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自分が書いた物を読むということ

近頃明らかに執筆意欲が落ちているのだが、
『エウメネス』は一応の完結までまだかなりあるし、
『日本外史』はやりっぱなしだし、
ドイツ語の翻訳でほったらかしてるのが一つ二つあるし、
出版社から出るとも出ないともいえないのが二つほどあるし、
『伊勢物語』だってまだだいぶ手直しが残ってる。
『茶釦』も途中だし。
『極楽寺殿御消息』もそうか。

『エウメネス』はたぶん完結させるだろうが、『日本外史』は完成する前に死ぬか、その前に他にやりたいことができるか、そもそもやる気を無くすかするに違いない。
ていうか、本気でやれば『日本外史』は1年ないし2年で終わる計算なのだが、そういう気持ちになれない。

たぶん私は子供の頃からずっと小説のようなものを書きたいという潜在的な気持ちはあったのだが、書き方がわからなかった。でも40過ぎて急に、書き方というか、書く面白さを見付けて、それで書けるようになった(少なくともそう自覚した)。ていうか自分で書いたものを自分が読んで面白ければ書くだろうが、私の場合、自分で書くよりも人の書いた物を読むほうが面白かったから書かなかったのだが、ある時から自分で書いたもののほうが人の書いたものより(少なくとも自分にとっては)面白く感じるようになったから、書くようになった。
でもそれから10年が経とうとして、どうやら、書くことに飽きてきたように思う。私の場合すべてにおいていえることだが10年も同じことを、しかも懸命に続けていると、突然飽きて、全然違うことをやりたくなる。
おそらく私はどうやら、自分が書いた物を読むことにも飽きてきたらしい。

絵を描いたり、歌を詠んだり、プログラミングしたりすることは、割と若い頃から、自分でやるのが好きだったが、小説を書くのはそうはならなかった。
やはり小説を書くのは難しいのだと思う。コツというよりは、何かの蓄積が必要なのだと思う。

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