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小説での指摘が現実に…

 2020オリンピック・パラリンピック東京大会まで1年数カ月になりました。聖火リレーのコースも発表され、都内では東京スカイツリーや東京タワーなどの特別ライトアップも行われました。東京都庁の庁舎も4月13日、パラリンピック500日前を記念してシンボルマークの赤・青・緑の3色(アギトス・カラーというらしい)にライトアップされました。3月にはオリンピック500日前のイベントもありました。正直言って「何でわざわざ別々に開催するかなぁ」と思っています。先日発表された聖火リレーに用いるトーチもです。オリンピック用とパラリンピック用と別々のデザインなんですね。オリンピックの聖火は全国をリレーしますが、パラリンピックの聖火は競技が開催される関東の一部だけ。「時代に逆行して、どうして区別するかなぁ」って不思議でなりません。共通のイベントならば健常者も障害者も揃って参加できるのに、わざわざコストをかけて別々に開催する意味や意義が分かりません。開催都市の東京はもちろん、世の中は区別や差別のないバリアフリーやユニバーサル社会を標榜しているはずなのに。
小説「政治的未関心」シリーズでは、オリ・パラについてもいろいろと提言をしてきましたが、残念ながら主人公の小笠原広海たちの予想や不安が現実になりつつあります。
 おそらく令和初めての夏には「1年前イベント」が、令和2年の春には「100日前イベント」も開催されるでしょう。関係者の皆さん、もし本稿をお読みでしたら、その際は是非、オリ・パラ共通イベントにしてもらいたいと願うきょうこの頃です。

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