夏のグルメ短編第二弾「おにぎり」をお読みくださった皆様、並びに応援、感想や星をくださった皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。とても励みになっております。
さて、本作「おにぎり」ですが実は私の体験談なんです。もちろん創作として少しだけふくらませてありますが、ほとんどがあの頃を思い出しながら書いたお話です。
時は1990年、日本はバブルの末期でまだまだ景気がよい時代でした。建築現場では東京都庁建設による職人の大量動員の余波を受けて人手不足と単価高騰が顕著だったのを記憶しています。
景気がよい日本で稼ごうと多くの外国人労働者がやってきましたが、そこで目立ったのがイラン人でした。そんなご時世のこと、私にも4人のイラン人が付いていっしょに仕事をしていました。
まだ見習いレベルだった私が配属されたのはかなり郊外の工事現場でした。そこには多くの外国人労働者がおり、私のところのイラン人の他には本編にも登場したパキスタン人、あとは中国人、マレー人、アフリカのどこかの国の人(身長が2m以上あったなぁ……)、それに国籍はわからないけどロシア語を話す人なんかもいました。
一方、職人の親方連中も、その何人かはオイルショックで仕事がなかった頃に政府ODA関連の事業でミクロネシアで作業していた、なんて人もいて、そんな彼らは英語を話せます。なので、なにげに英語が公用語のようになっていた現場でした。
私の英語はブロークン以前の稚拙なものでしたが、それでも複数言語のチャンポンで意思疎通ができたりして、そのときですね、ああ、言語の習得ってのはとにかく度胸で話すことなんだな、なんて実感したのは。
上記のように多国籍な現場でしたがイスラム教の率が高かったですね。実はマレーシアがイスラム教徒が多いと知ったのはそこのマレー人に教わったのでした。
そんな彼らは豚肉がご法度です。なので、連中のほとんどが弁当持参でした。
みな多彩でしたね。ベースはご飯です、日本ですから。おかずは鶏肉が多かったと思います。
ヨーグルトに漬け込んだ鶏を網焼きしたのとか、もちろん辛い味付けのもありました。それに野菜は自分で漬けたピクルスです。とにかくおいしかったなぁ、彼らの料理。
そしてある日、現場で仲良くなったパキスタン人からお昼に誘われます。それが本作「おにぎり」の元となった体験だったんです。
それまでの私は辛いものと言えば焼肉店のユッケジャンくらいで、あとは家庭用カレーの辛口くらいなもので、青唐辛子のあの刺激はカルチャーショックでした。
どんな辛さかと言えば、そうですねぇ……ししとうの中にたまにえらく辛いのがまぎれこんでるじゃないですが、あれの何倍かの刺激です。ほんとに目の前に星が飛びました、初めて食べたときは。
本編でも登場した「シャープ」という表現、まさに突き刺さるような刺激は蒸し暑さに負けそうな身体にいい刺激になりますね。
ほぼ6ヶ月間、毎日通った現場も工事が終わり、そこで知り合った人たちとはそれっきりになってしまいましたが、みなさん元気でやってることと思います。
ところで、私とともに働いていた4人のイラン人ですが、もちろん私は彼らの住まいにお邪魔して彼らの食事をごちそうになったこともあります。
さてそのお話ですが、それはまたの機会に公開することにしましょう。
乱筆乱文弥栄!