「一寸先は闇じゃのう」
子どもが蛍を虫籠いっぱいに獲って、翌日には死骸となったそれを捨てるのを見て老婆だったかが呟く場面。
これ何の話のだったっけか? エッセイか小説かも思い出せずに記憶を必死にたどっている卯月です。
蛍のシーズンって地域によって違うのでしょうけど、たぶんそろそろかな? 「蛍二十日に蝉三日」っていいますけど、夏のセミはいつでも見られますが、蛍っていつの間にか時期が終わってたりします。
何年か前にたまたま近所の用水路(川でなく)に蛍が大量発生しているのを見て感動した覚えがあります。環境保護や何かで水質が改善されたり、いなくなってしまった蛍を復活させようという地域活動のようなものの成果なのでしょう。卯月が小学生以来、久しぶりにみた景色でした。
「蛍狩り」という言葉は、「蛍を追い捕らえたり眺めたりすること」ですけど、現在では「紅葉狩り」と同じ様に蛍の幻想的な光を楽しむという意味で使われるようです。
子どもの頃のノリで蛍を乱獲するなんてしたら、場所によっては「条例」で罰せられるらしい。虫かごいっぱいに集めた蛍での「リアル蛍の光」はもうできないようで……、いやもうしませんよ。でも電気を消した部屋の中でとても怪しげに明滅する美しい光でした(「思い出補正」が強めかも)。
ちなみに「蛍」という言葉が登場するのは平安以降。奈良時代には『日本書紀』に、『万葉集』では挽歌において「蛍なす」の枕詞としてでてくる程度らしい。
『枕草子』の「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる」は有名すぎますね。『源氏物語』の二十五帖が「蛍」(玉鬘十帖の第四巻)。夕闇に覆われていた室内にたくさんの蛍を放ち、ぱっと光り明るくなる様子は名場面。異母弟の蛍宮とヒロイン玉鬘をとりもつための光源氏の演出でしたかね。他にも蛍のシーンは多いです。
蛍も桜と同様にその寿命の短さ、放つ光の儚さが日本人の心を掴むのでしょうね。
いえ、だからといって短歌・俳句コンテストには参加するつもりではないです。ただ今日は蛍のことが気になっただけですから……。
とりあえず今日は思いつきで書いた近況ノートでした。
では。