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西田さんは難しい。

ひたすら読書に専念できる贅沢な時間を過ごすことができて、幸福感いっぱいの卯月です。

本を読むということについては、ひとそれぞれ目的や考えなんかがあることでしょうけど、卯月にとっては単に「快楽」のため。自分の狭い行動範囲、ありがちな経験、足りない脳みそでは見ることのできなかった世界へと入っていけること、これが読む理由でしょうか。もちろん、実用的な知識を得るために読むこともありますけど、まったく生きていく上で必要なさそうな「無駄な」にも思える内容に触れているときが、いちばん自由を感じます。

いま読んでいるものが、直接自分の創作に繋がらなくても良いわけで。

身を委ねていればどんどん読めてしまうものもあれば、何度も立ち止まって振り返らないと前に進めないものもある。そのどちらも「読みすすめたい」という欲求は同じなのですけど、不思議なことに同じ行動、思考を続けているとスタミナ切れというか、頭と身体なのかそれとも心なのか(欲求のはずなのに)、休憩が必要になる。若い頃は最後まで突き抜けていけた気もするのだけど、これは年齢からくるものなのか……。

で、休憩と称して何をするかと言えばまた「別のものを読ん」でたり。いやいや、これはビョーキです(自分のことながら、度し難い)。

卯月は(分かりもしないのに)よく「哲学」(心理学的なものも含む)に手を出します。ニーチェなんかは多くのひとが読まれるので、分からないと感じる部分もどこかの誰かがWEB上や書籍で書いてくれている。お陰でそれほど困ることもない。

ですけど、ラカンみたいなのは難解過ぎるし、情報が少ない。こういったのは寝かせておいて、たまに見返してみる。

あと日本のものでも興味あるものがあって、それが西田幾多郎。『善の研究』という名前はご存知かも。昔は一般向けに取り上げるものが少なかったように思うのですが(卯月が気づいてなかっただけかも)、最近は彼の名前をよく見る気がする(気のせいかも。いや、NHKの100分de名著に取り上げられてたし、世の中の関心はあるはず)。

善の研究 西田幾多郎 (青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/946_74853.html

注や解説つきの岩波版とかで読むほうがよいのでしょうけど。

知らない方は「純粋経験」という言葉だけでも押さえておくと、厨二的にカッコイイかも(使う場面は皆無でしょうけど)。

「純粋経験」とは、主観と客観が分化する以前の意識の統一状態。

「たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である」

たとえば私たちが音楽に聞き入っているときには、「主体」が「対象としての音楽」を把握しているのではなく、主客未分の純粋な経験がまず根源にあるといいます。そこからさまざまな判断や抽象化を経て、主/客の図式ができあがるのです。経験の根源である「純粋経験」に立ちもどらなければ、真理は見えてこないと西田はいいます。(名著92「善の研究」西田幾多郎 NHK より抜粋)

まあ、哲学でよくみる「実在」の問題です。「ある」というのはどういうことなのかを「純粋経験」という概念を通して書いています(たぶんね)。

すべては理解できなくても、偉大な先人の思考に触れることで、世の中のいろんなものによって狭くさせられてしまった現代人の視野も広がるのではないかと思います。わかりやすくて安い解説書みたいなものがみつかるまでは、原文相手ににらめっこしていたいと思います。


今日の深夜のお供はこれかな。夏には必ず一回は聴くし。

Anohana AMV ~ Secret Base 君がくれたもの
https://www.youtube.com/watch?v=4QDEWNg5hAM

ああ、泣ける。


では。

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