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五月十四日の備忘録

お疲れさまです。
吉野諦一です。

はじめに、この文章は極々個人的な観点によるものであることをご留意ください。

僕は陰口が嫌いです。
その人のいないところで誹謗中傷するのは卑怯だと感じますし、どうせ言うなら面と向かって言えよと思います。
もっと言うなら、人を謗るような発言をする人のことは信用できません。
もし自分が似たような中傷を受けたら……という想像すらできない人に信頼をおくのは難しいと考えるからです。

僕は、この考えが多くの人に納得されると信じています。

そこが今日の話の種。
僕の「陰口が嫌い」であるという主張が、仮に全ての人類に肯定されるものだったとします。
そうなれば誰からも嫌われる陰口という行為はこの世界から淘汰されるべきです。
陰口は世界中で禁止され、もし犯したなら厳罰に処されるでしょう。
ですが、現実にはそうならないことを我々は知っています。

全世界という規模を教室に置き換えてみます。
ホームルームで「陰口はやめよう」という取り決めをするとします。話し合いは円滑に進み、満場一致で取り決めた案が通ります。
けれど、その話し合いの中で誰が「陰口をやめたくない」「やめるなんておかしい」だなんて言えるのでしょう。
健全な道徳観にもとって悪と認定されれば、陰口は禁止されるはずなのです。

なのにどうして、世の中では陰口が囁かれ続けるのでしょう。
なくなってほしい、なくなるべきはずのものが、なくならない。
それは陰口が、気持ちの良いものだからです。
気分的に面白い行いだからです。

あくまで陰口を嫌うのは陰口を言われる側、陰口を言わない側です。
陰口を言う人は、自分が陰口を言われる側になる可能性を想定できません。
実際にその矛先になれば、怒り狂うのでしょうが。



どろどろと主観的な意見ばかり垂れ流してしまいました。

端的に言うと、道徳的に悪い行為が社会からなくならないのはどうしてだろうと考えたかったのです。
たぶん、世界を救うためには避けて通れないことだと思うので。

ゆえに想像力だけは、常に磨き続けておきたいものです。

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