そう?
そうです?
そうですか?
そうですかね?
そうすかね?
そうっすかね?
そうよね?
そうだよね?
それな!
などなど・・・・。
ってことで、「そう」と肯定したり、訊き返すのにもいろいろな表現とかがある。
その中で、キャラに合わせて言う事を選択する。
そういう作業は無意識下で行われ、なぜか、このフレーズしかダメって感じで文字を打ち込む。
神が書かせているのだろうか?
とか、ちょっと思う事もあるけど、大抵は違うね。
それは、読書量による自分のボキャブラリーと、自分の創造力に裏打ちされた、自分の脳が作業しているようだ。
なにが言いたいのかと言うと、多くは自分が読み、聞き、話すという事の事象の積み重ねによる記憶が触媒となり、それに自分が今までに経験したこと(脳内経験も含めて)、考えたこと、心に訴えたことがあるモノ、何気に見て感じて想ったことなどなどの記憶が相乗的に化学反応を起こして、物語は作られるのかもってことなんです。
え~~、はい、わかんないよね。
端的に言うと、自分の経験が反映されちゃうんですよ、書いたモノにはってことです。
全くの無から有は生じないものなのですよ。
そして、全くの無から生み出すってのは、誰にもできないんですよ。
全てに原因があるモノなんです。
今、書いてるこの文字・・別に、全てを平仮名でも良いし、片仮名でもいいし、できるだけ漢字で埋めることをしてもいいし、でも、このひとは、こう書くってね。
その個性も、実は自分の経験から生まれてる、こうしたい、こう書きたい、こんな場面を使いたいなどなどね。
だから、いっぱい、経験して、いっぱい本を読んで、いっぱいアニメ見て、映画見て、感じて、そんな事ができるって、しあわせじゃない?
だって、自分が豊かになってくるんだよ。
そんな事を考えてた・・・ある、面白くもないのに、高評価が並ぶ小説を読んで・・・・。
でわでわ、また!