「スーパイ・サーキット」2020年後半は4ヶ月に亘って東日本大震災編を描き、12月5日に全6回完結を迎えることができました。ひとえに支えてくださる皆様のお陰でございます。本当にありがとうございました
取材など準備に1年以上を費やし、執筆は2020年2月から取り掛かりました。その直後に新型コロナ禍が発生したのですが、どうにもならない不安が生み出してしまう風評被害や買い占め騒動、不謹慎狩りなど2011年と現在の状況が余りにも重なってしまい、何を書かねばならないか、何を書いてはならないか、最後の一行まで悩み抜きました。
震災翌日から大きな地震に見舞われはしましたが、僕自身は東北の現地で被災したわけではありません。それ故に東日本大震災を題材にする資格があるのかどうか、数え切れないほど自問し続けました。十割の本音を申し上げますと、今でも結論は出ていません。
2021年で発生から10年となりますが、当時の記憶は未だに生々しく残っています。
当初、東日本大震災を描く予定はなく、数年前に書き上げた初稿は言うに及ばず、プロットにも当該の記述はありません。
しかし、初稿を書き進める中、「主人公の所属団体の旗揚げに関わる出来事は作品全体のバックボーンであり、未曽有の大災害とこれによる影響を省くわけにはいかない」と考えるに至り、僕自身の物書き人生を懸ける覚悟を固めてストーリー構成に東日本大震災編を加えた次第でございます。
格闘技は東日本大震災と如何にして向き合ったのか。選手個人だけでなく、競技団体の対応を一つ一つ調べることから全てが始まりました。競技の垣根を超えた協力体制と、そこから発展した復興支援プロジェクトは勿論のこと、避難所にとって大きな課題であった健康維持の方策(作中に於ける青空道場もその一つ)など徐々にリサーチの範囲を拡げていきました。
間もなく首都圏から東北へ遠征していたプロレス団体が現地で被災した事実に辿り着き、日本のプロレス史をサイドストーリーとして据えることを思い付きました。
「プロレスの父」と謳われる力道山が復興半ばの戦後日本を元気付けたという事実は、街頭テレビに詰め寄せる人々の写真が示している通り。そして、それは長い歳月を超えて現代のプロレスラーにも受け継がれています。先に述べましたプロレス団体の皆さんは東京に戻った後、それぞれの持ち場で復興支援に力を尽くされました。
力道山の時代から日本の「復興史」に寄り添い続けてきたプロレスを通じて、「格闘技と復興支援」という全体の方向性が見えてきました。勿論、阪神淡路大震災発生直後にジャイアント馬場さんが実行した支援活動も参考にさせて頂いております。
日本人初のプロレスラーであるソラキチ・マツダと、明治時代に日本で初めてプロレス興行を開催したコラキチ・ハマダによる黎明期の挑戦については明治時代・松方正義の財政政策が「庶民」に与えた影響が一つのきっかけになったのではないかという推測を交えて描いております。先行きの見えない不安な時代のド真ん中で大きな夢を掲げる若者の衝動は現代にも通じますよね。
実は力道山よりもデビューが早かった「プロレスの母」こと猪狩定子さんの事跡も取り上げ、プロレスを愛するファンの皆様から大きな反響を賜りました。
最も反響が大きかったのはヒールレスラーの歴史。かつてカミソリレターとも呼ばれた理不尽な誹謗中傷はSNSが生活の一部となった現代では誰もが当事者となり得る身近な問題であり、震災直後に発生した不謹慎狩りとも根っこは大きく変わるものではないよう感じています。
執筆の最中には「現代のカミソリレター」によって余りにも悲しい事件が起きてしまい、これを想起させる可能性がある箇所をカットすべきではないかと公開直前まで迷いましたが、同じ悲劇を二度と繰り返させない為にも現行のままで掲載しようと覚悟を決めた次第です。
格闘技・武道が復興支援へどのように取り組んだのか。これを感情的にならず努めて冷静に伝えることを幾度も己に言い聞かせました。
取材を通じて知ったことですが、自警団を結成して被災地の治安維持を引き受けようという声もあったそうです。これは格闘技が持つ負の側面そのものですが、正当化せず直視し続けることが「現代格闘技」を称する本作の役割であろう、と。
東北の地方(社会人)プロレスは遠征先で被災地の現実を伝える役割も担ったと伺いました。これは〝被災地〟に於ける復興イベントの意義とも重なるよう僕には感じられ、第一次世界大戦の傷痕も生々しい戦災地・ベルギーで開催された1920年アントワープオリンピックとオーバーラップさせる形でストーリーを組み立てました。
戦争の悲惨さを世界中に伝えたアントワープオリンピックは平和と復興のシンボルであったと捉えることもできます。
そして、東日本大震災編の主な舞台は岩手県陸前高田市。同地を調べる最中、江戸時代に発生した「天保の大飢饉」で多くの命を救った新沼三太夫という郷土の偉人に辿り着きました。
市内に設置された「万人施宿塔」という大きな石碑は、自らの蔵を開いて食料を提供し、病で苦しむ人には薬も用意したという新沼三太夫の功績を現代まで語り継ぐもの。
戦後復興を元気付けた力道山と、天保の大飢饉で一万人もの命を救った新沼三太夫。生まれ育った時代すら異なる両者には接点などあるはずもありませんが、それぞれの立場から傷付いた人々の救済を担ったということに変わりはありません。
東日本大震災編は「復興支援」というキーワードのもと、二人の果たした役割を交錯させることが最終的なテーマとなりました。
先述の通り、東日本大震災編は結果的に新型コロナ禍の現状に重なる内容となり、その手触りはこれまでになく生々しい。
運営の在り方を左右する決断や模索など現在の格闘技・スポーツ団体が直面する課題も含んでおります。
〝被害の拡大〟が予想される中ではあるものの、選手・スタッフの生活の為にも経済活動を止めるわけにはいかない。しかしながら、本当に安全を確保した上で試合を実施することなど可能なのか――2011年3月の出来事を紐解いた先には10年後の我々に対する問い掛けがありました。
外国人の総合格闘家が逸早くチャリティーオークションに動いてくれたのも実際の出来事。これらを通し、「スーパイ・サーキット」の格闘技界も一致団結して東北復興支援プロジェクトへ取り組み始めますが、純粋な気持ちで集まったはずなのに主導権争いといったパワーゲームの舞台と化してしまうのは人間の業(ごう)。このような部分こそ避けて通るわけにはいきませんでした。
格闘技とは何か。「スーパイ・サーキット」という作品に通底するテーマを今までとは異なる視点から考える時間になったと思います。
あのとき、国内外の格闘家や武道家が何を考え、どのように行動したのか。これをほんの少しでもお伝えすることができたなら、筆を執った意味がございます。
東日本大震災編→
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884734267/episodes/1177354054918601918