• 現代ドラマ

現代格闘技作品「スーパイ・サーキット」イントロダクション

 全ての始まりは総合格闘技ファンの知人から向けられた些細な一言でした。

「格闘技を学ぶことに何の意味があるのか。人を傷付けるだけの技術じゃないか」

 そのような趣旨の発言にとてつもない衝撃を受けたことが想い出されます。
 ファンを称するだけあり、知人は格闘技に対してアンチの立場を取っているわけではありません。
 試合そのものは心の底から楽しんで観戦しておりますし、選手たちにも詳しく、何よりリスペクトを忘れません。
 それでも、格闘技そのものには危険なイメージを拭い取れないというのです。
 「自分の子どもには乱暴者になって欲しくない。だから、格闘技も学ばせない」とも件の知人は続けます。
 格闘技と暴力が同一視されてしまうことに哀しい思いも湧き起こりましたが、それと同時に「なるほど、そういう考え方ができなくもないか」と納得してしまったのも事実。
 格闘技や武道(武術)とは技だけでなく身も心も鍛えるのですが、弱い者いじめなど誤った力の使い方をすれば凶器以外の何物でもありませんし、我が子にはそんな風に育って欲しくないと願うのも当たり前の親心でしょう。

「格闘技とは人を傷付けるだけの暴力なのか」
「格闘技に取り組む意味とは何か」

 知人の言葉は、やがて僕の中で取り組むべきテーマになりました。
 格闘技を愛するひとりの人間として、知人の問いかけに明確な答えを出さなくてはいけない。
 そのように考えた瞬間から新しい物語が走り始めた次第であります。
 これは『現代格闘技』を題材にした物語です。
 『現代(いま)』を生きる格闘家たちの姿を切り取った物語です。
 大晦日のテレビ局がこぞって大会を開催するような爆発的ブームも今は昔、プロ選手であっても格闘技では生計が立てづらくなり、例え世界最強の座を巡る果し合いであろうともストリートファイトで片方が命を落とした場合、問答無用で逮捕され、法律によって裁かれてしまう『現代』を舞台にしています。
 著しく窮屈になった時代でありながら、それでも格闘家であることを選び続ける人々がリングの内外で繰り広げる『現代(リアル)』な群像劇を通じて、「格闘技を学ぶことに何の意味があるのか。人を傷付けるだけの暴力ではないのか」という途方もないテーマへ真っ向勝負を挑みます。
(企画書より抜粋)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884734267

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