卯月は平日、夜勤から帰るとすぐにカクヨムを確認(書ける気力のあるときはここで近況ノートをちゃちゃっと書く)。そんで睡眠。寝起きはいいほうなので再びカクヨムに目を通し、夕方から今は趣味に近くなっているオンライン指導(中高生のお勉強ね科目はいろいろ)。で、出勤まで余裕があるときはカクヨムとか執筆とか。
でもって、朝書けなかった近況ノートを書いています(ああ、時間が欲しい)。ちょっとまえの算数ネタとか書きましたけど、中高生のちびっ子に教えるのは数学とかが楽ですね(たいして準備いらんし)。その逆に面倒なのが現代文の文章読解(古文のほうが楽しいんだけど)。
何が面倒って……。もちろん卯月は文章を読むのが好きですからそれは別に。解説するのが大変。そもそもいわゆる「ふつう」の中高生の「読み」がふつうでない。例のコロナ禍のせいなのかは不明ですが、一層読解力がやばめ(有名私立の中高一貫勢はさほどそんなことはなさげではあるけれど)。公立勢でそこそこの学力層の読解がそこそこにもなく……。まあ、昔から(本業の頃から)似たようなことはボヤいてましたけど。
こういうのは実際に目の前で音読させたり、どうしてその解答になるのかを説明させるとよく分かる。
一般使いする漢字が読めないとかはまあよくある。あと、書かれている言葉をなぜか自分の都合の良い言葉に変換して読みやがる。助詞なんてほんとテキトーに。命削って書いた作者さまに申し訳ないと思わんのか!(思うはずもなく……)
大学入試や高校入試で取り上げられる有名な方たちの「読みやすい」文章だというのに。
創作の勉強としてよく観る初枝センセイの動画とかで、彼のよく言う(ウェブ小説において)「読者は地の文すっとばして会話文しか読んでない説」。ほんとこれリアルだろうなと思うことも多い。(たぶん物語を正確には把握していない)
もちろん無料の時間つぶしなのでしょうから、好きに読んで楽しんだら良いとは思う。でも、キッズたちには「ふつうに小説を読める基礎体力」は持って欲しいなと希望するしだいです。
最近、カクヨムに引っ越されてきた「魔法のiらんど」。投稿されている内容はまあキッズ向けではないのでしょうけど、あれくらいの一話の文章量で短文による構成は文章を読む練習にはよさそうだとも思ったり。卯月は『恋空』くらいしかちゃんと読んでいませんけどね。
ネット小説、まあ「なろう系」ですけども、会話文主体のキャラクター小説(?)のいまどきに寄せて書くべきなのでしょうけど。卯月の最近はどうもそこから遠くなりつつ。会話系なのはそうなのですけど、あえて地の文をずらっと並べてみたり。
読者さまのストレス軽減、気持ちよく消費していただく精神は、どんなサービス業にも必要なことだとは思います。ああ、ネット小説の「モノ書き」はサービス業です。ええ、上から目線のブンガクとは異なります。売れるために必要なことは的なことは、いろんなコンテストの講評なんかを読んでいても読み取ることができます。「読者さまファースト」でつ。
そんなことは重々承知しながらも、なんだか淋しく感じるので、まだしばらくは好きに書いていようかなんて思います。
ちょっと愚痴が……。
いや、こんなのを書く予定ではなかった。
Japaaanさんの記事(ココ、日本の歴史モノの面白いネタがあります)
【なんと「万葉集」にかけ算の”九九”が!奈良時代の人々は算数・数学をどれほど使いこなしていたのか】
https://mag.japaaan.com/archives/233219タイトルにあるように算数・数学ネタです(くわしくは記事を)。
奈良時代の学校では「算生」と呼ばれた学生さんたちが渡来の数学を学んでいました。レベル的には現代の中学数学レベルにはあったようです。
で、当時の庶民は? というのが書きたかったこと。
なんと奈良時代の庶民さん、「九九」のできる人たちが多数存在していたようで。
当時の九九は「九九、八十一」からスタートして「一一の一」で終わる。逆方向だったり。
その「九九」が浸透していたことは、あの「万葉集」にも登場します(これは聞いたことがあった)。
「八十一」と書いて「くく」と読ませたり、「十六」と書いて「しし」と読ませる歌もある。
「三五月」。これ分かりますよね、「三五、十五」。陰暦十五日の月は望月(満月)ですね。
奈良時代も現代人も日常生活のレベルでは大差がなかったというオハナシ。識字とか文章読解とかはどうだったんでしょうかね?
本日の曲はこれ。
なぜ卯月はこんな名曲に気づいていなかったのだろうか。ボカロ曲っす。興味あれば。
キドアイラク / Task
https://www.youtube.com/watch?v=V3k3POAmjGUでは。