本編そのものは、まだ最終章がまるまる残っておりますが(挨拶
いつも拙作にお付き合いをいただき、ありがとうございます。
カーテンコールはもう少し続きますが、残りは「次」に向けた序章みたいなアレなので、長々続いた「ナナリィ編」は149話をもって終了でした。
ナナリィの物語が幕を閉じ
シルヴィアの物語がひとまず幕を下ろし
セリアの物語が幕を引いて
かくて、人形歌劇はおしまいです。
長いお話にここまでのおつきあいをいただいた皆様には、あらためてのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました(挨拶
そして、今の時点でなんか行方をくらましてる感じのやつがいますが、カーテンコールの残りはそっち方面の話です。
いろいろ長い話だったこともあり、思い入れはたっぷりです。
基本、自分の話に思い入れるタイプのめんどくさい物書きなので、こう…なんか、いちいち語りが長いです。すみません。はい。
閑話休題。
75話に渡って――初登場から数えるともっと長く――好き勝手やってきたナナリィでしたが、彼女自身の目的とするところを鑑みると、メイルザーティでウォルフを逃した時点で、というよりそれに先立つ一連の破壊をやってしまった時点で、彼女は完全に「詰み」でした。
コメントいただいた中でそうした形の言及をくださっていた方がいらっしゃいましたが、ナナリィの望みにもっとも近しいところへ至れる選択肢って、「連れ戻す」という選択肢をぺいっと放り出してウォルフについてっちゃうことだったんだろうなと思います。
背景を踏まえるとそれはそれで別の問題に火がつきかねないというか、まず彼女を取り巻く状況が許さなかったんじゃねえかなぁというのはあるにせよ、ウォルフ自身はナナリィを一緒に連れていく気まんまんでしたし、たとえ『逃がし屋』の差配で逃亡中は別行動になったとしても、『逃がし』先まで我慢して合流だけしてしまえば、そこから先はもう邪魔するやつもいなくなる訳で。
ナナリィが進んでばらすのでもない限りウォルフは事の真相を正しく知りようもなく、であれば、またしても何も知らないウォルフ・ハーケインはナナリィのことをきちんとたいせつにしてくれたでしょう。たぶん。
ただ、ナナリィはウォルフが一番大切だけど「今のウォルフ自身」は、彼が何を想い何を考えているかは最後の最後までろくすっぽ見ていなかったし、それ以上に、彼女にとっての「愚かな小娘」にまつわるものを、ウォルフに棄てさせたかったんじゃないかなー…というのがですね。あるので。
書いた側としては、これはやはり、どのみち「詰み」だったろうなぁという気がしています。実際どうなんでしょうね。どう思われますか?
他方、セリアも、とうの昔に「詰み」だったキャラでした。
過去回想という形で言及した、メルビルでのランバルドにまつわる一件の時点で。冒険者としてと、いうより人として――心ならずも、やむなく、の部分はあったにせよ――「外道」の側についた時点でセリアは詰んでいて、それ以降はもう、流されるまま促されるままの惰性です。
結果としてそれなりに幸せだったこともあったし、当のランバルドからはその一件を赦された形ではありましたが、それでも「詰み」は「詰み」でした。
ナナリィとの実質的な「対決」の場に立ちその趨勢を決したのが、ウォルフではなくセリアの方だったのは、そういった理由でした。
ウォルフをあの場に立たせると対決が渋滞を起こして面倒とか、後で逃がすのがさらに面倒とか、そういう切羽詰まった理由もないではなかったのですけれど。
あれはセリアの「清算」です。
冒険者としての。ないしは、ランバルドに対しての。
で。
この二人共々対決の場にあり、またこうした場で並べて言及されるシルヴィアに関しては、いろいろお察しくださいという類のアレです。
本編の範疇では何となくいい感じで落着したみたいにおさまりましたけれど、レフテオールはこの二年後くらいに滅亡するので。
ガルク・トゥバスと戦争して、滅ぼされるので。
それを踏まえて、お察しください。
事あるごとにシルヴィアがナナリィとバチバチしていたの、作劇としてはそうした理由でした。
望むと望まざるとにかかわらず、また自覚のあるなしによらず、ナナリィと同じ道をゆっくりと辿っているのがシルヴィアで、ナナリィの最期はウォルフによる彼女への引導であるのと同時に、これからシルヴィアの身に起こりうる終わりのひとつであった、ということでした。
勝利者などいない、戦いに疲れ果て以下略
ともあれ、そんな塩梅で。
繰人形の糸が切れたら、人形歌劇はおしまい。
でした。