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魚のスープを失敗する

 家の近所にいい感じの平屋(といってもものすごく慎ましい)があって、建物と同じくらいの庭がついていて、そこの庭の金木犀がたけなわです。でも、いつもシャッターが下りています。手入れは行き届いているのですが。
 都内に住んでいた頃は、ごみごみした住宅地に住んでいて、サザエさん一家の周辺みたいに、庭と庭とが隣接しているところで(ようするに、丸見え)、生活感の溢れた場所でしたが、幸いなことに隣人に恵まれていたようで、気軽な生活でした。キイポイントは、庭とホビーだったのかなと思います。どの家も小さい庭があって、家を貸してくれた大家さんは牧師さんで、思春期ぐらいのお子さんを預かっていて、よくパイとかケーキとか焼いていて、手前の老夫婦のお宅は、ご主人(かどうか定かでないけれど)夕方まえくらいから詩吟の時間でした。買い物に行くときはテニスに行くみたいな恰好でした。料理の好きなお宅が家の裏にあって、揚げ物が好きなのか、夜、いつもいいにおいがしました。私の家は夜と休日は映画ばかりで、正直うるさかったのでは、と思います。字幕でいつも見ていたので、異国の言葉が飛び交っており、よくクレームが入らなかったなあと思います。けれどもいいことばかりでなく、シャッターばしんのお家は一軒あったし、借りている家は大きな家を半分割ったみたいなところで、隣人とのトラブルはしょっちゅうでした。しかも、全然顔を合わせないのです。
 家族や同僚、弱い者にいちゃもんをつける人は、あきらかに減ったな、と思いますが、変わりに増えたのが、こういった壁越しの、見知らぬ他人へと向かう気持ち、インターネット越しの他人へと向かう気持ち。でも、彼らの心持って、たぶん社会の鏡としての反応でしかなく、しかも、そうすることしかできないみたいな、地獄みたいな悪循環の犠牲者ともいえると思います。かつての私たち、これからの私たちだと思います。
 昨日の晩の夕食、魚のスープだったのですが、ちょっと青臭くなってしまい、味も濃くなってしまって、それでもけっこうおいしかったのですが、父親はフォローしてくれず、それが意外に思いました。私なら、ちょっと濃いけどおいしいよ、と言うタイプなので。この辺に分かれ目があるのでしょうか(こっそり)。
 何にも言うことないと思ったけれど、けっこう長くなりました。小説は続いています。


 

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