• エッセイ・ノンフィクション
  • 現代ドラマ

願わくば花の下にて春死なん

再び救急車に同乗することに><。

今も微妙な危篤状態が続いているので、落ち着かない。
自動的に楽しかった思い出が再生されて、目から鼻水が止まらない。
だから会えても、言葉を口にできないのが、もどかしい。
マスクがあって良かったと思う。

昔、文章教室の先生が、
『願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃』西行
の短歌を解説してくれたことがあった。

その月のお題が、花だっか春だったか忘れてしまったけれど、先生も「春は理想的だ」とおっしゃっていた。同じくらい秋にも花が咲くのだとも。

他の生徒さんたちがいつが理想的だと話していたかまでは覚えていないけれども、もうほとんどの生徒さんが旅立ち済みだ。

ある30代の男性が「自分の葬式に誰が来てくれるのか気になる」と話していた。それから20年過ぎて以前より死が身近になった今も、やっぱり気になるんだろうか。

ちなみに自分は昔からまったく気にならないし、お墓も仏壇も自分のは無くていい派なので、「男性とは死のシチュエーションに対して色々考えるものなのか」と思ったけれど、もしかしたら一般的な女性も考えるものなのかもしれない。

昔読んだ小説で、お葬式ランクがたしか松竹梅あって、違いはお弁当だったかな部分がやけに印象に残っている。

遺書的なものがあるので、どこでお葬式をするのか、お墓をどうするのかの段取りをしなくてはならない。
通帳が凍結される前に、キャッシュカード、水道や電気ガス、ネットなどの引き落とし先を確認して名義変更をしなくては。

なかなか美しい死からは遠いなぁ。
だから案外なんとかなってる気もする。
悲しみにひたれるのは、全部終わってからなんだろう。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する