんさんは心配そうに
「昴一郎さん……本当に、わたしのものを買うのでいいのですか?お年玉なのですから、好きな物を買ってもらっても……」
と尋ねる。
「はい、ぼくが稼いだ、ぼくがもらったお金ですから、くおんさんのために使いたいというのは、おかしなことではないと思いますので」
そう答えると、くおんさんは少し考えて、
「では、この襟巻きをいただきます」
と言って、店員さんが見せてくれた中のひとつ、真っ白な襟巻きを手に取った。
そこそこの値段だが、大丈夫、何とか昼食代と歌集を買った、お年玉の残りで手が届く値段だ。
「でも、これは……」
少し戸惑ってそう尋ねる。
だって、くおんさんが今身に付けてる晴れ着の上にも、ちゃんとファーのついた襟巻きが首元を温めている。
くおんさんが手にしたのは、それとほとんど差のないものに見えるのだが……
あえていうならこちらの方が普段使いできる、か……?
「はい、これにします」
「ええと……今してるのが気に入ってないとか?」
一応今くおんさんが付けている襟巻きも、ぼくが選んだ物であるのだけど……
「いいえ? これも昴一郎さんと選んだ物ですから」
そう言って穏やかに微笑むくおんさんに、納得いかない物を覚えながら、結局その襟巻きを買うことにして、会計を済ませて、店を出る。
くおんさんが選んだものであれば構わないが、なんだかよくわからない買い物をしてしまった……と思うぼくに、
「さて」
振り返ってそう言ったくおんさんは、
「昴一郎さん、少しこちらへ」
と、手招きする。
怪訝に思いながらも、それに従うぼくの目の前で、ファーのついた襟巻きを外すと、
「んっ……、少し、屈んでください」
そう言って、ぼくの首に、それを巻き付ける。
「くおんさん……?」
そうして、入れ替わりに、先ほどのお店でぼくが買った襟巻きを取り出し、しゅるりと自分の首に巻く。
「ふむ……どうですか昴一郎さん?」
「え……?ええと?」
「あたたかい、でしょう?」
「……勿論です」
さっきまでくおんさんが身に付けていたと言うだけで特別感がある上に、まだほんのりと、くおんさんの温もりが残っている。
「昴一郎さんの首筋が寒そうで、気になっていたんです」
と、くおんさん。
「……あの、もしかして、ぼくの首を温めるために?」
「この襟巻きが欲しかったのは本当ですよ?」
昴一郎さんがわたしに買ってくれるということなので、普段から身につけられるものがいいな、とそう思ったので。くおんさんはそう付け加える。
「まだ少し時間はありますし、……そうですね、次は……甘いものでも食べていきましょうか?」
ふふっと笑って、くおんさんはくるりと身を翻す。
その肩口から広がって風に揺らぐ襟巻きは、真っ白な翼のようにも見える。
「ねえ、くおんさん」
「何ですか、昴一郎さん」
「ふと思ったんです、……ぼくに急にお金を渡したら、こういう使い方をするって、くおんさんは想像してたんじゃないかな、って」
「さあ、どうでしょう」
何か、結局丸一日、くおんさんにうまく操縦された気がする。
けれど、まあ。
今年一年の初めの日の出来事としては、悪くはない一日だったと、……そう、ぼくは思うのだった。