若い頃は「未来」というものは、夢や希望にみちた素敵なものだったような気がします。(うん。若いってのはそれだけで素晴らしいことですね)
それが、年齢を重ねていくと違ってくる。(そりゃ、残り時間が少なくなりゃ、テストとかどもそうだけど焦ってくる。いや、諦めに似た気持になるか……)
卯月はおおよそ8割は楽観的に、そして残りの2割ではかなりの現実主義者になったりして生きております。その2割は間違いなく若かりしころにハマった『ニーチェ』のせい。
ええ、あの「神は死んだ!」って叫んでるイメージの、強面のおじさまです。だいたい哲学なんてものにかぶれたヤツにロクなのはいねぇ(絶対ともだちにしちゃダメ、面倒くさいだけなので=卯月)。
ニーチェ患者は、まず「絶望」からスタートします。だいたいにおいて否定しやがりますからね。「神」も「未来」も「道徳」も。ひとさまが気分良くしあわせな気分にひたってるところを、そんなの意味ねぇんだよ! ってグーパンしてきますからね。
おかげで健全に、自分が縛られている(他人さまから押し付けられている)価値観から解放されるのですけど……。ザンネンなことにこうなるとまわりとの対話が困難になってくる。自分としては超絶楽しい感覚になっているのですけど、社会生活や職場環境において不適合者扱いされちゃうので、もとの8割卯月へ慌てて戻るのです。
ここまでナニ言ってるのか意味不明な文章がつづきますけど、まあ(いつも通り)寝不足気味のヤツの戯言なのでよいでしょう。
ニーチェは実存哲学の人です(実存って言葉は日本では九鬼周造って人が、現実的存在を短縮してつくったとか)。
だから、存在しない過去や未来の中で生きることを否定しますし、頭の中の言葉の世界でほうっと生きることも否定します(モノが書けねえじゃねえか! でも執筆のような芸術活動はニーチェは強く押してマス)。他人からのこれはいいよっていう非現実なものを信じて生きることもダメ。
現実に存在するいま、(現実に存在する)世界と自分を自分の意志でよいものだと肯定して生きろっていいます。(無限に同じことが繰り返されるっていう例の『永劫回帰』の中でですけど……)
そんな卯月はさっきまで「ツァラトゥストラ」を読んでた(何度目かの再読)のですけどね。これ書き終えたら続きを読んで、ニーチェ成分を補給したら、再びただのアニメおたく的な8割卯月に戻る予定です(いつまでたっても末人から超人には近づけない。でも心のバランスはおかげでうまくとれてマス)。
ああ、なんかもうこんな世の中嫌だ! って思うようなことがあったら、ニーチェをのぞいてみるいいタイミングです。まず絶望しますけど、不思議と死にたくはなりません(だってニーチェはそんな安易な死すら意味がないと否定しやがりますからね)。哲学は難しいけど、いかが?
※ただの個人的な見解です。読む本などによりひとによって解釈が異なってしまうことは、卯月の知るところではございませんのであしからず。
では。