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四月二十日の備忘録

お疲れさまです。
吉野諦一です。

持病の頭痛がつらい。
だいたい二、三か月に一度大きな波が来るんですが、昨日はそのピークで四六時中締めつけるような痛みが来てました。
仕事中もかなりきつかったです。痛み止めも二時間しか保たないし。

この頭痛から発想して書いた作品が『金木犀を忘れない』です。
ざっくり冒頭の説明をすると、主人公が頭痛を患い、それをきっかけに痛みを集める業者「採集屋」の仕事に関わっていくというお話でした。
伝えたいことは作品の中に詰め込んだのですが、まあなんというか、痛みについて語れる言葉って実は少ないんですよね。
外面の傷は見ればわかるんです。規模や深さから痛みの強さを想像することもできる。この想像というのがミソで、想像した時点でそれは当人の痛みとは全く別物になってしまう。
対して内面的な、精神的な痛みというのは想像が難しい。そのうえで前述のように当人の痛みと別物の痛みを想像する。確かなものは何一つないわけです。
精神医療が進んだ現代では類例を引き合いに出すことができますから、まったく想像できないというわけではありませんけれど。
感覚的なものを語るのは主観と客観が混じってしまうので、なかなか言葉で表せない場面が多くてむずむずします。

ところで僕が今感じている頭痛も、似たような症状を経験した人から見れば「ああ、それ痛いよね、わかるよ」と声を掛けられる程度のものです。
そしてそれは、限りなく事実に近い想像なのだと思います。
でも僕は、(相手が同じ症状を経験していたとしても)この痛みはあなたの想像する痛みとは違うと心根で信じている人間です。
そういう態度が自身の孤独を深めているとわかっていても、それでもこの痛みを自分だけのものにしようとしている。
本当に、痛々しい奴です。

もしこの駄文に共感した方がいましたら、先に断っておきます。
あなたの想像するそれは、僕のそれとは似ているようで違いますので。



――香ばしい文章に仕上がってしまいました。
客観視できないって怖い。

それでは。

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