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高瀬舟を思い出す

私が物語脳だと言われたらそれまでの話なのですが。

救急車→緊急入院→即ご臨終

になると本人も思っていたみたいで。
ここまでもつのは、本人としても複雑な心境らしい。

なにしろ、食べられないし動けない。
もちろんなにかを書いたりも出来ないし、スマホを見ることも、誰かと話したりもできない。
(コロナが流行中のため面会時間が限られているから。コロナが落ち着けばもっと話せるとは思う)

過剰な延命処置はしないでほしいと言われていたので、それは最初から断っていたものの、病院側としては当然、最低限でも息が苦しくないような処置をしてくれる。

救急車を呼んだことで、息をしてベッドに横たわるだけの状態を長引かせてしまったのかもしれない。

もしかしたら、こうならないように、本人は苦しいのをわざと言わずに我慢し続けていて、そのまま家で死にたかったんじゃないか。
私がなにもしなければ苦しみを長引かせることも無かったんじゃないか。

私がしたことは余計なことだったかもしれない、と後悔の念が。

せめて本人が伝えたいことをちゃんと聞き取れたらいいのに。
もう本人はスマホなどの操作もできないし、声を録音するにはそばの機械音が大きくて難しい。

限られた時間に聞き取ってはいるものの、そもそも話すのもしんどい状態なので、不明瞭な部分がある。

小説かドキュメンタリーでは、視線で文字を選んで会話できる機械が出てくる。そういうのが手に入らないか調べるものの、検索ワードが違うのか引っかからない。

それじゃなくてもいいから、なんとか意志の疎通をもっとスムースにできないものか。
原始的に、五十音表をもっていって、選んでもらえばいいのか。

もし自分がなにも言葉を綴れなくなったらと思うと、怖くてたまらない。
意識がはっきりしているうちに、どうにかしたい。

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