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連載中『花守』の中間反省会

もう9月も終わりますね。ということは、小語の8回目の誕生日も過ぎたということです。

さて、連載中の『救世の花守たちへ口づけを』が4割ほど進みましたので、一人で反省会をしていました。
やはり手応えとしては読まれていないので面白くないんだろうなあ、と思っています。
自分なりに色々と試してみたのですが、上手くいっていないようで残念。

自分で見える問題点としては幾つかあるのですよね。
まずは、前半が面白くない。
これは『花守』特有の問題ではなく、ここ数年の私の問題ですね。

小語は基本的に物語論でストーリーを作っています。
ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』とかの研究から発展して、ハリウッド映画でもストーリーを作るのに使われている手法のあれです。
私は大塚英志さん信者なので、そこから知ってその手法でストーリーは作っています。
だって、ハリウッド映画とか宮崎駿氏が使っているって言われたら使いたいじゃないですか。
ですので、冒頭にアクションを入れた後は物語論的に日常を描いてその後に旅に出る(もしくは依頼がある)としています。
そこで設定の説明などを挟むと、どうしても前半が長くなってしまうのですよね。

もう一つ、『なまくら冷衛の剣難録』がラストの方に仕掛けがあるストーリーになっているのですが、それが公募でいい結果だったことに囚われているのかな、とも思います。
後半の仕掛けのためには、ここであれを書いて、これを書いておかないと成立しない、になってしまい、結果として前半が犠牲になっているような気もします。
ここはもう少し、やり方を変えられそうかなと思います。

一作目の『侵蝕』なんかは前半は割とテンポがいいのですよね。
アクションの後にアグレイの日常と並行してキクの孤児院の話から孤児院瓦解まで。
それ考えると、『なまくら冷衛の剣難録』が良かったために、同じやり方をしようとして失敗しているような気がします。
反省。

後は、やはり『花守』は主要人物が4人と多く、その分だけ描写が増えて長くなってしまっています。
そもそもテーマが4人一組のチームで戦う、なので難しいところではありますが。
チームを分解できないのが痛いところですね。
主要人物が同じ4人の『侵蝕』ですと、アグレイ・キクとユーヴ・リューシュでメインとサブのチーム分けができます。『スレイヤーズ』方式ですね。
『花守』はテーマが抱える問題ですが、私の技量不足もありますね。

もう一点は設定です。
花を主軸にした設定ですが、読者的に覚えることが多く負担になってしまっています。
公募の採点だとオリジナリティとかがあるので、それを狙ってやってみました。
一応、単語は開花とか花守とか花に関することでまとめてあるのと、後半に単語が出てきても文脈的に分かるように書いてはいるのですが、どうなんでしょうか?(ぶん投げ)

いったん、自分で見えている問題はこれくらいです。
本当はそもそも女の子が可愛いのか、話が面白いのかとかもありますが、もう少し様子を見て考えてみます。

考えすぎた結果、あまり面白くならなかったという残念なことになりましたが、ここ数年「三人組の女の子が主人公の話を書きたい」と思い続けて、十万文字ほど書いて「やっぱ違うな」となって挫折したこともあるので、いったん欲求を形にできたということで個人的には満足です。

『花守』はこれから少しずつ話が動いていくので、これまでよりは読める内容になるかと思います。
長々と書いてすみませんでした。

4件のコメント

  •  はじめまして。

     こんなところにお邪魔して良いのか迷ったのですが、自主企画「チーム戦(広義)のある作品のお勉強会」のことで、ご連絡させていただきました。
     心惹かれる企画だったので、『ダームガルス戦記』という異世界ファンタジーで参加させていただきましたが、この作品は軍隊が舞台です。仲間たちとの関係性が描かれており、チームっぽさはあるつもりですが、小語さんが想定していた「チーム(広義)」にはそぐわないかもしれません。
     もしそうであれば、お手数ですが、ご一報いただけば企画への参加を取り消します。小語さんの手で企画から退場させてくださっても構いません。

     長文失礼しました。
  • あじさい様
    初めまして。
    お越し頂きありがとうございます。

    御作においてご参加頂いて大丈夫です。
    そもそも緩い企画ですので……

    ご丁寧にありがとうございます。
  •  こんばんは。
     応援コメントに書くのは差し障りがあるかもしれませんので、再びこちらに失礼します。

     ここ数日ほどかけて、『カノーネの恋人』第7話までと、『救世の花守たちへ口づけを』(設定資料は飛ばして)序章と第1話を読ませていただきました。
     基本的には楽しく読ませていただいております。
     読んだからには何かしら感想を申し上げるのが礼儀だと思い、こうして連絡させていただいたのですが、正直、僕の立場で何を申し上げれば良いのかよく分かっていません。

     2つの作品から僕が受け取った印象は「ライトノベルらしい文体の作品」ということです。
     僕個人としては、平易で分かりやすい文章こそが基本的かつ堅実なものであり、地の文に凝った言い回しを多用するのはあくまでも例外的な(特定の効果を狙った)手法という認識ですが、それが好きという読者もいらっしゃることでしょうし、僕ごときが口を出すことではなさそうです。
     ただ、所々で1文の中に情報の重複や不足を見かけますので、それらには改善の余地があるのかもしれません。
     例を挙げますと、

    『カノーネの恋人』序章より

    原文「顔立ちは美貌と称しても誇張ではない」
    →修正案「顔立ちは美しいと言って良いだろう」あるいは「絶世の美女と称しても誇張にはなるまい」、「顔立ちは深窓の佳人といった趣だ」など。
     辞書によると「美貌」は「美しい顔かたち」のことなので、「顔立ち」が「美貌」では、「頭が頭痛で苦しい」のような重複を起こします。「顔立ちは美人」と書くことも考えましたが、それも何だかしっくりこないので、修正案をいくつか考えてみました。こう直せとか、ただちに修正しろとかではなく、推敲する場合の選択肢に入れてもらえれば光栄、くらいのものです。
     三人称の地の文ということで、「だろう」「なるまい」などの曖昧な意味合いはなるべく持たせたくないのですが、「美女」や「佳人」が主観的な判断を含む言葉なので、修正案も語り手の主観を入れたニュアンスになっています。

    「彼らが深夜にこの人目を憚るような場所にいるのは、それだけ人前では不都合な行為の表れだろうか」
    →(「それだけ」を削り)「人前では不都合な行為をしているという自覚の表れだろうか」
     原文では少し言葉不足なので、直すなら修正案のようにするのが良いと思います。ただ、実はこの1文、言っていることが当たり前すぎて有っても無くても本文の情報量が変わらないので、丸ごと削ってしまって良いはずです。

    『救世の花守たちへ口づけを』序章より

    「緑色の絨毯が敷き詰められたような広いその場所は、見渡す限りの草原だった」
    →「緑色の大きな絨毯のようなその場所は」あるいは「そこは(、)」。
     辞書によると「敷き詰める」は「すきまなくびっしり敷く。一面に敷く」という意味です。基本的には複数のもの、砂利や色紙などについて使う言葉だと思います。そのため、素直に直すと「絨毯が敷かれような」なのですが、ここもちょっと微妙なところで、そもそも「『緑色の絨毯』って何?」という話な気がします。レッドカーペット(赤い絨毯)やペルシャ絨毯などのように、一般常識として読者に何らかのイメージを思い起こさせるなら比喩を使う意味もあると思いますが、緑色の草原を緑色の絨毯にたとえたところで読者のイメージが膨らむのか、僕にはちょっとよく分かりません。いっそのこと削って、「そこは」で済ませて良いのではないかと思います。

    「頭に青い小鳥の髪飾りを着け、それを頻繁に触っているのが癖らしい」
    →「それを頻繁に触っている(あるいは“それを触る癖がある”)」
     「頻繁に何かをする」のと「何かをする癖がある」のは同じ意味だと思いますので、どちらかで良いともいます。

     文体の傾向については「ライトノベル路線だから」ということで納得することもできるのですが、それを差し引いても(個人的に)違和感が残るのは、女性の外見の描写です。
     回りくどい言い方をして伝わらないのは不本意なのでズバリ書いてしまいますと、率直なところ、官能小説的な気持ち悪さを覚えます。もちろん、一般的な男性読者がどのような描写を望んでいるかが念頭にあるのだとは思います。ただ、これは私見ですが、男性目線で女性キャラの身体的な女性らしさを描写しようとするとただでさえ気持ち悪くなりがちなので、あまり直接的には書かず、読者の想像力に委ねるくらいの、控えめな表現を心掛けるのが得策だと思います。

    「初めて露わになったヒメルの身体は、かなりの長身であった。その辺の男に見劣りしないほどで、身長に占める脚部の割合も多い。体格は均整を保っていて、ただ筋肉がついているだけでなく、全体を女性らしい柔らかさが包んでいた」(『カノーネの恋人』第1話)
    →(「初めて露わになった」を削って)「ヒメルは、その辺の男に見劣りしないほど長身で、足も(すらりと)長かった。その身体は歪みなく均整がとれており、女性らしさを含みながらもストイックに引き締まっていた」
     原文「身体」が「露わになった」は、文脈的にそんなことないのは明白ではあるのですが、字面だけだと脱衣を連想させかねない表現で、ちょっと変な気がします。また、「筋肉がついている」と書いておいて「全体を女性らしい柔らかさが包んでいた」と書くと、筋肉の上に贅肉が乗っているような順序になり、あまり美しい感じがしません(個人の感想です)。
     序章の時点でヒメルが美人である事には言及しているので、仮に僕が書くならここで「女性らしい柔らかさ」の情報はわざわざ入れず、せいぜい「華奢」「スレンダー」など、ゴリマッチョではないことを匂わせる表現に留める気がしますが、修正案は一応、ヒメルの身体の女性らしさにも言及する形にしています。
     ちなみに、「歪みなく」と「均整がとれて」、「ストイックに」と「引き締まって」はどちらも意味が重複していますが、そう書いた方がニュアンスが分かりやすくなり、スケベなニュアンスが散らされるのではないかと思います。

    「どこか気高さを感じさせる双眸は前方を見据え、女性にしては長身の五体は律動的な弾力を秘めるようだ」(『救世の花守たちへ口づけを』序章)
    →「女性としては長い手足は(、)チーターのような、しなやかな強さを感じさせる」
     前半「気高さを感じさせる」、「前方を見据え」は精神性を感じさせる良い表現なのですが、後半は問題ありだと思います。「律動」は「規則正しく繰り返される運動。また、リズム」なので、「律動的な弾力」と書かれると、手足の筋肉がリズム良くピクピクしているような、筋肉を誇示するアメリカ人俳優のような意味合いに思えます。
     修正案はちょっと苦し紛れなのですが、チーターやヒョウ(ライオンやハイエナに比べて細いイメージがある?)にたとえるとか、「しなやか」「強い」「無駄がない」「出番を待っている」などのニュアンスを持たせるとかの方向で、何かしら検討していただければと思います。

    「亜麻色の長髪が背中を流れ、形の良い双眸には緑がかった水色の瞳が収まっている。クシズとは対照的に丈の短い着衣から肌を露出させ、利発で活発な印象を与える少女だ」(同上)
    →「亜麻色の長髪が背中を流れ、大きな目は緑がかった水色に輝いている。クシズとは対照的に、動きやすさ重視で丈の短い衣装を着た、いかにも利発で活発そうな少女だ」
     辞書によると「双眸」は「両方のひとみ。両眼」のことなので、ここで言いたいのは「眼窩」(眼球の入っている穴。眼孔)のことかと思うのですが、それにしても「眼窩に……瞳が収まっている」という書き方は少々解剖学的すぎる気がします。また、「丈の短い着衣」は「丈の短い衣装」の方が適切だと思いますが、「丈の短い衣装から肌を露出させ」……衣装の丈が短いというだけで、想像力の豊かな読者はそういうことを考えるでしょうから、わざわざ「露出」という言葉を使うと、この場面の真剣さが削がれるように思います。
     修正案には原文にない情報やニュアンスを多分に入れているのですが、そもそもが、批判しておいて何も案を書かないのもどうなのか、と思って書いているものなので、そこは小語さんの方で適切な形に調整していただければと思います。

     言うまでもないことではあるのですが、以上に挙げた批判や修正案はどれも推敲の一助くらいのものなので、しっくりこなければ無視してくださって結構です。

     長文失礼しました。
     このコメントは批判的な内容ばかりなので、ご確認いただいた後は削除してくださって構いません。
  • あじさい様
    拙作を読み込んでくださり、また詳細なご感想を頂きましてありがとうございます。
    結構公募の評価ですと、文章は上手い方だという言葉を頂くこともあるので少々調子に乗っていたかもしれません。
    あじさい様の分析には頷かされることが多く、今後の文章については大いに参考にさせて頂きます。

    ちょっと言い訳させて頂きますと、『カノーネ』はかなり昔に書いたもので、文章については当時読んでいた作品からかなり影響を受けています。『銀河英雄伝説』という作品です。
    そのせいもあり、当時は修飾過多な文章を書いていました。現在はだいぶ落ち着いてきたと思うのですが。

    また、『救世の花守』は最近書いたもので、枯渇した想像力を動員してそれっぽい文章を頑張って書いていました。
    二つの拙作の背景もあり、あじさい様のご指摘はもっともだと思います。

    あと女性描写に関しまして反論させて頂きますと、お、男だって描写してるもん!です。
    お読みくださった二作は女性がメインの作品ですので、女性の描写は意図的に多くしてみました。
    他の作品ですと、男性の描写も同じようにしているつもりなのですが……。

    やはり外見が伝わらないとダメかな、という思いもあり説明を増やしてしまう傾向がありますね。
    また、ライトノベルの公募ですと、『ヴィジュアルがついた作品になることを意識~』のような一文もあるなど、どうしても外見の描写は増やしてしまいます。

    ただ、それとは別にして気持ち悪いということですよね。
    初めて言われましたので衝撃的でした。
    ちょっと自分の書き方を考えなければいけません。
    せっかくお読み頂いたのに、不快感を与えてしまい申し訳ないです。
    私の技術力の無さ故です。

    長くなりましたが、改めて詳細な分析を頂きましてありがとうございました。

    あと、あじさい様のコメントは消さないです(断言)
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