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Twitter personaとの闘い

 
 漫画家として活動するのに、最近の傾向として、Twitterの自分のアカウント上で、活動の記録や、どの程度の技術なのか(モノクロ原稿、カラー原稿、軽いデッサン(鉛筆画などなど))をアピールする場所として利用して、それがそのまま履歴書のようなものになることが多いです。勉強会とか、講演会に参加する要件のひとつになっていることも。
 大好きな漫画家さんのTwitterはかならずチェックするのですが、長年見ていると、この頃はネット上のポリティカルコレクトネスみたいなことが大事になってきて、そうするとどんな人でも偏見とか経験のなさがある以上、短い文字数のTwitterで自分のことをぶっちゃけることはむずかしいかな、と思います。動画だったら「や、これポリティカルコレクトネス的にはどうなのかな、わかんない。わかんないけど……」となんとなく話を続けることができます。あるいは自分のサイトでのせるまとまった文章では、自分の言いたいことをもっと細かく言うことができます。
 Twitterではキラキラしたアピールとかよりも、自分の活動とか、政治的なコメント、チャリティなど集客と収益が必須の活動であるものにぴったりだと思うのですが、その反面、だらっとした他愛もない日常が魅力になっているものもあります。本当はこんな人なんだろう、ということが伝わってくるのが、いちばん読んでいて楽しいわけです。そう、ほんとうは○○な人っていうのが、Twitterのみそです。現実の自分とは違う、Twitterを介した新しい自分をつくる、それが自由さとか解放感を感じる要素のひとつになっています。
 私たちはいつも他人と接するとき、慣れ親しんだ家族や友人をも含めて、それぞれ相手に合わせて、自分を作り変えて話をしたりします。それは相手によって真意の伝わり具合が違うため、工夫して伝えることに熱心であるからです。いつも「自分はさー」とか言っていると、そばにいるひとは死ぬほど疲れているかもしれません。でも、Twitterでは延々と自分話ができます。
 Twitterを通して得る仮面をそれなりに楽しんでいれば、あるいは有益に有効活用してけばいいじゃんという月並みなアドヴァイスしかどうしても出てこないのですが、もっと自分なりに考えて、自分がよいと思ったもの、自分がおもしろいと思ったことを発信していけるYouTubeのほうがいま大人気なのもうなづけます。
 見ている人が息苦しい、気取っていて親しみがわかない、などなど目に付くかぎりでピンポイントな問題はすぐ言えますが、本当の問題は、どれだけ自由さを担保できて、その上で多くの人が楽しめるか、だと思います。
 闘うことや、その場に飛び込んでいくことが得意な、何かを作ったり考えたりしている人にとって、もはやネットは第二の現実で、まったく無視することはできないです。ただでさえ考えに沈み込んでいくことがニュートラルなのに、ネットの世界でも他者とコミットメントしていって、よい縁と巡り合えればいいのですが、現実の世界と同じように、よい縁ばかりではないです。
 自分のTwitterアカウントのパスワードを忘れてしまって(笑)、あたらしく作るかどうか、ちょっと様子見しているこの頃です。正直対面式の面談のが得意なので、漫画編集部は近くの公園やテラスで、面談とか講演してほしいな。




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