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のんびり妄想してました。

次はどんなの書こうかと妄想中の卯月です。

書いていた小説は(一旦)完結させたので、「ヨム」が中心の週末。まあ、大半は寝てましたけど。いま、ちゃんと競技を観ることもなかったパラリンピックの閉会式を流しながら書いてます。

ちょっと思うことがあって。

黒電話(家電)からケータイ、スマホへ。手紙(郵便)も電子メール、SNS。通信関係もインターネットへ。そして扱われる情報量も高速で大容量に。パソコンだって起動の待ち時間もほぼ無くなって。

生活の中の待ち時間ってのが、ずいぶん減ったものだと。子どもの頃の電話(家電)なんて、時間帯の制約もあったし、電話先で誰が出るかもわかんないドキドキ感があった。手書きの手紙なんて書くことも無くなった。手書きで文章を書き上げないといけないこともない。深夜でもコンビニは開いてて翌日まで我慢しなきゃというのも減った。

でも、どういうわけか生活の中の時間が増えたようには感じない。ああ、ネット(スマホ)っすね。身の回りの情報量は一生かけても確認できないほどに多い。だから、検索サービスだとかニュースまとめサイトがあるんですね。動画投稿サイトもYouTube(ひとによりニコ動も)、TikTokなんかでみられるように動画も短いものが主流になってますかね。テレビCMとか数十秒の中に多くの情報をつめて印象的に伝えるといった技術が進んだ領域だとは思いますが、動画方面も似た感じに。

最近の音楽、邦楽・洋楽問わず、サビが早い。というか、早い段階でその曲のウリが放り込まれてる(曲自体の長さに変化はない、まあ長いのはあまりみなくなったけど)。

視聴者というか消費者の判断時間も短くなっているからですかね(ほんの数秒レベル)。なんともせわしいことで(他人事でなく卯月もそうなっているけど)……。

さて、小説なんかの文字情報を読むという行為は、音楽や映像のように始まれば受動的に消費が促されるようなものとは異なり、読み手の主体的な意識の継続性(我慢するチカラ)が相当必要なもの。それこそ夢中にさせてくれるような作品なら関係もないのでしょうけど、書籍になっている有名作品でも滅多にあるものではなく(作品自体の出来は昔も今も良いものの違いはたぶんない)、それは「読む」コチラ側の問題のような気がしている。

娯楽関係においては、すぐ分かる、すぐ面白いモノだけが生き残る(娯楽を楽しむのに我慢を強いられるものもなくはないけど)。娯楽だけじゃなくても。知らないことに対する一定の回答はほんの一瞬で得られる(それが本当に自分が欲しかった必要なものかは全く別のハナシではあるけど)。そういう環境に慣らされてしまった現代人への小説での娯楽提供のハードルは昔よりもかなり高くなっている(出版不況は人類の生活スタイルの変化で、かなり以前から予測されていたので驚くことでもないのだけど)。

話題性で売れる書籍というものもあるが、そこそこ売れたとしてみんな最後までちゃんと読めているのか? 卯月の机の上に乗っているガルシア・マルケスの単行本を見ながらそう思ったりもする(い、いちおう6割は読みましたよ。目を通しただけというのが正確だけど……)。

そう考えると、(実際には売れないけど)無料でたくさん読まれるライトノベル文体というのは、ある意味、文体の正しい進化のカタチであるともいえる。

最近はどうかは読んでいないので知らないけど、ネット普及以前の軽い文体といえば「赤川次郎」。同列に扱うのは失礼極まりなく、真似できそうでできない神の領域で似て非なるものなのだろうけど。卯月ははじめネット小説はその模倣だと思ってました(もちろん昔は異世界モノでも硬派な文体のものも多かった)。でも、そういったソースは見たことがないので違うのでしょう。

よく売れるし、万人受けする「村上春樹」(卯月は昔から読んでて好き、誤解のなきよう。なんやかんや言いながら本読みは彼の何かは読んでいたりする)。
いや、古いデータだけど。平成21年の村上春樹『1Q84』は、12年ぶりに国内作家の作品がベストセラー1位(その前は『失楽園』渡辺淳一)になった。平成25年も『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が1位。

とはいえ、村上春樹が名前を伏せて「なろう」さんや「カクヨム」さんに未知の新作を投稿した場合どうなるのか……。熱心な信者はそれでもとは言いそうだけど。彼が読んでもらうための営業動作を行うとも思えず、きっと大量の作品の海の底へ。いやいや、優秀な編集者が見つけ出して。まあ、ないでしょ。「なろう」向けに悪役令嬢モノを書くハルキさんも見てみたいけど、あの感じで書いてもネット民にはどうだろうか。文学なるものがそこまで偉大であるならばワンチャン。先にノーベル文学賞をとってるガルシアさんのほうは、翻訳のハンデがあるとしてもないかな……。

そんなことを思ったのは、ネット小説という世界における「お手本」ってどうしたらいいんだろって思ったことがあったもので。西尾維新はあれはあれですし。そこで有名なレーベルの大賞レベルをあさったりしましたけど、ネット文体ではなく賞に出す用のふつうの文体だったりする。文章なんて編集の手が入れば変わるものでしょうし、やっぱりアイデア・発想、構成力方面なのかと思ってみたり。

公募やコンテストではなく、投稿サイトでの拾い上げを狙っていくのなら、初めに書いたこの「堪え性のない」消費者様、読者様向けのひたすら飽きさせないものを書かないといけないようで(知名度がなければ尚更)、やはり長く険しい道のりだこと、と嘆息するのでありました(ランキング狙いは考えないことに)。

まあ、いいんだけど。ほんと、次はどんなの書こうかな?


えっと、ローレン・アキリーナの『King』、これはなかなか良いですよ。和訳もので貼っときます。
【和訳】King/Lauren aquilina
https://www.youtube.com/watch?v=ScECBql7C-o

では。


2件のコメント

  • 本当にそうだと思います。
    人の心が離れるのが早い→興味が移るのが早い→その為、話題を提供する側もスピードを要求される……

    次々と目まぐるしく動く状況に、ともすれば振り回されそうになります(笑)

    昭和の遺物と言われてもいい。
    我が道を行こう――

    とはいえ。人に読んでもらってこその小説ですもんね。

    難しいです。
  • sorarion914 さま

    共感いただけて嬉しいです。でも書いている卯月自身も興味が光速で移動しますけども……。まあ、そのときの好きなもの書いて、どこかのだれかの目に触れさえすればいいですかね(その評価もいろいろでいいし)。
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